横道相対論シリーズ(6)
 
宇宙の標準時?

上原 貞治
 
 今回は、意味もなく新奇の風を狙って、八つぁん・ご隠居の「長屋談義」形式とさせていただきます。
 
1.世界の標準時
ご隠居(以下 I): おぉ、そこを行くのは八つぁんじゃないかい。どこ行くんだい。よかったら、ちょっと寄って上がって行かないかい?
八つぁん(以下 H ): あぁ、ご隠居。これから、ちょっと買い物に行くとこなんすがね、お声をかけていただいたとあっちゃぁ、お茶の一杯でもあがっていかないといけませんねぇ。
I: おいおい相変わらずの物言いだね。まぁ、入って上がんなよ。えぇ、今日はお前さんヤケに嬉しそうじゃないかい。
H:実はね、へへへ、ご隠居。今度、息子夫婦が、おいらと嬶ァをハワイ旅行に連れてってくれるってんでね、そいで準備の買い物に出かけるところでしたのよ。
I:そうかい、そりゃぁ良かったねぇ。孝行な息子さんじゃないかね。それでいつお発ちだい?
H:お発ちって、ご隠居、おいらそんな柄じゃないんですがね、来週の金曜の夜に成田を飛行機でお発ちになって、翌日の土曜の昼間にゃぁもうワイキキの浜辺で海を見ながらカクテルを昼間っからひっかけようということでさぁ。
I:そうかい、そりゃぁうらやましいねぇ。でもね、八つぁん。お前さん、金曜日に成田から飛行機に乗るんだろ?
H:そうですよ、ご隠居。
I:そしたら、ワイキキでひっかけるのは、土曜の昼じゃなくて金曜の昼だよ。
H:えぇっ、ご隠居。何言ってるんですか? 金曜の次の日は土曜ですぜ。
I:そりゃそうなんだがね、ハワイに行くと1日日付けが遅れるんだね。
H:えぇっ、いくら飛行機が速いからって、飛行機の中で時間があとじさりするんですかい? そりゃ、むちゃくちゃですぜ。
I:ははは、八つぁん。何も時間があとずさりするわけじゃぁないよ。日本時間とハワイ時間では、あいだに日付変更線ってぇもんがあるために、おおかた1日時間が違うってわけだな。ハワイでも日本時間で通せば、時間はそのまま普通に進んでゆくんだがね。
H:そうなんですか。おいらにぁよくわからねぇけど、でも、どんな理屈でも日付があとじさりするようなことが起こっては頭がおかしくなりそうだから、ハワイに行っても日本時間で暮らさせていただきますよ。
I:まあハワイで日本時間で通すのはお前さんの勝手だがね、現地で時間を間違えて、息子さん夫婦に迷惑かけるようなことがあっちゃいけないよ。
 
H:そいにしても、何ですね、ご隠居。国ごとに時間がちがうんじゃ、今の国際社会の世の中じゃぁ、ちったぁ不便じゃないですかね。
I:どうだろね。あたしゃ飛行機が嫌いで外国など行かないから知らないが、それぞれの国で「郷に入っては郷に従え」で暮らしてれば、何とかなるんじゃないだろかね。
H:そいでも、オリンピックみたいな世界じゅうに放送したりする時や、サミットみたいな打ち合わせを違う国同士でやるときなんか、国によって時間がてんでバラバラでは、ややこしい話になりそうですね。
I:ふうん、そういうときには、世界時っていうものがあってね、その世界時を基準にして、俺のとこの国はそれより何時間進んでいるだの、あたしんとこは世界時より何時間遅れているだのと言ってね、整理をつけるんですよ。
H:そうなんですかい。そういう世界共通の時間てぇものがあるんですか。それで、その世界時っていうのは、どんな時間なんですかい。
I:それはだね、昔グリニッジ時間と言っていたものと同じで、今のイギリス標準時と同じものだね。日本とは9時間違うわけだな。
H:そうなんですか。はぁさすが、イギリスはえらいもんだね。大英帝国、日の沈むときなし、ってってね。
I:お前さん、柄に似合わず、古いことをよく知っていなさるね。
 
