「大洋星」とは何か?
                                           上原 貞治
 
1.原典は痕跡本
 最近聞いた言葉であるが、「痕跡本」という新語(造語)があるらしい。古書店などから買う古書の一種で、前の持ち主の書き込みがあったりメモが挟まれたりしているものを指すという。私もそのような痕跡本を持っている。ここで、紹介するのは、子供向けの科学書として昭和3年(1928)に発行された、井田静夫著『不思議な天地』(弘文社)である。
 この本については、すでに「私の天文グッズコレクション(第2回 古書(子ども向け天文書)編)」(「銀河鉄道」WWW版第48号)で紹介したが、ここで問題にするのは、この本の内容ではなく、私所有の本にある「書き込み」である。おそらくは、この本の最初の所有者によるものであり、それは、本の性格と筆跡からみて、今で言えば小学校高学年か中学生くらいに当たる少年によるものと思われる。まずは、写真でその書き込みを見ていただこう。
 
 
 
 
 「太洋星發見 昭和三年本 五年」という書き込みが青インクでなされている。「發」は「発」の旧字体である。文字の並びから見て、「太洋星発見 昭和五年」と書いた後に「三年本」と右に書き添えられたものであろう。つまり、その意図するところは、「昭和5年に太洋星が発見された、だからこの書き込みを行った、ちなみにこの本(『不思議な天地』)は昭和3年の発行(あるいは購入)である」と見て良いだろう。問題は、この「太洋星」が何を意味するかである。昭和5年(1930)に新惑星(当時。現在は準惑星)として「冥王星」が米国のローウェル天文台でクライド・トンボーによって発見されたことはよく知られている。しかし、「太洋星」という星の名は、絶えて聞かないのである。
 
2.冥王星の異名について
 しかし、昭和5年に発見された星の名前であるとすれば、これを冥王星の別名と推定するしかない。冥王星が「冥王星」と呼ばれることになる前に「太洋星」と呼ばれたことがあったのだろうか。通常の知識で考える限り、そんなことはあまりありそうにないのである。
 「冥王星」は、その西洋名(国際名)である Pluto の訳名として、野尻抱影が提案したものである。プルートーはローマ神話の冥土の王であり、ギリシャ神話のハーデースに対応するものである。Plutoの訳名としては、ほかに「地王星」、「幽王星」などの案が出されたが、比較的早期に「冥王星」の呼称が定着し、当時の天文団体の機関誌である「天界」(「天文同好会」、現「東亜天文学会」)、「天文月報」(日本天文学会)を見ても、昭和5年末頃までには「冥王星」が採用されている。「太洋星」などという記述は見当たらない。
 そこで、現代の便利な武器、ネット検索というものを利用する。日本語のネット文献に、「太洋星」あるいは「大洋星」を探してみた。日本語の普通名詞としては「太洋」ではなく「大洋」であろう。もちろん、これは、世界の大きな海、具体的には、太平洋、大西洋、インド洋を指す言葉である。
 冥王星の異名としてこれまでに見つかった「大洋星」は以下の2件のみである。いずれも天文学者によって書かれたものではなさそうである。
 
1件目:mixiユーザー(id:12163801)氏のブログ *1)
 mixiユーザー(id:12163801)氏については不詳であるが、ここで取り上げたいのは、コメント欄にある、おそらく別人のmixiユーザー氏によると思われる記述の
 
 「冥王星」の名前は、「星の抱影」として知られた野尻抱影によって考案されました。
 「冥王星」か「幽王星」かにしたかったようです。
 京大では、英語の「プルートー」のままか、オケアノスにちなんだ「大洋星」という名 も考えていたようです。
 
の部分である。京大で「大洋星」の名前が考えられたというのである。
 天文に詳しい人のコメントのようで信憑性はありそうに見えるが、京大の先生が「プルートー」の国際名を差し置いて、勝手に「オケアノス」にちなんだ別の名前を提案することはちょっと考えにくい。また、「大洋星」では、音としても意味としてもすでに広く知られていた一代前の新惑星「海王星」と紛らわしい。さらに、事実としても、当時の京大の天文学の教授であった山本一清の主宰する「天文同好会」の「天界」誌は、Plutoの命名後ただちに「プルートー」、野尻抱影の提案後は早期に「冥王星」の呼称を採用しており、「大洋星」の名は現れて来ない。果たしてそんな事実があったのだろうか。
 
