大望遠鏡も高価な装置も使わない最先端の天文学研究
上原 貞治
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目次
「ただ星をながめたり、きれいな写真を撮ったりするだけでは物足りない。なにか天文学に貢献できる観測をしたいが、高価な装置を買う金もない。」と考えているあなたのためにこれを書きました。立派な観測をするためには、良い装置と技術と根性が必要ですが、この3つのうちぜひとも必要なのが根性で、必ずしも必要ないのが良い装置です。
「天文学の最先端に貢献するためには、大きな天体望遠鏡や最新の高価な天文機器が必要だ。」、これは、当たり前のことであり常識であると言わなければなりません。小さい望遠鏡やろくな機械も使わずにできる天文研究は、とうの昔にやり尽くされており、そんなものは今や最先端どころか時代遅れの研究になっているからです。しかし、何事にも例外があります。大望遠鏡も高価な装置も使わない最先端の天文研究は、まだ残っているのです。それらは、次のような性格を持っている分野に属するものです。
1) 観測する場所により全く見え方が違う現象
大望遠鏡は世界中いたるところにあるわけではありません。興味深い現象が、大望遠鏡がない特定の地域でのみ見られるならば、そこにある小望遠鏡がものをいうことになります。
2) いつ起こるかどうかわからない珍しい現象
誰でもそうですが、特に大望遠鏡をかかえている天文学者は、いつ起こるかわからない現象をひたすら待っているほど暇ではありません。こういう現象を見た人は、誰であっても貴重な経験をした人ということになります。
3) 観測に成功する確率がかなり低い現象
我々が期待しているとおりに現象が見られる確率が非常に低いという場合や条件が悪くよほど運が良くないと見られないという場合は、プロの観測者は、観測を敬遠することになります。労力をかけても論文にならない可能性が大きいからです。そこで、金をかけていないアマチュアは、「失敗してもともと」と観測をし、金がかからないのをいいことに失敗を繰り返し、やがては成功のチャンスをつかむことになるのです。
4) 大望遠鏡が特に役に立たない現象
大望遠鏡がないことが何のハンディにもならないことは明らかです。
5) 最近まであまり注目されていなかった現象
今までに蓄積されているデータが少ないので、どんな観測でも意味があります。
上のどれか一つの条件に合えばもうじゅうぶんです。2つ以上の条件にあっているなら申し分ありません。これらの条件に当てはまる現象は結構ありそうですね。
ある天体の背後に別の天体が隠される現象を「掩蔽(えんぺい)」といいます。、それで、月が星を隠す現象は、「月による星の掩蔽」というべきなのでしょうが言葉が難しいので、素人向きには単に「星食」と呼んでいます。隠す天体が比較的小さい場合は、地球上の特定の場所でしかこの現象は見られないことになります。月の直径は地球のそれの約1/4なので、地球上でこの現象が見られる場所はある程度限られます。しかし、月が移動していくことを考えるとかなり広い地域で、見られることになります。
星食は、大望遠鏡が特に必要のない観測対象です。というのは、星食においては、月が星を隠す瞬間あるいは月の背後から星がでてくる瞬間の時刻を測ることが重要だからです。この時刻の測定に大望遠鏡を使ってもたいしたメリットはありません。小望遠鏡を目で覗いて(眼視観測という)ストップウォッチなどで時刻を測るので十分な精度がでます。もちろん、光電管などの装置が使えればいうことありませんが、月面の明るく光っている部分の近くで現象が起こる場合は光電管も使いにくくなります。まあ、0.1秒の測定精度がでれば一応十分で、慣れれば、眼視手動計時でもなんとかこの精度に迫ることはできるでしょう。ビデオカメラが利用できれば精度は上がりますが、星が暗い場合はそれなりの高価な装置が必要となります。
ところで、近年これに問題が生じてきました。星食の観測の目的は、月の位置と星の位置の関係から、星空の正確な座標系を定めることにあったのですが、近年、月の位置のレーザー観測や電波干渉計による天体電波源の観測の精度が上がって星食観測の価値は相対的に落ちてきたのです。それで、星食観測は最先端の天文学に寄与できなくなってきました。