 
2.地球の標準時
H:じゃぁね、ご隠居。世界時ってもんでいけば、もう時間がすっ飛んだりあとじさりしたりすることはないんですね? そしたらもうややこしい話が無くていいや。
I:まあ、みんなが世界時ばかりを使えば、そういうことになるね。あぁ、でも、うるう秒ってものがあって、細かいことを言えば、こいつがちょっと面倒かもしれないな。
H: あぁ。うるう年ですかい。それならおいらも知ってまさぁ。4年にいっぺん、夏のオリンピックのある年に、2月29日があるっつう、あれでしょ。確かにあれはちとややこしいね。知らなかったら、今日は3月1日だったっけぇ...とか間違っちまいますね。
I:はは、そりゃ、「うるう年」についてはお前さんの言う通りだがね、わたしが今言ったのは「うるう秒」だよ。うるう年ではなくて、うるう秒。
H:へぇっ、うるう秒なんていうものがあるんですかい。初めて聞きましたよ。何ですか、それは。
I:うるう秒はね、簡単にいうと、あれだね、うるう年はたまに余分の1日入れるんだが、うるう秒は、たまに1秒だけ余分に入れるんだね。
H:へぇ、そんなのいつあったんですかい?
I:聞いたことないかね、八つぁん。いつ入れるとは決まってはいないんだが、今までに何度も入れているよ。まあ、日本時間では、1月1日と7月1日にしか入んないだが、毎回入るっていうわけでもないんだよ。1〜2年に一回ってとこかな。
H:はぁ、実に妙なものですね。
I:ようするに、地球の自転に時刻を合わせるためにだよ、天体観測をして、必要な場合だけ1秒入れているのさ。地球の自転は細かく言うと一定していないんだな。
H:はぁ、それで地球の自転を調節しているんですか。偉いものだね。でも、いつその1秒が入るかわからないんじゃ、時計を合わせるにも不便ですね。
I:いくら人間が偉くても地球の自転の調節などできるもんじゃない。自転に合わせて時計を調節するわけだな。いつ入れるか決まってないと言っても、事前にいつ入れるよ、って発表されるから、その時にみんなが時計を合わせればいいわけだ。細けえ話だけどね。
H:そうですかい。そうならいいですけど。おいらはどうも癇性でどうも江戸っ子は1秒まで時計が合っていないとぴちっとしねぇやな。
I:そうかい、八つぁんは1秒どころか昼も夜もないような暮らしをしているようだがね。
H:ひどいこと言いますね。そいじゃ、10年先の何年1月1日0時0分0秒が、今から何秒後かっていうのはわからない、ってことになりますね。
I:まあ、そういうことになるな。「うるう秒」は、「うるう年」と違って、いつ入れるのかがあらかじめ暦のルールに具体的に書かれていない。それがやっかいな点だね。
H:おいらは算数が苦手だからどうせ計算できないけど、どれだけ賢い人でも計算できないってぇわけですね。
I:まぁそうだね。10年で何秒かの細かい話だけどね。天文計算では、何十年先の日食の計算とかするだろう? だから、こんなことでは不便だというので、うるう秒を入れない原子時とか地球時っていうものを使うんだよ。
H:原子時? 地球時? また耳慣れないものが出て来たね。地球時っていうのは地球の自転に合わせている世界時とは違うんですか?
I:うん、今の時計の1秒っていうのは、実は、地球の自転ではなくて、原子時計で計っているんだね。原子時計の1秒が時間の1秒で、それで世界時も決めているんだよ。でも、それでは長い間に地球の自転とずれてくることがあるから、そいで、そらずれてきた、っていうことが天文観測でわかると、原子時計はいじらずに、世界時の時刻のほうに1秒を余分にいれて、時刻の表示だけ1秒だけ遅らすわけだよ。ここまでは、おわかりかな。
H:何となくわかりますがね。まずは原子時計って奴が偉くて、そんで次に地球の自転が偉いわけでしょう?
I:まぁ平たく言えばそういうことになるかね。で、そのうるう秒などは入れない、原子時計のそのままのが原子時で、それに一定の時間差を足して、昔っからの天体観測に便利なようにしたのが地球時ってわけだな。だからね、世界時はうるう秒を入れるたびに、原子時や地球時との時間差が1秒ずつ広がっていくわけだね。だから、地球時といっても、地球の自転はお構いなしなんだよ。
H:そうなんですかい。こりゃあややこしいですね。では何で、世界時のほかに地球時などという紛らわしいものがあるんですかい。
I:それはね。日常生活に地球時は使わないけど、さっき言ったように、何十年先の日食の予報の計算とか、ずっと昔の日食の観測とかを研究する時にだね、世界時を使ったら、いつといつにうるう秒を入れたかいちいち勘定に入れないと、1秒2秒が積もり積もって何十秒も間違ってしまうかもしれないだろう? また、それだと、さっき八つぁんが言ったように、未来の時間は、はっきりとは決まらないわけだ。それで、うるう秒と関係のない地球時を使えばそういうややこしいことを気にしなくてすむんだね。そいで計算して、実際に観測と比較する段になって初めて時間差を調べて、その地球時を世界時に直してやればよいわけだよ。
H:そうなんですかい。そういうことなら、何だか地球時のほうがわかりやすい気もしてきましたね。おいらは、時間ってものはお天道様が決めて天から降ってくるもんだと思っていやしたが、まあ人間様が勝手なややこしい理屈で何通りも決めているもんなんですね。
I:あぁそういうことになるかな。人間のやっていることは、お天道様に対して少々僭越かもしれないね。
 
