編集後記
                       発刊部 上原 貞治
 
 
 手前味噌の話になってすみませんが、このたび、私が、日本の科学技術を中心に紹介しているTV番組、BSフジの「ガリレオX」第300回の制作のために取材を受け、インタビュー出演して放送されたことを記録しておきます。そのきっかけはネットで公開している西中筋天文同好会誌「銀河鉄道」の内容でした。当番組では、300回記念ということで、ちょうど生誕300年の「三浦梅園」(1723〜89)にスポットを当てて番組を作ろうとしたそうです。その際、銀河鉄道の私の記事の「安藤昌益と三浦梅園の自然学(後編)」(WWW版60号)に目を止められ、それで取材の申し込みになったようです。ただ、この番組は、科学番組なので、哲学の内容だけでは不足なので、麻田剛立と三浦梅園の天文学のつながりについてテーマにするということで、鹿毛敏夫先生の麻田剛立の観測資料などのご研究とともに、私の書いたケプラーの第3法則の独自発見についての説を紹介していただきました。この研究も、最初に「銀河鉄道」WWW版16号で発表したものです。まあ、どんな地味なことでも、見つけたこと、考えたことは、文章に書いてネットに載せておくものだと感じた次第です。制作スタッフの方、ご覧下さいました方々、どうもありがとうございました。
 
  前回、NHK大河ドラマの「どうする家康」について、お菓子のお土産だけふれて、内容に関することを書いていないので、今回ちょっと書いておきます。といっても、番組の内容そのものではありません。それは、徳川家康の晩年の時代が、ちょうどガリレオが望遠鏡で天体観測を始めた頃に当たるという連想によるものです。それは1609年のことで、望遠鏡自体は前年の1608年に初めてオランダで発明され、ガリレオはそれをイタリアで自作して初めて天体観測に用いたということです。
 それで、望遠鏡が最初に日本に渡ったのはいつかということになりますが、これは、もちろん1608年以降となります。だから、織田信長がばてれん宣教師からもらったとか、石田三成が関ヶ原で望遠鏡で東軍を見張ったとかいうのは、もちろんすべてフィクションです。日本に伝わったのは、徳川家康が大御所であった時代で、1613年に、イギリスから徳川に贈られたというのが日英双方の文献に残っているといいます。東インド会社の人が持ってきたということなので、やはり、ウィリアム・アダムズが主導した貿易の関係でしょう。ですから、歴史に証拠文献があるわけではありませんが、大坂冬の陣で、片桐且元か本多正純あたりが、大坂城に英国製の大筒(大砲)の狙いをつけるのに望遠鏡を使ったという設定なら、あながち否定できないことになります。家康の受け取った望遠鏡は、現物は残っていませんが、400周年を記念して英国でレプリカが作られ、静岡県などで展示されたことがあるそうで、「日本初の望遠鏡の問題」は、ほぼ決着がついているようです。写真を検索していただくと面白いと思いますが、以外にも近代的なかたちに見えます。
 
 なお、英語では、望遠鏡は"glass"です。"telescope"は後にラテン語から移入された言葉です。メガネは"glasses"だから、文献では区別の注意が必要です。日本語でも、「めがね」と「遠めがね」の違いで、昭和の時代でも、老人が望遠鏡のことを単に「めがね」と呼ぶこともありましたので紛らわしいです。顔につけるほうのメガネは、単レンズですから発明が古く、すでに戦国時代にはばてれん宣教師から伝わっていたそうです。フロイスによると、日本人は最初それを身体の一部と勘違いして、南蛮人には妙な目をつけたお化けがいると思ったそうです。だから、信長、秀吉の時代劇にメガネをかけたひとが出てきても間違いとは言えませんが、望遠鏡が出てくるとフィクションということになります。また、南蛮渡来とみられる家康のメガネ(老眼鏡)というのも現存しているそうです。 ドラマで、家康が晩年に老眼鏡を使って大坂城の絵図面を見るシーンを設けるのも一興かも知れません。


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