2件目:四季・コギト・詩集ホームぺージより「田中克己の詩作日記『夜光雲』」*2)
 これは、田中克己(1911-92)という詩人で東洋史学者の文学作品を含む日記である。その昭和5年3月16日の条に、「大洋星(オセアニア(ルビ))発見さる」の記述がある。この記述は、一見して、最初に挙げた痕跡本の書き込みと共通する性格のもので、書き込みをした「少年」と田中克己は同じおそらくニュースに触れたのであろう。そして、3月16日は発見のニュースの出た日であろう。なお、冥王星発見の報道は、朝日新聞では3月15日(外電として13日発とある)に出ている。ということは、「大洋星」の呼称が発見の一報とともに、当時の高速メディアとして考えられる新聞、ラジオ、週刊誌のどれかで大衆向けに報道された可能性が高い。しかし、現在まで、そのメディアは確認できていない。なお文献*2)の著者の研究「田中克己年譜」によると、田中は当時、大阪高等学校2年生で大阪の図南寮におり、かつ親の家も大阪にあったという。
 
3.発見前の新惑星の仮称
 ここまで来ると、「オケアノス」あるいは「大洋星」の名称が発見前から存在した新惑星の「仮称」であったことが容易に推測されるだろう。海王星の発見後、何人かの天文学者が、惑星の軌道計算から未知の惑星の存在を研究したこと、ローウェルらが新惑星の発見を目指したことはよく知られている。それらの中には、新惑星の存在を予言し、それにOceanusという名前を付けていた Thomas Jefferson Jackson See なる天文学者が含まれていた。「オケアヌス」については、例えば、ウェブの「仮想惑星」のページ*3)で解説されている。 
 詳細は省略するが、オケアヌスは、Jackson Seeによって、1900〜05年頃に計算で予言され、現在、ネットでいくつかの文献をあたることができる。しかし、これは、いくつかある冥王星発見以前に予想された新惑星として特に有名なものではない。また、Jackson Seeが特に有名な天文学者であるということもないし、、新惑星の予言が彼の顕著な業績であるというわけでもない。なぜ、これが、冥王星の発見直後に「大洋星」という訳名まで冠して日本のメディアに早々に登場しないといけないのか、そこのところは依然として謎なのである。
 ここで、鍵となるのが、mixiユーザー氏の「京大では、・・・」の記述である。京大の先生が、冥王星の発見前に、新惑星「大洋星」を一般向けに紹介していたことがあったのかもしれない。それで、検索を続けてみた。
 結論から言うと、まだ決定的な文献はみつけていない。関係していると思われる文献が1件あって、1922年の「天文月報」に、百済教猷著「海王星外の惑星」*4)というのが載っている。この第1回(10月号)に未発見の新惑星の名前の議論があり、その筆頭に J.See の オケアノスが紹介されている。「大洋星」の訳語こそないが、百済教猷は、発見前の惑星の名称についていたく気になったようである。彼は、この頃は東京天文台の所属だったのかもしれないが、のちに京大に移って、東亜天文学会の会長にまでなった人である。この人が一枚かんでいる可能性があるのではないかと推測する。
 
4.結び
 尻切れトンボの結末で申し訳ないが、私に今回わかったことは以上である。百済教猷あるいは、別の京大にゆかりのある天文学者が、冥王星の発見以前に、Jackson Seeの 仮想新惑星「オケアヌス」を取り上げ、それに「大洋星」の訳名を与えて、日本の新聞、雑誌等で一般に知らせたことがあったのかもしれない。それが、1930年の冥王星発見時に参照されたと推定できる。しかし、そういうことが仮になくても、ある新聞社に天文学に詳しい記者がいて1922年の百済著の「天文月報」の記事を見覚えており、冥王星発見にあたってそれを思い出し、即席に「大洋星」の訳名を与えて紙面に載せてしまったとしても、あながち理解できないことではないだろう。
 
謝辞:「大洋星」の探索の途中で、議論と助言をいただいた日本ハーシェル協会の角田玉青氏に感謝します。また、角田氏は、冥王星発見を伝える当時(昭和5年3月15日前後)の新聞各紙を調べられ、「エックス遊星」「トランスネプチュニアン」などの紙上に見つけた国際的な天文学界に由来すると思われる「発見前からの名称」についての情報もお知らせ下さいました。
 
参考文献:
*1)mixiユーザー(id:12163801)ブログ
http://open.mixi.jp/user/12163801/diary/1939868420 (2015.3.15 18:44のコメント)
*2)Yasuhiro Nakashima「四季・コギト・詩集ホームぺージ」より、田中克己の詩作日記『夜光雲』第2巻 昭和5年3月16日(五、三、一六)
http://cogito.jp.net/tanaka/yakouun/yakouun.htm
(PDFファイルでは、第1巻に第2巻が合巻されている、43ページ参照)
*3)P.Schlyter "Hypothetical Planet, Planet X 1841-1992"
https://www.bibliotecapleyades.net/hercolobus/esp_hercolobus_31.htm
*4) 百済教猷「 海王星外の惑星(一)」天文月報(1922年10月号)日本天文学会
http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1922/contents/contents.htm


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