年の初めの物語
上原 貞治
本論は、1年前に書いた
「現代に続く曜日の起源について」の姉妹編のつもりで書いたものです。1年前のものでは、「曜日」というカレンダーの脇役の隠れた問題について取り上げましたが、そこで、日付(年月日の暦日)については、よくわかったものとして簡単に取り扱いました。しかし、実際は、そこにも問題点があります。今回は、そこにスポットを当てて書きます。
1.年初は暦によって違う
過去から現代に至るまで、国や時代が違えば、違う種類の暦が使われてきました。同じ日のことでも暦が違えば日付が違うのですが、年(暦年)の対応が変わってうっかり間違えることがある、というのが今回の主眼点となります。当たり前と言えば当たり前のことですが、意識しないと見逃して間違えてしまうことになりますので注意が必要です。
それは、2つの暦を換算する時に、2つの暦の年の初めが違うと、それぞれの暦の年の表記の対応がどちらか一方の年初の日(「元日」と呼びましょう)に変わってしまうということです。理屈からいうと、個人の満年齢が西暦年と一定の差になると言っても、その対応については、誕生日が元日でない人は、誕生日前後で1年のずれが生じるというのと同じ原理です。概算ならいいのですが、天文現象や歴史的事件の分析では、この対応を間違うとしばしば致命的なミスになるので、注意が必要です。
2.暦が違えば年初が違う
手早く理解していただくために、有名な例を挙げます。赤穂浪士の吉良邸への討ち入りは、 元禄15年12月14日とされています。これを西暦に直すために、元禄15年が西暦何年にあたるか調べると1702年となっています。だから、これを、「元禄15(1702)年12月14日」と書いたとすると、これは100%の間違いとは言えませんが、相当のミスリーディングなのです。実は、12月14日というのは旧暦(宣明暦)ですので、この旧暦を新暦(グレゴリオ暦)に直しますと、1月30日になります。1月であることからわかるように、実は新暦では、年が明けて翌年になっています。だから、討ち入りは、新暦では、1703年です。「元禄15(1702)年12月14日に赤穂浪士の討ち入りがあった」、というのは、まだウソとは言えませんが、西暦1702年に赤穂浪士の討ち入りがあった」、というのは、かなりの言い訳を加えない限り、ウソということになります。西暦とは西洋の暦(グレゴリオ暦)の意味ですから、西洋から見たら討ち入りは間違いなく1703年の事件となります。日本の旧暦と新暦では、年の初めが約1カ月ずれます。旧暦のほうが遅く正月を迎えます。ずれの日数は年によって定まってはいませんが、一致することはありません。また2カ月以上ずれることもありません。閏月という余分の月を時々入れて大きくずれないように調節しているからです。
現在では、国際的に、西暦すなわちグレゴリオ暦が使われていますが、国によっては、ヒジュラ暦、イラン暦、ユダヤ暦などが使われていて、これらは、年初が異なります。特に、ヒジュラ暦は、1年がほぼ正確に12朔望月(閏月無し)なので、354日程度しかなく、毎年、グレゴリオ暦と約11日ずつずれていきます。年初の季節が変わっていきます。こうなるとグレゴリオ暦の何年がヒジュラ暦の何年に当たるといっても、他の年に簡単に換算できるわけではないので、これは、年月日のセット同士で対応関係をとらないといけないことになります。イラン暦は、基本的に太陽暦です。ユダヤ暦は太陰暦ですが、季節に合わせる閏月があるので、年の対応が1年以上ずれることはありません。
3.同じ暦でも「新年」が違うかも
我々には思いがけないことですが、同じ暦でも「新年」が違うということがあります。「新年」とは新しい年の初めのことで、「元日」や「正月」とほぼ同じ意味です。この日から、年が変わります。我々日本人は、「新年」というのは、当然、「1月1日」に決まっていると思っています。そして、「1月1日」は、英語に訳すと「January 1st」なので、 西洋でも、January 1st(ヤヌスの月の1日)が当然、新年かというと必ずしもそんなことはないのです。もともと「ヤヌス」というのは神様の名前で第1のという意味はありませんし、1日は太陰暦が使われていた時代や国の新月に対応する日というだけで(ユリウス暦は太陽暦でありますが)、別に1日が世界の始めとかめでたい日とかの意味があるわけではありません。
ローマでユリウス暦が始められた時に、カレンダーが作られ、それは、確かに、ヤヌスの月の1日から始まっていたので、カレンダー上の並びでの新年は1月1日だったのですが、その後も、キリスト教国では、中世の終わり頃に至るまで、実際の新年のお祝いは、復活祭に関係する3月25日とか、復活祭そのもののイースターの日とか、クリスマスの12月25日とかいろいろな流儀があり、この日に年が変わったようです。また、ビザンチン帝国では、9月1日に年が変わる「会計年度」のようなものが使われたそうです。だから、これらの時代の文献を見ると、西暦その他で表してある暦年が、3月25日などを境に変わっていることがありえます。もちろん、現在の1月1日を新年とするやりかたと連続するように、表現されている文献もあります。そこをはっきりさせないと、たとえば「1210年3月24日」に対応する日は、この年とこの前年に2つ現れてしまうので注意が必要です。
これと似たことは、日本の会計年度でも起こります。「令和5年3月31日」と「令和5年度の3月31日」とは、1年ずれた別々の日です。後者は、令和6年3月31日のことでしょう。「令和5年度3月31日」という表記は、普通は行いませんので、そうそう混乱は起こりませんが、注意は必要です。これを避けるために、西洋史には、1210/11年3月24日という表記があります。これは、1月1日を新年に取れば1211年で、そうでない(3月25日以降の新年の)流儀では、1210年になる、ということによって、この表記によって、年月日が確定できるのです。しかし、これも表記法を知らない人には、よけいに不定性が大きくなったように見えるので、あまり実用的ではないように思います。
ユリウス暦がグレゴリオ暦に移行する前に、キリスト教国のほとんどの国では、1月1日に新年が移されましたので、グレゴリオ暦の表記では、暦年が1月1日以外で変わるという例は少ないはずですが、多少の例外はあったようです。
以上、暦の違いによって、年が1年ずれる危険性への注意に触れました。これを正しく確認する簡単な方法はなく、その時代と国に詳しい専門家の知識が必要です。だから、素人には、専門家が正しくこの問題を処理しているか、自分で古文献を見る時はそういう1年の間違いもありえると注意する以上の手はなかなか出ないというのがせいぜいのところのようです。
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