ただ、月の周縁の地形を観測するには、星食はまだまだ有効な観測法です。月の表面は山あり谷ありの複雑な地形ですから、星食の起こり方はこの地形を反映することになります。特に、月の北あるいは南の端を恒星がかすめる(本当は、月の端が恒星をかすめるのですが)「接食」の観測は、現在でも詳しくわかっていない月の極地方の地形を知るのに役に立ちます。接食の観測は、星食の見られる地域の境界付近に観測者を複数配置して行うのが有効です。わずか数百メートルしか離れていない観測者の間で現象の見え方が全く違うということが起こり得ます。しかし、この接食の観測も、将来、極軌道を回る月周回探査器が、月の詳しい地図を作るようになればその価値を失うこととなるでしょう。
皆既日食は、同じ場所では、360年に1回しか見られないといわれています。それで、皆既日食をすぐにでも見たい人は、それが起こるところまで出かけなくてはなりません。それは、えてして交通の不便なところであったり、旅行に危険が伴うところであったりします。そういうわけで、大望遠鏡で皆既日食を観測するというわけにはなかなかいきません。
それでは、小望遠鏡をかついで旅行し、皆既日食を見て何の観測ができるでしょうか? コロナの形の観測というのは興味深く、たいした装置もなく可能です。コロナの形は太陽の活動状況により変化し、特に外部コロナは、皆既日食の時しか観測できません。また、皆既日食の始めと終わりの時刻を正確に測ることにより、太陽の正確な大きさを測ることができます。太陽の大きさは、変動しているという興味深い説があり、皆既日食は正確な観測をするチャンスなのです。こういう観測もたいした装置なしにできる可能性があります。しかし、皆既日食の観測には、必ずプロがそれなりの装備をしてきているはずなので、こういう観測は彼らに任せてしまい、ただただ皆既日食の美しさを堪能するのが正しいアマチュアの態度かもしれません。
小惑星の大きさを測る方法として近年注目されているのが小惑星による掩蔽です。掩蔽というのは難しい言葉なのでただ単に「小惑星による食」と言う人もいます。小惑星の大きさを望遠鏡で見て直接測るのは、ほとんどの小惑星に対しては不可能です。これは、多くの小惑星の直径が100km以下と小さいことによります。ところが、小惑星がその背後に恒星を隠すときは大変なチャンスです。恒星の方が小惑星よりずっと明るい場合は恒星が暗くなるあるいは消えるように見えるので簡単に観測できます。その継続時間および掩蔽が見られた地域の幅から小惑星の大きさが測れます。直径が100km以下の小惑星による掩蔽が見られる地域は、やはり地上でもそう広い地域ではありませんから、この地域で観測する人は貴重なデータを得ることになります。
数千もある小惑星のうちの1個の直径がわかったところでなんになると思われるかもしれません。しかし、小惑星の大きさがわかるということは、その小惑星の表面の反射率がわかるということなのです。小惑星には反射率の違うグループが存在しており、小惑星の表面にある物質の系統的な研究、ひいては、小惑星の起源の研究に貴重な手がかりを与えることになります。
最近、地球に接近した小惑星のレーダー画像が捕らえられました。また、ハッブルスペーステレスコープにより大きめの小惑星の表面の模様の写真が撮られています。しかし、この手の観測を一般の小惑星についても行うことは、まだ当面は困難で、小惑星による掩蔽の観測は、ここしばらくはその価値を失うことはないでしょう。
皆既月食は、いわゆる掩蔽とは異なり、月面が本当に暗くなる、本来の意味での「食」という現象なので、月の地球の方向に向いている面が見られる場所ならどこでも、「月食」として見られます。それで、地域性を生かした観測もできませんし、食の始めや終わりの時刻の測定は影の境界がぼやけていて難しいこともあり、あまり価値がありません。
唯一おもしろいのは、皆既中の月の明るさや色の観察です。これは、そのときの地球大気の状態を反映していると考えられます。地球上での火山活動などの影響を受けると言われていますが、実際、皆既月食ごとにかなりの違いが見受けられます。ただ、月が地球の影にどれほど深く入っているかによっても違いがでるので注意が必要です。さて、どれほどの学問的価値があるかですが、これは私にはよくわかりません。専門家は、あまりこういう研究はしていないのではないかと思います。地球の大気の研究には、皆既月食を待たずにできる方法がいろいろとありますから。結局、観測する人の根気(多くの皆既月食を観測するという)と信念によって価値が出てくるのではないでしょうか。
彗星は、いろんな意味でアマチュア向けの天体といえます。その発見や観測には必ずしも大望遠鏡を必要としません。とくに、全光度の観測や尾の観測には、小望遠鏡や双眼鏡、時には肉眼による眼視観測が有効です。彗星は、かなり大きな広がりを持っている場合、視野の狭い大望遠鏡やCCDカメラ、光電管による測光には向いていません。こういう観測には、写真や小望遠鏡で十分であるというよりも、むしろこういう簡単な装置が向いていると言うべきでしょう。現在でも全光度を見積もる観測は通常眼視で行われています。こういう淡く広がった天体の場合、大望遠鏡を眼視で覗いても決して見やすくなりません。正確な光度の見積もりには経験を要しますが、たとえば7等より明るい彗星の場合これは双眼鏡でも可能です。