3.宇宙の標準時
I:でもね、八つぁん、さらに細かい話をすれば、お天道様は地球時の進むとおりに動いているわけではないんだよ。八つぁんはGPSってものを知っていなさるかい?
H:ジー、ピー、エス、ですか。何か聞いたことのある横文字ですね。GPS細胞ってありましたかね?
I:そりゃiPSだ。だいぶ違うな。カーナビとか、携帯電話で、今どこにいるか教えてくれるあれだね。八つぁんは、そのGPSっていうかカーナビの理屈を知っていなさるかね?
H:ご隠居にかかっちゃ、まるで試験ですね。カーナビっていうのは、人工衛星が空の上から、クルマがどこを走っているのか見張ってるんでしょ? いやね、うちの嬶ァもね、おいらが街へ行くとどこで油を売ってるんだか、鉄砲玉でいくら待っても帰ってこないからってぇね、携帯のそのGPSとかいうやつで今どこにいるかわかるようにしてくれなんて言ってるんですがね、大の大人がどこを歩いているか空から見張られたんじゃ気色悪くてたまったもんじゃない、それじゃ浮気もできないね。
I:八つぁん、お前さん浮気をしてなさるんかい?
H:ははは、ご隠居。たとえばの話ですよ。
I:それならいいんだがね。で、八つぁん、そのGPSは、何も天からお前さんを見張っているわけじゃぁないんだよ。地上にあるGPSの受信機が人工衛星からやってくる電波を受けて、その衛星の位置と電波が伝わる時間差を使って、自分の位置を計算しているわけだな。
H:そうだったんですかい。まあ考えて見りゃ、おいらがほっつき歩いているのをずっと相手にしてるほど人工衛星も暇なわけぁありませんやね。
I:それで、その人工衛星の位置の計算と時間差を測るために、正確な時計が衛星に積んであるんだが、こいつが地球の時計とは同じように進まないんだな。
H:えっ、それは、宇宙に出たからびっくりして時計が狂うってわけですか?
I:ははは、そういうわけじゃない。正確な時計なんだからね。よくお聞きよ。アインシュタインっていう人が考えた相対性理論っていうのがあってね、重力の働きの違うところとか、お互いに高速で運動しているところの間では、時間の進み方が違うんだね。このへんの話は、すでに同じ「横道相対論シリーズ」で出た「加速度運動は一般相対論で?」(「銀河鉄道」WWW版第38号)で説明してあっから八つぁんも読んでご覧よ。
H:おいらは、そんなどこの頓馬が書いたかわからねえようなしちめんどくさいものぁ読みませんけどね、それは結局どういうことなんですかい?
I:結局は、地上と宇宙では時間の進みが違うということになるな。だから、GPSの時計から出てくる時刻情報を地球の時刻と照らし合わせる時には、その相対性理論に基づく補正をしてやらないといけないということだね。
H:はぁ。宇宙じゃ地べたの時計と時間が合わないというわけですね。じゃぁ、地球時とも合わないっていうわけだ。
I:そういうことだね。地球時は、原子時計が地球表面の重力の強さに影響されているから、地球表面でしか通用しないわけだな。だから、月とか人工衛星とか地球に近い宇宙にあるあれやこれやの物の動きを計算する時は、地球時ではなく、地球の中心の重力が働かないというところにある時計を想定して、それに基づいて計算を行うんだよ。こういう考え方に基づく時刻を座標時とか力学時とか言うんだな。
H:まあお月さんまで地べたの理屈が通用しないのは、仕方ないのかもしれませんね。それじゃあ、お天道様はどうなんですか?
I:地球は太陽の周りを楕円軌道で回ってるだろう? だから、それによって、地球の時刻も太陽系の空間と比べれば進み遅れをするわけだね。それに太陽の近くには強い重力があって、時間はそれの影響も受ける。だから、太陽系の天体、惑星とかだね、そういうものの動きを正確に計算したい時には、太陽系の中心に据えた時計を想定して太陽系座標時というのを使うことがあるんだよ。
H:へぇー。驚きましたね。本当に太陽に時計が据えてあるんですかい?
I:時計がそんなところに本当に置いてあるわけはないやな。置いたと空想して、相対性理論に従ってその時間の進みを計算するわけだね。
H:そうなんですか、おいらはもうびっくりしました。で、その計算とやらは正しいんですかい、ご隠居?
I:時計を置かずに人間の作った考えでする計算だからね、それがほんとに正しいかどうか確かめる方法はないよね。だから、まあ研究のためにそういう仮定の計算をするっていうだけで、地球中心(地心)座標時も太陽系座標時も公式に定められた時刻ではないんだな。公式に定められているのは地球時までで、あとは研究用にとりあえず決めたってとこかな。
 
