北硫黄島・石野遺跡の線刻画は星座と考えられるか
        −幾何学的な見地からのアプローチによる考察−
                        上原貞治
 
解題
 以下の小論は、東京都教育庁の調査によって北硫黄島に発見された石野遺跡の中にある巨石に刻まれた線刻画について検討したものである。石野遺跡は約2000年前に作られたものと推測されるが、誰が作ったのかどの文化圏に属するものかははっきりとしていない。線刻画が意味するものについても、遺跡の調査を行った研究者などによりいくつかの解釈の説が出されたが確定的なことはわかっていない。筆者は、この線刻画が星座をかたどったものであるという説をかかげ、その妥当性について考察をおこなった。以下の本文は1995年に書かれたものである。
 
0.序
 この小論で、北硫黄島・石野遺跡の巨石に刻まれた線刻画が、星座をかたどったものであるかどうかについて考察してみたい。線刻画を刻んだ北硫黄島の文化の背景については、専門の方々の今後の研究を待ちたいと思う。しかし、世界各地の文化に対する考古学的・民俗学的調査によると、人間は、古代より夜空の星々に関心を示し様々な星座を作り上げたこと、そして、未だ文明の域に達していなかったような未開の文化においても、農耕や航海術のために広く星座を利用したことがわかっており、このことから、北硫黄島の住民も、天に星座をたどり岩(以下の本論では、石野遣跡の「巨石」を一般的に「岩」として引用する)に刻む「動機」だけは少なくともあったと推測できる。ここでは、東京都教育庁の早川泉氏よりいただいだ写真および早川氏のそれへの加筆、それに、報告書に出ていることを材料として、文化的背景はさておき、純枠に天文学的、地理学的、幾何学的に見て、この線刻画が星座と考えてよいかということについて検討する。もとより、人間が星を見、岩に刻むものであるから、どうしても、人間個人の感性に依った結果が岩に刻まれることになる。古代人の感性については我々現代人の想像の及ぶところではないが、ここでは、我々と大きな差がなかったとして話を進めざるを得ない。
 ここでは、「線刻画は、星座を刻んだものである」という「仮定」をたてて議論を進める。議論において、大きな矛盾が出てくれば、この仮定は正しくないものとして取り下げざるを得ない矛盾がない場合は、仮定が正しい可能性が残ることとなる。しかし、いくらうまく説明できたところで、たった数片の線刻画に対し、この仮定が正しいという証明ができることはない。しかし、もしこの線刻画が星座を描いたものであるとすれば、文明が未開の状態にある人々によって岩に描かれた星座の図として、世界にほとんど類例を見ない貴重な遺跡となるので、その可能性について論じることは大いに価値がある。
 
1.星座をつくること
 文字を持たなかった人々が星座を知るには、自ら夜空を眺めてそれをつくるか、もしくは、他の人にそれを実際の夜空でたどってもらい教わるしかなかったであろう)地面などに棒切れで、星座の図を書いてもらって学んだこともあったかもしれないが、これではなかなか正確に伝わらなかっただろうと想像される。星座は、読んで学ぶものでなく夜空に「発見する」ものであったはずである。
 いずれにしても、写真術や器械による測量術がなかった時代には、まず、夜空で、特定の複数の星を選び、それを、線でつなぎ、記憶することなしには、岩にそれを刻むことはできなかったのは当然である。つまり、星座を作ることとは、「ある方向の夜空に注目し」、「特定の星を選び」、「線でつなぎ」、そして記憶することであったといえよう。この各段階について具体的に 検討してみよう。
 
@ある方向の夜空に注目すること
 星座を作るときどの方向の空に注目するかであるが、明るい星が多い方向、星空が美しい方向が、目立つのでまず取り上げられたであろう。北や南の特定の方角にしか出ない星も方角を知る上で注目されたであろうが、これらも、まず目立つ星座を出発点として星空をたどることにより見つけられたことと思われる。