尾の観測にも双眼鏡が向いています。彗星の明るさや形状の眼視による継続的な観測は、彗星の物理に関して貴重なデータとなります。ただ、尾の形状の研究などには写真やCCDカメラによる観測の方が向いています。
発見後間もない彗星や日出直前または日没直後地平線近くにある彗星は、観測者が少ないので、観測すれば貴重な観測となります。また、彗星は、短期間だけ急に明るくなるアウトバーストと呼ばれる現象を起こすことがあるので、こういう貴重な現象を捕らえることは価値があります。
さて、小望遠鏡や小双眼鏡で彗星の発見はできるのでしょうか? 30年前ならともかく、現在ではこれはかなり難しいようです。眼視による発見は現在でも行われていますが、25cm以上の望遠鏡または15cm程度の双眼鏡が必要であるようです。写真の場合はもっと小さな望遠鏡でも発見可能ですが、撮影後すぐに確認しなければならないのが難点でこれには特別な態勢が必要となるでしょう。小望遠鏡による眼視による彗星の発見は全く不可能であるというわけではありませんが、かなりの眼力とよほどの幸運が必要となるでしょう。
流星観測は通常肉眼で行われますので、この場合、たいした装置はいりません。流星群の場合、数時間だけ、場合によっては、1時間以下だけ突発的な出現をすることがあります。こういう場合、流星が飛んでくる方向(輻射点)が、ある程度の高さに上がっていないとこういうような大出現は見られないので、世界的にも観測できる場所は限られてしまい、たとえば日本やその近くでしか見られなかったということもしばしば起こります。こういう場合の観測は、流星群の観測史に残る貴重なものになるかもしれません。
流星の観測は、あまりにもたいした装置なしに、最先端に迫る研究ができますのでここにいろいろと書く気が起こりません。要はアイデア次第ということです。昼間でもできるFM観測というのがありますが、これもFMラジオがあればあとは適当なアンテナを立てればできますのでたいして金はかかりません。
新星とは、今まで暗くて観測されていなかった星が急に明るくなり、あたかも新しい星が出現したかのように見える現象です。新星の発見は、彗星の発見によく似た事情でアマチュア向けといえます。そして、彗星の場合とは違いたいした装置を必要としません。まさに、安価な装置で貴重な天文現象の生起を発見できるわけです。
その要因のひとつは、新星は急に、たとえば、1〜2日で望遠鏡でも全く見えない状態から双眼鏡などでも見える明るさまで増光することです。暗い星は、それこそ星の数ほどありますし、どの星が新星になるのかは、通常は予想できませんから、まさに、今までになかった星の存在に気がついて「新星の発見」となるのです。大望遠鏡で空じゅうを常にしらみつぶしに探すということはしていないので、双眼鏡や小型カメラでの捜索が有効になります。しかし、彗星がぼっーと広がった天体であるために鋭眼を要するのに対し、新星は見かけ上はふつうの星ですから、ひたすら、過去にはなかった星を探せばよいことになります。そのぶん装置の良否がさほど影響しないことになります。ただ、見つけた星がすでに知られている星(恒星、変光星、小惑星など)でないことを証明するために、星図、星表や小惑星の位置推算表などの細かい情報が必要となります。
新星の出現頻度は、彗星と比べてもかなり少ないのですが、同じ人がまたしても新星を見つけているようで、新星発見には特別なコツがあるようにも見受けられます。
新星は、発見された後はその光度の変化の観測が重要でこれは普通の変光星の観測に準ずることになります。「新星も見つかりゃただの変光星」
超新星は、新星よりずっと大きく増光する物理的にも新星とは異なる現象ですが、発見法については銀河系内の超新星に関しては事情は同じです。ただし、ここ400年ほど銀河系内での超新星の発見はありません。別の銀河に出現する超新星は、多くの銀河の近傍を組織的に捜索して発見されています。多くの場合、14等以下の暗いものなので眼視での発見は困難です。1987年の大マゼラン雲に出現した超新星は、たまたま肉眼で発見されましたがこれは例外中の例外というべきものです。
変光星とは、明るさを変える恒星のことで、新星もその一種です。普通の変光星が新星と違うところは、その星が明るさを変えることが昔から知られていることです。それで、その観測は明るさの変化を追うということになります。これは、
