ぼくがカレンダー少年だった頃
 
       上原 貞治
 
 もう1年以上前のことになってしまったが、銀河鉄道WWW版第45号の 「編集後記」に、私の幼年時代(小学校入学以前を含む)の趣味は「カレンダー」であった、と書いたところ、それを読んで興味を持って下さった方があって、そのカレンダー趣味についてもう少し何か書いたらとお勧めいただいた。私は自伝のようなものを書くつもりはさらさらないのだが、幼かった頃のカレンダー趣味と今の天文趣味の関係についてもう少し掘り下げてみるのは、教育的、文化的に、あるいは児童心理学的にも何らかの価値があるかもしれないと思い、少し書いてみることにした。なお、上のタイトルは、お勧め下さった茨城県南部にお住まいのかすてんさん(霞ヶ浦天体観測隊さん)のご提案からいただいた。この場を借りてお礼申し上げます。小学校低学年以前のことなので、正確には、「カレンダー幼年」であろうがそれでは語呂が悪いので、タイトルでは「少年」ということにさせていただく。
 
 私が小学生の時の趣味は、低学年の時が「植物」、中学年の時が「気象」、高学年以降が「天文」となって、最後のものが現在まで続いている。植物は採集をしたり名前を図鑑で調べたり、気象、天文は実際に観察して記録をつけ、まとめて自由研究で報告したりで、まあ「科学的な」趣味と言えるものであった。
 
 さて、カレンダー趣味はそれ以前の物心つく前からの趣味である。これは科学趣味とは言えない。4歳や5歳の子どもが暦の科学を解するはずがないからである。おそらくは文字に興味を持ち始めた一環として、数字に興味を持ったのであろう。当時、うちには「日めくりカレンダー」というのがあって(単に「日めくり」と呼んでいた)、その数字が毎日変わっていくことに興味を持ったのが発端ではないかと推測する。当時は、壁にかける普通の日めくりの他に、卓上メモになっている日めくりもあって、こういう物で遊んでいた。日めくりは、数字が1日経つごとに増えていく。一定量増えると次の月になって1に戻る。そういうことがぞくぞくするほど面白かったのであろう。日付を表現する数値が増えていくこと、日が昇り日が沈み、一日一日が経過すること、それも暦の科学には違いないが、それは誰もが日常経験する範囲のことで「科学趣味」というほどのものではない。時間の経過で数字が増えればそれでよかったのである。そういう意味で、デジタル時計であっても、警備員さんの持っている人数カウンターでも何でも良かったのであるが、当時は(少なくとも私の近くには)そういうものは無かった。当時でも身近にあったのは、観光地の土産の日付の数字が動かせるカレンダーとか、家庭用毛編み機のカウンターであったが、案の定それらも魅力のある物であった。デジタル時計は、当時は一般には普及しておらず、スポーツのテレビ中継で(陸上、ボクシング、サッカーなど)しか目にしないもので、小学校入学前にそういう中継を見た記憶はない(そもそもうちでテレビを買ったのがちょうどその頃である)。月ごとにまとまっている普通のカレンダーも興味はあったが、魅力の点では、数字が変わらないので数段落ちた。
 
 本式の「日めくり」には旧暦も書かれていた。旧暦の日付は月齢と対応していて、かなり「天文学的」で、言い方を変えるなら「科学的」である。しかし、当時の私は月の満ち欠けにそれほど興味があったわけではない。農村地帯に住んでいたので、夜はたいへん暗く月夜の明るさはよく知っていたが、夜一人で出かける年になるまではだからといってどうってことはなく、月齢などどうでもよかった。また、天体としての月にとくに興味はなかった。ひと言でいうと、幼年期のカレンダー趣味というのは、科学趣味ではありえず、数字の趣味、さらにもうひとこと踏み込んで言うならば、数字の増加と時間の経過の関連について何らかの潜在的感覚の共鳴があって成立するものではないかと考える。
 
 その後、私のカレンダー趣味はどうなったかというと、曜日と日付の対応、祝日、旧暦、十干十二支くらいまでは進んだ。新暦、旧暦、曜日の対応は、何年かにわたってすべて記憶しているくらいで熱心であったが、どうして憶えたのかはわからない。計算などできようはずはないので、繰り返し見ているうちに暗記したのであろう。十干は、きのえ、きのと、・・・、十二支は、ね、うし、とら、・・・というやつで、名称も周期性も把握しやすいものであった。でも、何かあやしげというか軽い神秘性のようなものを感じ取っていた。そして、日めくりにあるおもな暦註、神宮暦(方位占いなどが載っている)、農事暦(種まきや草取りの時期が載っている)、あたりまで来て、停止状態になった。当時の私は、日本史や宗教、暦の迷信、実学用途などにはさほど興味がなかったので、それ以上は進まなかったのである。夏至とかお彼岸とか三隣亡とか、何かありそうな概念であることは感じたが、その深みにはいることはしなかった。深みというよりも日付で行事や運勢が決まるというような単純な因襲や感覚に多少のうさんくささを感じていたのかもしれない。そして、私は理科好きになったが、そもそも暦の趣味と理科趣味は切り離されていたので、理科好きを理由にカレンダー趣味が発展する接点もなかった。こうして私のカレンダー趣味は中断してしまった。小学2年生くらいの時のことである。植物と気象は、季節関係なのでカレンダーと関係ありそうだが、実学用途に興味なかったので接点はなかった。
 
 その後、小学校5年生の時に、天文に興味を持つようになったが、これもカレンダーとは何の関係もない。惑星や星雲といった写真でみて見た目のきれいな天体に心を惹かれたまでである。その後すぐに、四季の星座を実際の夜空で憶えるようになった。このとき、はじめて球面天文学との関係でカレンダーと天文の趣味が合体し始めたと言えるかもしれない。地球の公転と四季の関係、太陽暦、旧暦の原理も比較的簡単に理解できたように思う。しかし、それも天文趣味であっても、暦学趣味と言うほどのものではない。暦学は天体の動きの理論なので、その詳細の理論を理解し自分である程度計算ができるくらいなければ暦学とは言えない。そんな計算を小学生ができるはずもなくそこまで興味をもつこともない。世の中にはとても早熟な子どもがいるそうだから一概には言えないが、暦学そのものに興味を持つ子どもがいるとしても中学校以降ではないだろうか。私の「暦学」は、小学校時代は学校の理科レベルの日時計までくらいだった。
 
 以上、自伝でもなければ、何か普遍的な結論を導くだけの材料にもならないが、幼少期のカレンダー趣味について、多少考えてみた。それで、最後にひと言、現在の私に取っては、カレンダー趣味と天文趣味はほぼ完全に一体化している。それは、大学時代以後、天文学史の一部として暦学史に興味を持つようになったからである。
 

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