 線刻画の写真を図1に示す。現地での調査にもとづき、写真では見にくい線刻画の様子が加筆されている。私は、まず、線刻画において、右下の十字型のものを白鳥座と仮定したい(南十字座と見ることもできるかもしれないので、それについてはいちばんあとでまとめて検討する)。その埋由は、Aで説明する。この線刻画を白鳥座付近を描いたものとするならば、その方向は、全天でも有数の星の美しい方向であることは間違いがない。おそらく、冬のオリオン座付近、南天の銀河、さそり座、などと並ぶトップクラスの天の名所であろう。カシオペア座から鷲座までは、天球でかなり離れているが、夏から秋の銀河として秋の夜空に一連のパノラマとして望むことができる。
 遣跡が造られたと推定されている約2000年前の北硫黄島においても、この方向の星空は、秋の北から西の空に美しく眺められた。北硫黄島は、東京より緯度で10度近く南にあるが、地軸の方向が円を描いて変わる「歳差」と呼ばれる現象により、この方向の空は、たまたま、現代の我々が日本本土から眺めるのとそう変わらない形で当時の北硫黄島で見えたことが計算によりわかっている。図2に現在および約2000年前の北硫黄島から見た西の空および北の空に見える星々を示す。星自体の動き(固有運動)で長い間には星座の形はゆがんでいくのであるが、2000年程度では目につくほどの変化はないので、今回の議論ではこの効果は無視してよい。はるかな海の上、北西の空の銀河の中にあたかも十字架のように立つ白鳥座は、キリスト教徒でないものにも強い印象を与えたであろう。
 
A特定の星を選ぶこと
 星座を作るには、一つの星座を作る星の組み合わせを選択しなけれはならない。どういう星の組が一つの星座を作るかは、全く人間の感性に依るわけであるが、これについては、古今東西の様々な文化においてどのような星座が作られたか研究することが役に立つ。現在、我々が学校で教わる星座は、現代天文学で世界共通に認められているもの(現行星座)であるが、これは、古代オリエントに源を発し、古代ギリシアでまとめられた星座に近世・近代のヨーロッパで新しく作られた星座が加えられたものである。しかし、これ以外の系列の星座も世界各地で作られた。古代中国の星座は、ひとつの体系をなし、中国で見られる天のすべての方向について設けられ、占星術のために長い時代にわたって用いられた。これ以外の地方の星座は、その地方地方で、空のある部分部分に設けられた体系だっていないものであったが、それでも、農耕や航梅のために用いるには十分のものであったので、多くの人に使用され愛着を持たれたものであった。そしてそれは、詩やことわざのかたちをとり、人から人へ受け継がれたのである。その文化的価値は、現行星座や古代中国の星座と比べて決して劣るものではない。西洋の教育が入ってくるまでの日本の民間に伝えられた星座や、オセアニアの海の民やアメリカ大陸の先住民が作った星座は、これらの星座とは独立に作られたものとして今回の検討に非常に役に立つ。
 違う系列の星座を比べてわかることは、民族が違っても、似た星座を作っているということである。民族により、文化的背景や生活環境が違うので、星座が何に見えるか、つまり、どういう名前を付けるかは全く違う。同じなのは、ある星の組み合わせをひとつの星座と見る点にある。北斗七星を例に取ろう。これは、中国では、その名の通りひとつの「ヒシャク」である。現行星座では、「大熊座」の一部で、熊の腰から尻尾にあたる。アメリカインディアンのある部族では、熊(偶然にも!、ただしこちらは、北斗のマスの4星のみを一頭の熊と見る)を追いかける3人の人間(柄の3星)とみている。日本では、例えぱ船の梶棒と見ている。いずれにしても、この7星は、ひとつの星座に入れられており、一連のものと見られている。
