4.まとめ
- 江戸時代の日本に基礎科学といえるものは確かにあったようである。しかし、それは断片的なものであったし、当時の西洋と対抗できるレベルのものはほとんどなかった。ただ、小さいながらもキラリと光るものはいくつかあった。江戸時代の日本の科学のレベルが西洋と拮抗していたと考えるのが大きな間違いであると同様に、江戸時代の日本の学者が西洋の科学をただひたすら受動的に学んだと考えるのも大間違いである。
- 江戸時代中期までの日本の基礎科学(すなわち科学哲学)はほとんど西洋科学の影響を受けていない。それにもかかわらず、その手法や考え方が西洋科学のそれに似たものがしばしば見受けられるのはおもしろい。当時の日本の知識人が思考のベースとしたものは中国哲学であったが、自然科学に興味を持つ人にとって中国流の複雑で形式的ともいえる考え方は本当はしっくり来なかったのではないか。それで、彼らは中国流のベースをただ「かたち」としてだけ受け入れ、それに西洋的な考えに近い合理的な思想を盛り込んだのであろう。西洋科学は西洋の近代的合理主義の成果であるが、日本の基礎科学は日本的合理主義から生まれてきたものといえよう。
- 西洋の科学思想における合理主義を一言で言えば、「宇宙を支配する唯一の存在である神が造った科学法則は崇高にして美しいものであるはずであり、論理的な方法によりこれを完全に解明できる」ということである。一方、日本的合理主義は、これよりはるかに実用に重点を置き、現実的な解決が得られる方法を尊ぶ傾向のものと考えられる。「どうせ自然の奥底は我々には当面理解できないのだから、とにかく正解にいちばん近い答えが得られる手段が最高の手段ではないか」というようなところだろう。
- このように考えると、日本の基礎科学は、中国や西洋のたんなる真似でもなければ取捨選択でもない、日本人なりの価値観により構成された独自のものといえよう。そういう意味で、江戸時代の科学は、世界の他の歴史的に孤立した文化、古代のインドやアラビア、中南米文明のそれとも比較されるべきである。
- さらに、もうひとつ、日本の江戸時代には、世界史の他の部分には見られない決定的な事実がある。それは、西洋の学問の原著(蘭書)が、単独で、つまり西洋人の教師・指導者あるいは宣教師・軍隊に付き添われないで海を渡って来たということである。鎖国下の日本では、西洋の学問は書物のみで輸入されたので、日本人はそれを自分で苦労して翻訳をしなければならなかった。しかし、そのかわり自分勝手な解釈をすることもできたのである。そして、この状態はなんと百年近くも続いた。こういう状況下ではどういうことがおこるか、これを歴史的事実として提示することができたのは、江戸時代の日本が空前絶後であったのではないか。いろんな捉え方があるだろうが、一言で言えば、日本人は非常に冷静に西洋の科学を道具(手段)として「導入」することに成功した。混乱や争いは、ほとんどおこらなかった、というのがこの実験の答えである。
- 我々は、基礎科学といえば西洋近代科学が唯一のあり方だと頭から信じていたのではないか。しかし、世界史の別の部分、つまり日本史に、小さいながら貴重な例外があったようである。
- 三浦梅園、帆足万里にかんする文献や資料を紹介し貸して下さったいるか書房の上門卓弘氏に感謝いたします。また、和算における円理の発展について詳しくご教授下さいました小川束氏に感謝の意を表します。
参考文献
- 三浦梅園自然哲学論集、尾形純夫、島田虔次、岩波文庫、1998
- 三浦梅園、日本の名著、中央公論社、1982
- 三浦梅園、日本思想体系、岩波書店、1982
- 洋学 下、日本思想体系、岩波書店、1972
- 富永仲基、山片蟠桃、日本思想体系、岩波書店、1973
- 日本の天文学、中山茂、岩波新書、1972
- 萬里祭記念講演集、日出町
- 帆足万里の世界、狭間久、大分合同新聞社、1993
- 明治前日本天文学史、日本学士院編、日本学術振興会、1960
- 近世日本科学史と麻田剛立、渡辺敏夫、雄山閣、1983
- 麻田剛立資料集、大分県先哲叢書、大分県教育委員会、1999
- 近世日本天文学史(全2巻)、渡部敏夫、恒星社
- 関孝和 その業績と伝記、平山諦、恒星社、1959
- 日本の数学 何題解けますか 上・下、深川英俊、ダン・ソコロスキー、森北出版、1994
- 日本の数学と算額、深川英俊、森北出版、1998
- パソコンで挑む円周率、大野栄一、講談社ブルーバックス、1991
- 日本の数学、小倉金之助、岩波新書、1940
- 近世日本数学における円理の萌芽とその特質、小川束
- 近世日本数学における解析的算法(円理)の歴史、日本数学会企画特別講演(学習院大学)、小川束
- 明治前日本数学史(全5巻)、日本学士院編、日本学術振興会
- 綴術算経、建部賢弘、1722
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