H:はぁ、そんなもんですか。でも、何ですね、ご隠居。宇宙に行くと時間が変わってくるんですね。おいらもこんどハワイまで飛行機で行って帰ってくるから、おいらの時計も少しは違ってくるのかもしれないな。
I:まあ理屈ではそうなるな。たった1億分の1秒とかそんなものだから、お前さんの時計がどれほど正確でも決してわかるもんじゃないよ。
H:そうですか。おいらの時計は、死んだ親父の形見のスイス製自動巻で、けっこう正確なんすけどね、それでも、何日か経つと何秒かは狂っているからね。ラジオの時報でちょいちょい合わせてっけど。
I:まぁいずれにしても、各人の時計は、時々、電波時計とかGPSを使って、標準時に合わせてやらないといけないと正確さは保てないわけだな。でも、そうして合わせてやれば世界中の人が同じ世界時を共有できるというわけだ。
H:ご隠居、おかげさまでだいぶわかってきました。将来、誰も彼も宇宙旅行に行くようになったら、その太陽系座標時とかが公式の時間になるかもしれませんよ。
I:そうだね。人間が他の天体に移住するようになれば、きっと「宇宙標準時」とかいうのが決められるようになるだろうよ。
H:宇宙標準時かぁ、ガキの頃に見たテレビ映画で「スタートレック」ってのがあって、確か「宇宙暦」っていうのがでてきたけど、本当にそういうものが必要になるんですねぇ。おいらこの年になって初めてわかりましたよ...エンタープライズ号のカーク船長カッコよかったなぁ。
 
I:じゃぁ、あまり買い物が遅くなって、お前さんが奥方にGPSをつけられることになっても気の毒だから、このくらいにして買い物に行ってらっしゃい。
H:ご隠居、おかみさん。お茶ごちそうさまでした。そうさせてもらいます。
I:そいじゃ、気をつけてハワイを楽しんできておくれ。元気でな。
H:へい、今日聞かせて貰った時間の珍しい話を、向こうへ行く飛行機の中で嬶ァにもひけらかしてやりまさぁ。
I:そうかい、そうかい。まぁ空の旅を楽しむのもけっこうだがね、話に夢中になって、ハワイに着いた時に「時差ボケ」になって息子さんたちに迷惑をかけないよう、ほどほどに気をつけたほうがいいよ。
H:なぁにご隠居、ご心配なく。おいらはまだまだボケる年じゃないですよ。ご隠居こそ、「爺さんボケ」にならないよう気をつけないといけないですよ。
 
 それでは、おあとがよろしいようで...
 
 
 

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