 しかし、アメリカインディアンは、これを熊と3人に分けてみており、現行星座では、大きな熊の身体のごく一部としてみている。つまり、ひとつの星座をどれだけの大きさでつかむかは民族によって違ったようである。現行星座は、その主要なものは、古代ギリシアでまとめられたものであるが、古代バビロニアの時代から伝えられたものであった。それらの星座は、一つ一つがとても大きいことが特徴である。一方、中国や日本の民間の星座は、一つ一つの大きさが小さい。これは、おそらく星座の用途の違いによるものであったと思われる。つまり、現行星座は、壮大な物語を天に描くためのものであり、古代中国の星座は、空を分割することにより空に複雑な中国の社会の雛形を作り占いに用いるためであったからである。農耕民族や海の民が、必要とした星座は、季節や方角を知るためのものであったから、小さい方が覚えやすく方向もより正確に定義することができたであろう。話が多少横道にそれたが、重要なことは、小さい系統の星座をいくつか組み合わせば、大きい系統の一つの星座ができることになっていること、つまり、小さい系統の星座は、大きい系統のひとつの星座の部分となっていることである。ある地方では、別の地方の2つの星座にまたがりその一部分づつを拝借して一つの星座を使っているというようなことはほとんどない。かりに隣の星座から一部を拝借したとしても、それは、1つか2つの星にとどまり、星座の主要な部分は共通である場合が大部分である。今の我々が、古代中国の星座を見ると、ちょっと見た目は、現行の星座と全く違うように見えるが、わかるところから一つづつ星座をたどっていくと、どれが我々の知っているどの星座に対応するかは大きな苦労なしにわかる。 もし、現実とは逆に、古代中国人が現行星座と全く違う組み合わせで空じゅうに星座を作っていたとすれば、我々は、相当の混乱なしには、このパズルを解くことはできなかったであろう。このことにより、「北硫黄島の星座」を解くための非常に簡単な方法が得られる。つまり、かなりの確率で、北硫黄島の星座の一つは、現行星座の一つと一致するか、もしくは、現行星座の一つの星座の一部となっていることが期待できるわけである。現行星座は、十分大きいので、それを二つ組み合わせて一つの星座にすることはあまり考えられないのである。
 ここで、私は、線刻画に具体的な星座を当てはめたいと思う。もちろんこれは仮定である。別の仮定については後で議論するが、選択の自由度は決して多くない。
 線刻画は、4つの部分(形象と呼ぼう)からなるとする。「右上の形象」は、Mの字を上下に押しつぶしたように見える。中央よりやや左でとぎれているが、これについては後で考察することにしてとりあえず一つの形象とみなす。線が太くタッチも全体で共通している。「右下の形象」は、大きく鮮やかな十字型をしている。中央と下端で線か2重になっている。「左上の形象」は、小さな菱形をしており真ん中に短い線が入っているようである。「左下の形象」は、ギリシア文字のアルファ(α)を横に引き延ばしたようなかたちをしている。
 もっとも明確なかたちをしている「右下の形象」から星座を当てはめると、これはきれいな十字型をしていることから「北十字」の異名をとる「白鳥座」か文句なしにいちばんの候補となる。これに対し、南十字座ではないかという見方もできよう。確かにこの候補も白鳥座よりかなり劣るとはいえ、直ちに否定できるものではない。この可能性については、後の章でまとめて議論することにする。白鳥座は、多くの場合、十字型の一つの星座とみなされる。かなりの大きさなので、中国の場合のように二つの星座に分断されることもあるが、こちらはむしろ例外的である。やはり、均整のとれた十字型の美しさによりこれを一つの星座とする見方が主流になっている。日本の民間には、「十文字様」という星座を伝えている地方があるが、野尻抱影氏はこれを迷わず白鳥座にあてはめている。