プロが行うに値するものなのですが、変光星はなんせ数が多く種類も多いのでプロがそのすべてについて観測し把握することは不可能なのでアマチュアの出る幕があります。その点、新星は目立つのでプロが喜んで観測しそうですが、こちらは発見後も、数時間から数日で光度が変化することもしばしばなので、夜で新星が空にのぼっていて天候が良いところでしか観測できないことを考えると、世界中に多くの観測者が必要となりアマチュアの手も借りたくなるというものです。多くの場合、光度の見積もりは眼視で行われます。これは多少の経験を要しますが、望遠鏡や双眼鏡以外の装置は必要ではありません。
数年とか数十年に一度しか起こらない現象で、いつそれが起こるかわからないような現象を、たまたま見た人は学問的に貴重な経験をしたことになります。こういう現象を見たときは、おちついてそれを見ていない研究者が研究資料にできるような記録を残すことが必要です。このような珍しい現象は見ようと思って見られるものではありませんので、それをひたすら待っても仕方のないことですが、
ひょっとしたら見られるかもしれないと普段から気を配っていると見られる確率が上がるかもしれません。
太陽面における爆発現象がフレアで、白く輝くらしいのですが見たことがないので詳細はわかりません。また、太陽で大爆発が起こると2日くらい後で地球の低緯度地方でもオーロラが見られることがあるといいます。これは、爆発に伴って太陽から放出された陽子などの荷電粒子が、地球までとどいて上層の大気と相互作用するためだといわれています。低緯度オーロラは、極地方で見られるものと違って、カーテン状にはなっておらず、空が薄赤く輝くのだそうですが見たことがないので詳細は不明です。北海道など比較的緯度の高いところの方が出現頻度は高いようですが、高知県や宮崎県でも観測されたことがあります。
流星が大気中で燃え尽きず地上まで達したものを隕石と呼んでいます。隕石の落下は、地上で隕石を採集することで確認されますが、落下が目撃された隕石を採集することができることはかなりまれです。落下の観測により、隕石がもと走っていた軌道が計算でき、隕石の成分の分析と併せて貴重なデータが得られます。
落下が観測されていない隕石が地上で発見されることはしばしばあります。また、隕石の落下が目撃されても海上や山地に落下した場合は、採集が非常に困難となります。
閃光星というのは変光星の一種で、1時間とか数時間とかごく短時間だけ増光するものをいいます。多くの場合、増光は突発的で、いつ増光するかは予想できません。個々の閃光星が増光することはきわめてまれなので、その星が閃光星なのかどうかはっきり確認されていないケースも多いようです。ガンマ線バーストという現象が最近注目されているようですが、このある方向からのガンマ線が一瞬強くなる現象に伴って、可視光でも増光が確認されているのか詳しいことは私は知りません。
死の世界であるはずの月面がときどき突発的に変化するという現象が報告されています。月面のごく一部が輝くとか、ガスのようなものがかかるとかいう場合が多いようです。これは、月面に隕石が落下したとか、地崩れや岩の崩落が起こったとかのショックで、発光が起こるのが原因ではないかと言われていますが、はっきりとしたことは何一つわかっていません。錯覚による報告が多いと思われますが、中には真の現象の目撃もあると思われます。
以上、いろいろと書いてきましたが、天文観測装置の発達によって、たいした装置もなしに最先端の研究に貢献できる分野はだんだん減ってきているようです。大望遠鏡を使って惑星観測を継続的に行える人が少なかった今から40年前なら、惑星面の観測というのもリストに上がったかもしれません。しかし、民間や地方公共団体所有の大口径の望遠鏡が各地に設置された現在、小望遠鏡でそれらに対抗することは困難です。このリストにあげた、(月のよる)星食は遠からずその価値を失うことでしょう。いずれは、彗星や新星は、すべてコンピュータ制御の機械で自動的に発見されるのが当たり前になるかもしれませんし、そうでなくても、光度や形状の観測はコンピュータによる画像処理技術などを用いる方が、眼視より精度が良くなる日がすぐに来ると思われます。このリストはいずれ全滅になるかもしれません。
それでも、これだけは言えます。天文現象の観測は装置だけで行われるわけではないということです。重要なのは、「観測をしよう」という人間の意志です。「どこに目をつけるか」、「どういう方法で観測をするか」、結局はアイデアの勝負なのです。アイデアを思いつくのには、必ずしも装置は必要ありません。