編集後記
発刊部 上原 貞治
この夏、2024年8月12日に、我々、西中筋天文同好会としては、本当に久しぶりに、「ペルセウス座流星群の夜」を開催することができました。場所は、綾部市上杉町の総合運動公園の体育館付近、参加者は、田中さん、福井さんと上原の3名でした。前回がいつだったかというと、記憶もあやふやですが、確実な記録が残っている「前回」は、2002年で、「銀河鉄道」WWW版第10号の私の「2002年の天文現象の報告」に、「8月12日の夜、綾部市上杉町で、私の家族と田中氏の家族で観測会を行いました。」とあり、この時は短時間ながらも数個の流星を見たようです。また、田中さんと私が現地まで行って曇り空を確認してすぐに撤収した「未遂」の年もそのころに1〜2度はあったのではないかと思います。
今回は、星も見え、写真も撮れました。しかし、残念ながら、ペルセウス座が上がってくる22時頃から雲が増え、結局、流星はほとんど見られませんでした。22時過ぎには小雨になりましたので、あっさり撤収しました。結局、私は、はっきり流星として見たものはありませんでした。でも、上杉の暗い空と多くの夏の星は健在でした。下に、通常の(タイム撮影)固定撮影の1枚を掲げておきます。田中さんの魚眼レンズによる写真は今号表紙にあります。
田中さんの車で、観音寺まで連れて帰ってもらって、空を見ましたが、観音寺の空もほぼ曇りで、その日はそれであきらめて寝ました。翌夜の早朝(14日早朝)は、短時間ながらペルセウス座の方向に星が見え、流星1個を見ることが出来ました。今後、また、こういう機会の夜を持てることを期待しております。

夏から初秋の星空
2024年8月12日21時37分、標準ズーム、24mm、F3.8、ISO-1600、露出48秒、固定。
トリミングなし。明るさとコントラストの補正。綾部市上杉町
今回の後半では、フォーク歌手の高石ともやさんの訃報について、謹んで記述いたします。8月17日に入院中だった京都市内の病院で亡くなられたとのことです。82歳でした。高石さんについては、私としても本当にたくさん感ずるところがあるのですが、個人的には、なによりも、歌を私の人生に贈ってくださったことに感謝します。高石さんの音楽は、ジャンルは非常に多様でしたが、コードのハーモニーは美しく響き、リズムは流れるようでした。そして、常に前向きでした。
西中筋天文同好会が福知山で活動していた頃は、「ザ・ナターシャー・セブン」が最盛期を迎えようとしていた頃にあたり、ラジオKBS京都(当時は「近畿放送」だった)で「ズバリク(日本列島ズバリリクエスト)」という深夜放送を担当していました。高石さんは、京都に近い福井県の名田庄村に在住でした。その頃、田中さんが、我々の「銀河鉄道」の印刷版を何回か送られました。そして、我々の銀河鉄道の休会前号(33号・1975・10)に、高石ともやさんに記事を書いていただくことができました。これは我々の宝物になっています。私が大学生の時、田中さんと舞鶴のデパートだったかでのライブに行き、そのあと、田中さんが我々の復活した会誌を高石さんに手渡ししました。高石さんは「あぁ、あなた方だったの」とおっしゃったので、西中筋天文同好会の存在は覚えてくださっていたようです。また、中井氏と円山公園音楽堂での宵々山コンサートに行ったことがあります。「自切俳人」(北山修)が初登場し、ミヤコ蝶々と赤塚不二夫がゲスト出演した1977年だったと思います。
生で拝見したのは、上記ふくめて2、3回だったと思いますが、私にとって、高石さんは「青春の一コマ」ではとうてい済ませられませんでした。50年以上にわたって、高石さんの歌を忘れることはありませんでした。高石さんが亡くなった今後も変わることはないと思います。高石さんが亡くなっても変わらないとすれば、私の命の尽きた後も、この状況に大きな変化はない気がします。
さよなら 僕の生まれた町 僕を育ててくれた町
今は僕も大人になって 町に別れを告げる
巡る季節 流れる時 人生のそれぞれに
終わりがあり始めがある そして別れがある
(「青春の歌−さよなら−」 井上良介 作詞作曲)
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