 「右上の形象」には、どんな星座を当てはめることができるであろうか。白鳥座に対し方向がある程度があっている星座の中から選ぶとやはりカシオペア座ということになる。カシオペア座は、これまた、世界のどこでもびとつのM字型(あるいは上下逆になればW字型)の星座としてとらえられている。M字を構成する5星は、明るさがそろっており空の狭い領域にかたまっていることからこれ以外の見方は不可能と言ってよい。カシオペア座はあまりにもはっきりとした形をしているので、これに匹敵するほかの候補はないといえるだろう。
 次は、「左上の形象」である。四辺形の星座で白鳥座の近くにあるのは、いるか座、こと座、ペガスス座(正確にはペガススの大方形、1星は現在ではアンドロメダ座に属しているが、かつてはこの星はペガスス座と共有していた。ここでは便宜上ペガスス座と呼ぶ)である。こうま座も四辺形であるが形が相当いびつであり、4星とも暗くあまり目立たないので候捕とはしない。この3星座は、いずれも目立つ星座で格としては十分であるが、こと座は、白鳥座の右下にくるべきなので方向が全く違う。また、こと座の菱形の近くには、1等星ベガがありこれが刻まれていないのは全くおかしい。よって、こと座は候補からはずすこととする。いるか座は、菱形に尻尾がついた形をしている。線刻画も右に短い尻尾が見えるような気がする。いるか座も、カシオペア座と同様、明るさのそろった5星あるいは6星が狭いところにかたまっており、これを一連の星座としてみることは全く自然である。一方、ペガススの四辺形であるが、これは長方形をしている(4つの角がほぼ直角)。大きさは非常に大きく雄大である。よって見方に依ればやや間延びした印象も受けるが明るさはそろっているので、これを一つの長方形としてみる見方は、全く自然であり無理はない。小さい星座を好んだ日本の民間人もこれを大きな方形の星座と見ていた。ペガスス座も一応候補とすることにする。線刻画にある菱形の中の短い線については、候補の2星座には、内部に明るい星がなく何ともいえない。
 「左下の形象」は少し複雑な形をしているが、驚座がまさにこの形をしている。鷲座は、1等星アルタイルを擁しており、この近辺では目立つ星座である。鷲座は、平面上に星が点々と広がっだ星座なのでどこまでを一つの星座と見るかにはかなりの自由度がある。小さい見方では、アルタイルとその両側の2星だけを一つの星座と見方(「河鼓三星」)か主流である。現行星座の鷲座はかなり大きい見方であるが、隣のへび座や盾座に向けて星のとぎれがないので、どこで切るかはかなり任意である。逆に、驚座をもう少し小さく見てもさしつかえはない。驚座の主要な星の中から、θ星をのぞけばα型の星座とすることができる。交点をどの星にとるか(4星またはδ星)右下端をどの星にとるか(λ星または、ヘび座θ星)は、若干の不定性があるが、全体的な形を見る限り、無理のない構成といえる。ほかの星座は候補にはならないだろう。星の当てはめ方の不定性については、次章で議論する。
 図3、4、5は、以上の考証に登場した星座の星図である。
 
B線でつなぐこと
 星座は、単に星の配列として見るのではなく線でつなぐことにより記憶される。どういう形に線でつなげるかは、数学的にはトポロジーの間題であるが、人間は、何十通り、何百通りある線のつなぎ方の中から少数のものを「自然なつなぎ方」として感覚的に選び出してきた。
 例えば、正方形の4つ角に対応して4星があるとする。するとほとんどの人は、これを正方形につなぐ。これをN型やZ型につなぐ人はまずいないだろう。カシオペア座は、M型である。これを台形と見ることはかなり難しい。一般にいって、星が線状に点々と並んでいるときは、ほとんど必ず「析れ線状」につながれる。さらに星の数が5星以下の時は、つねにつなぎ方はほぼユニーク(1通り)である。ケフェウス座は、カシオペア座と同様、5つの明るい星からなるが、5角形につながれ、W型にはつながれない。
これに対して、6個以上の星が平面的にパラパラとある時は、つなぎ方は多様となる。ヘルクレス座や大熊座がこの例となる(図6)。つなぎ方はいろいろあるが、基本形は、多角形を骨格とする「クローズドループ型」と、枝分かれした線を張り巡らす「ツリー型(あるいはスター型)」に分けることができる。どちらを選ぷかは、人によって違う「趣味」に属する問題であろうが、この両方が一つの星座で併用されることも少なくない。
