編集後記
上原 貞治
 
  西中筋天文同好会の発祥の地であり、本拠地である福知山。福知山と言えば明智光秀。ということで、今回は、明智光秀と今年のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』について書きたい。まず、明智光秀の城として全国で唯一、現在天守閣が建っている(再建ですが)ということで福知山城を全国の皆様に宣伝しておきます。
 
 『麒麟がくる』については、大物主演級女優の不祥事による撮影のやり直しで放送開始が遅れてさい先の悪いスタートになったが、これは序の口で、今や新型コロナ流行でもっとひどいことになっている。その中でも最大の打撃は、明智光秀ゆかりの地において観光客が十分に呼べなくなっていることであろう。福知山でも、明智光秀の大河ドラマは長年の悲願であっただけに、その落胆はさぞ大きいことと思う。光秀の丹波攻略の放送のあるであろう10〜11月頃には、多少新型コロナは落ち着いていると期待したいが、もはや世の中自粛ムードなのでブームというほどの多くの観光客はとても望めまいと思うのである。いやはや何とも運が悪いとしか言いようがない。
 
 悔やむのはこれくらいにして、これまでのところの感想を書いてみたい。『麒麟がくる』は、非常に好感の持てる時代劇ではないだろうか。明智光秀自身、主君を裏切る謀反人であるが、このドラマではもちろん善人の役である。だからといって織田信長が悪人というわけではない。このドラマでは、織田信長も斎藤道三も義龍も松永久秀も、みな手前勝手な人ではあるが悪人ではない。多少、抜けたところもあり賢いところもある。また、ぼんくら一辺倒で描いても支障ないと思われる土岐頼芸、今川義元、朝倉義景あたりも、それなりの美点のある武将として描かれている。ようするに、人々の性格や能力というのは相対的なものであり、絶対的な天才とか超人はいないのである。そのような歴史の中で「麒麟」すなわち天才的な指導者を待つというのが、この大河ドラマのテーマであり、初めから仕組まれた矛盾なのではないだろうか。光秀は麒麟を来させるためにいろいろ手を打つことになるのだが、このドラマの範囲には麒麟はいないだろう。・・・と、いろいろ予測をしたいところはあるが、後半の放送を楽しみに待つことにしたい。
 
 先日、お盆に福知山に帰った際に、福知山城の下の美術館でやっていた「明智光秀ミュージアム」の観覧をしてきた。それほどの大きな展示ではなかったが、明智光秀の書状(直筆のホンモノですよね?)をいくつか見ることができた。私は、書についてはまったくわからないが、いくつかの読める文字を見たところ、明智光秀は、真面目な中庸の人と感じた。どの文字の大きさも中くらい、自分の名前や花押も大きくは書かない、相手の名前も大きくはかかない、偉ぶったり奇をてらう部分もない、というふうに感じた。時間が無かったので、上のお城の本体のほうの展示は見られなかった。昨年、つくば市で大河ドラマ「いだてん」(東京高師〜筑波大関係)の展示を見たので、これで2年連続、「自分にとっての地元」の地で「大河ドラマの地元展」を見ることができた。

  (福知山光秀プロジェクト推進協議会)

 なお、せっかくのついでだから、明智光秀に関係するつくば市周辺の紹介もしておこう。(この一部は、茨城県の郷土史研究をしておられる方からお知恵をもらった)
 明智光秀の明智家は、土岐氏の支流と言われている。これは美濃国守護の土岐氏のことであるが、同時代の常陸国江戸崎(現・茨城県稲敷市)にも同系の土岐氏(もともとは土岐原氏)があった。上に出てきた土岐頼芸の弟が江戸崎にいて、美濃を追放された頼芸も一時身を寄せたという。また、つくば市には谷田部という城下町があり、そこの初代城主細川興元は、明智光秀の盟友の細川藤孝(幽斎)の次男である。長男の忠興は光秀の娘ガラシャたまの夫である。興元は、大坂の陣ののち常陸国筑波郡・河内郡に領地を与えられた。谷田部の城下は筑波研究学園都市ができるまでは孤立した繁華の街であったが、現在はつくば市の郊外の一住宅地のような感じになってしまった。 さらに、福知山の殿様と言えば、明智光秀に次いで、江戸時代の福知山藩主の朽木氏が名高いが、福知山の朽木氏は朽木稙昌の代に常陸国土浦藩(現在の茨城県土浦市)から転封になったものである。土浦での朽木氏は2代しかなかったが、福知山では明治の廃藩置県の時まで続いた。これらは偶然が重なったものと思うが、丹波・丹後、美濃、常陸は、 防衛の地勢上、共通点があるということもあるのではないだろうか。


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