 この間題は、心理学的にも興味深く、どういうつなぎ方が多くとられるかは、数学の有名な「セールスマンの問題」やコンピュータネットワークの設計の問題ともからみそうでおもしろいが、ここではこれ以上深入りしないことにする。
 さて、候補となった星座の線のつなぎ方について考えてみよう。
 「右上の形象」:白鳥座は、5星あるいは6星だけ選んだときは、十字型につなぐのが自然であり、それ以外は考えにくい。よって、線刻画の十字を白鳥座とみなすのは、まったく無理のない見方である。ただ、ところどころ長い方の線が2重になっているのは、理解しがたい。実際の白鳥座にこのような構造はない。「筆の勢い」に類するものでないとしたら、ひょっとすると、これは、現実の白鳥のように、胴体と頭に厚みを持たしたものかもしれない。しかし、そう考えると翼に幅を持たさなかったことが不思議に思える。実際の星座の翼にはなんと幅があるのである。暗い星を含めると白鳥座は、絶妙のプロポーションの幅のある翼を持っている。
 「右下の形象」:カシオペア座は、M字型につなぐしかない。よって線刻画のつなぎ方は自然であるようだが、じつは、線刻画ではこれが中央左でいったんとぎれている。線のタッチは「とぎれ」の両側で共通しているのでこれは一つの形象と見てよいであろう。これは、たまたま線を刻むときにとぎれたのでなければどういうふうにみればよいであろうか。そうなるとこれを単純なM字型とはみなせなくなる。本当にカシオペア座であるならば、やはり一気にM字型に刻むと期待されるのでこのことはやはり間題となる。しかし、あえて言うならば、カシオペア座の左から2番目の星(α星)のすぐ左にM字型を構成しないやや暗い星(η星)があるので、ここで星座を2つの部分に分けたという見方もできないことはない。しかし、これは相当に無理がある素直でない見方である。このような見方はほかに例がないし実際にカシオペア座を見てもなかなかそうは見えない。刻むときにたまたまとぎれたと見る方がまだ自然であろう。古代中国の星座では、カシオペア座の5星は驚いたことに3つの星座に分割されている。しかし、これはあまりにも特殊な見方であり、今回の議論の参考にするのに適当とは思えない。
 「左上の形象」:いるか座は、(尻尾付きの)菱形である。これもほかのつなぎ方はほぼ不可能である。線刻画ともよい一致をする。線刻画にも短い尻尾がついているようにも見える。ただし、内部の短い線は説明できない。これは、「筆の勢い」と見るしかないであろう。ペガスス座も長方形につなぐのが自然なので、少なくともトポロジカルにはこちらの候補も線刻画と一致する。
 「左下の形象」:鷲座は、6星以上からなる平面的星座なので、線のつなぎ方は1通りにきまらない。現行の鷲座の図も、天文書により異なったつなぎ方がしてある。多くの場合は、N字型の「ツリー型」であるが、K字型の「ツリー型」や「クローズドループ」を含むつなぎ方を示している本もある。線刻画のα字型は、クローズドループを含む特異な形であり、こういう例をほかに見たことはない。しかし、K字型と共通点が多くあり得ない見方ではないと考えられる。この節で述ぺたことをまとめると、次のようになる。
●白鳥座付近方向の星空は美しくかつ目立つのでこれに注目し、線刻画として刻む動機は十分にある。
●右上、右下、左上、左下の線刻画における形象を、それぞれ、カシオペア座、白鳥座、いるか座またはペガスス座、驚座から主要な星を選び線でつないだものと考えることは、少なくとも図形をトポロジカルに見て、無理がない。
●線刻画の右上の形象が、中央左でとぎれているのは、この図形をカシオペア座とみなす上で多少の困難をもたらす。刻むときにたまたまとぎれたと見ないと説明しづらい。
 
2.星座の図を岩に刻むこと
 星座を作り記憶できたとして、これを岩に刻み星座の図として完成させるまでに、どういうことがおこるであろうか。
 おそらく、岩に絵を刻む作業を夜行うことは難しかったと思われる。近くでたいまつなどの明かりをかざしてくれる人がいたとしても、刻みながら絵を確認することは難しかっただろう。また、近くでたいまつをかざされては、今度は星の方がよく見えない。よって、星座は、夜見た後昼まで記憶され、昼間に岩に刻まれたと考えるのが自然であろう。これだけの線刻画であるから、比較的短時間で刻まれたであろう。何日もかかって、夜毎に星座と比べて確認しながら刻まれたというよりは、1日で一気に完成され、星空を見ながら修正するということは行われなかったという可能性の方が大きいと思う。
 次に刻んだ人の記憶力、絵心、技術が問題になるが、これについては何ともいえない。もし、これらすべてについてぬきんでている人(つまり、天文観測の専門家かつ画家もしくは製図家)が刻んだとしたら、こういう議論をするまでもなく、ひとめで星座以外には考えられない、正確なきっちりした図を刻んだであろう。今回の線刻画は星座かどうかそれほど明確ではないので、「天文観測の専門家」が刻んだものと考えるのは難しい。とはいっても、「天文観測の専門家」でも実際に星を見ながら紙に書くとか、キャリアが何年もあるとかというのでない限り、正確な星座の図は書けない。このことは、古代の天文書や天球儀に書かれている星座図を見てもわかるし、多少とも星座を知っていると自称する人に記憶だけで星座の絵を描かせてみてもわかる。ここでは、専門家と素人の中間くらいの人を想定することにする。専門家でない人間が、一生のうちで、星座の絵を描く機会はそうたびたびはあるまい。今回の線刻画も星座を岩に刻む経験の少ない人が刻んだと考えるのが自然である。
 星座の図を岩に刻む際には、まず、星座の図の書き方(デザイン)を決定し、縮尺を決定し、方向を定めねばならない。この際、縮尺や方向が不正確になることのほかに、刻まれた星座の形がゆがんだり、線がとぎれたり2重になったり「筆の勢い」で余分の線を刻んでしまったりしたこともあっただろう(多くの場合、刻んでしまったものは消せない)。複数の星座を刻むときは、星座を相対的に配置する必要があり、星座間の距離、方向を決定することが重要である。ここでは、紙面ならぬ岩面のスペースの都合で、誤差だけでなく意図的なゆがみさえ持ち込まれる可能性があったと思う。これらのことを以下に個別に検討する。
@星座の図の書き方(デザイン)の決定
 星座を図として、紙などに書くときはどのように書くであろうか。これには、古代から現代まで様々な方法が採られている。
 現代では、星図は、普通、星を示す小円をちりばめたように書かれている。主要な星を線でつなぐこともあるがこれはまれである。しかし、これでは、星座がわからないので、星座は、境界線を星空に設けこれで示すようにしてある簡単な星図や星座早見では、星を小円で書いた上で、主要な線でつなぐことにより星座を示すのが普通である。星だけでは星座がわからないし、星座の境界線を張り巡らすのもうっとうしい。
 近世以前のヨーロッパ・ギリシア・古代オリエントの星図では、星のほかに絵を添えるのが主流である。大熊座には熊の絵を重ねて描き、オリオン座には、勇者の姿を重ねて書くのが普通の技法であった。当時は、星座の境界線というものは定義されていなかった。星は、いわゆる星形、5芒星や6芒星の形で描かれた。絵のみを描いて星を書かない星座図も存在したが、これは、星座の絵をシンボルとして星座をあらわしたもので占いや宗教的目的を持った星座図に主に使われた。仏教で使われる曼陀羅(マンダラ)に似たものといえよう。
 これに対して、古代の東洋の星座の図は、中国でも、日本でも、小円を線でつないで描く場合がほとんどであった。現在の星座早見と同じ方法である。
さて、問題の線刻画であるが、これは線のみで刻まれている。線だけで星座をあらわすということは、ちゃんとした星図・星座図ではほとんど例を見ない。しかし、星座の略図を書くときは十分ありうる書き方である。多くの星をひとつひとつ小円なり星形に書くのはかなりめんどうくさい作業である。とくに、岩に刻む場合、小円や星形を岩に刻むことは、相当困難であり、ちゃんとした道具がなけれぱ不可能でさえあっただろう。事実、岩に「点」や「面」を刻むことは難しい。だからこそ、「線」刻画なるものが古代の遺物として各地に広く存在しているのであろう。岩に刻む場合においては、星座を線のみで書くというのは十分理解できることではないだろうか。
A縮尺の決定
 星座を紙や岩に描くとき、どういう大きさに描くかということであるが、適当なほぽ一定の縮尺を決め、できるだけ実物に近い形になるように描くのが当然であろう。天球は球面であり、紙や岩は多くの場合平面なので、世界地図における図法のような問題が起こるが、図の精度が高くない場合は問題にすることはないだろう。
 さて、縮尺の選択であるが、岩の上の長さは、長さの単位、たとえばセンチメートルで測られるのに対して、天球上の「長さ」は、正確には「角距離」と呼ぱれ、通常、角度の度の単位で測られる。もちろん、実際の星と星の距離は、「光年」などの長さの単位で測られるものであるが、天空を見ただけでは奥行きの距離は感知できないので、距離はわからずそれを球面に投影した際の角距離すなわち、大円で2星を結んだときのその円弧のはる角度を長さとして認知するわけである。よって数学的・物理学的には、単位が違うわけであるから本質的に選ぶべき縮尺の基準は本来的にはなく、どんな縮尺を選んでもよいことになる。
 今、ある2星間の角距離をφと書き、星図における同じ2星間の距離をdとかくと、ある一定の縮尺Rが使われているとき、いかなる2星間の距離においても、ほぼ、
d=Rφ
の関係が成り立っている。このφの単位をラジアンにとると縮尺Rは、dと同じ長さの単位を持つようになる。たとえぱ、1度の角距離を1cmの長さであらわす縮尺は、1度は、約0.0175ラジアンであるから、縮尺Rは、約57cmということになる。
 さて、この縮尺は全く任意であるのだが、人問が見た場合、人間の感覚に合致する縮尺があるらしい。たとえば、オリオン座の三ツ星の長さを人に尋ねてみよう。天文学に詳しい人は、「約3度」というように角距離で答えるだろうが、「3cmくらい」とか「7cmくらい」とか長さの単位で答えてしまう人も多くいるだろう。これは、物理学的には間違っているが、ある暗黙の縮尺を仮定して言っているとしたら、これは、あながち非科学的な話をしていることにはならない。実際、オリオンの三ツ星の長さは、その程度に長さに見える。1cm以下でもないし、1m以上にも見えない! どうやら各人に暗黙の縮尺が存在しており、その縮尺は、人により多少は異なるが大きく異なるということはないようである。三ツ星を3cmとみれば、R=57cmであり、15cmと見ればR=290cmである。どうやらこの辺が平均値と思うがどうだろうか。アンケートを採って調査をするべきであろうが、今回は、このていどのRが標準的とすることにしよう。この場合のRは、人の身長のサイズに近い大きさになっていることは注目に値するであろう。このほかに、岩や紙の上に角場合は、別の長さがRに関係してくる可能性がある。それは、目から星座の図までの距離である。つまり、この距離がRと一致するとき星座の図は、実際の星空と同じ大きさに見える。多くの場合、星図が本になっている場合、この距離は、20〜30cmであろうし、間題の線刻画のように1m程度の岩に描かれている場合は、この距離はもっと遠くなり1m程度になるであろう。しかし、実際の星空は、同じ角距離をはる星図よりも錯覚によって大きく見られる場合が多いとすれぱ、Rはこれよりも多少大きくとられるのではないか。この観点から見た縮尺は、人間が本来持っている感覚に対応する縮尺と同程度であるか、また、紙面(岩面)に制約がある場合なども考えると多少小さめということになるだろう。
 ここでつけ加えておくが、古代中国の文献においては、彗星の尾の長さを「丈」などの長さの単位を用いて記録している。しかし、これは感覚的な縮尺を表しているものというよりは、「丈」を角度の単位として再定義していると考えた方がよいと思う。
 以上のことにより、線刻画を描いた人が、「自然な」縮尺を選んだ場合、Rは、30cm〜3m程度ということになるだろう。さらに、個人差、錯覚、岩の大きさの効果、それから、地平拡大(太陽や月が地平線や水平線の近くにあるときは、高度が高いときより大きく見える現象。錯覚であるが、星座を見る場合にも認められている)や天候による影響(湿度や空の澄み具合により星座の大きさが変わって見える。これも錯覚)により、目で見る星座が大きさが変化することを考えに入れると、ここに上げた1桁程度の違いは存在すると思う。ただし、1枚の星座の図のうちでは、ほぼ一定の縮尺が使われていて当然であろう。
 さて、線刻画で用いられている縮尺をチェックしてみよう。以下の縮尺の算定に用いた線刻画における形象のサイズは、報告書に出ている巨石の平面部分の大きさ(90cm X80cm)と写真からだいたい見積もったもので正確な長さではない。写真が、平面に対して斜め方向から撮られていることは考慮に入れてある。
 右下の形象、白鳥座の縮尺Rを求めてみると、横縦どちらについても約100cmとなり自然な値となる。右上の形象をカシオペア座と比べてみると、横に、やや伸びており、Rは、横方向に160cm、縦方向に140cm程度である。これも、自然な値である。左上の形象をいるか座と見れば、Rは、横300cm、縦120cm程度となる。横にかなり伸びているようであるが、横の長さは、いるか座の尾の部分も含んでいると考えれぱ、Rは120cmとなり適当な値となる。これをペガスス座と見た場合、ペガスス座の大方形はいるか座よりはるかに大きいので、横のRは35cm、縦のRは8cmとなる。横縦のRの違いも大きく(これは、「ゆがみ」ということになるが)、縮尺8cmというのは相当不自然である。よって、この左上の形象をペガスス座と見る仮定はここで捨てざるを得ない。
 左下の鷲座については、星のとり方が確定していないが、左端の「河鼓三星」の部分の縮尺Rは70cm、横方向は65cmということになる。
 以上、各星座について縮尺Rを検討すると、多少、驚座は小さく描かれていることになるが、だいたい、すべて、65cm〜160cmの範囲にはいっていると見ることかでき、Rの大きさとしては自然である。一つの星座内でのゆがみについては、次々節で議論することとして、各星座の縮尺の共通性も2倍以上の開きはあるもののまあ考えられる範囲とみなせるのではないか。
 
B星座の図の方向
 星座の図の方向といった場合、個々の星座の方向と、星座と星座の相対的な位置関係における方向の二つが間題となるが、ここでは、この二つは別のものと考え前者のみを取り上げることとし、後者は後の節で述べる。
 星座は、空にあるものであるから、どちらを上にして描こうが自由である。しかし、星座と地平線との関係が、なんらかの理由によりほぼ決定されている場合は、地平線に近い方を下に描くのが自然である。たとえば、さそり座は、日本本土から見ると、つねに南に低く見えるので頭の部分が上に来るように描くのが自然であり、頭を下に描くのは相当ひねくれた描き方である。いっぽう、北極星に近い星座は、周極するので見える向きが一致していないし、天頂近くにある星座は、ある方向が地平線に近いということはいえないので、これらの場合は、どちら向きに描いてもおかしくない。さらに、日本付近の緯度では、天の赤道より北にある星座は、東から上るときと西に沈むときとでそうとう向きが違う。だから、図を描くときにも自由度があることになるが、かなり広い範囲にわたる複数の星座が描かれている場合は、地平線との位置関係が制限され、ひいては向きも制限される場合が出てくる。たとえぱ、オリオン座としし座が同時に描かれているならば、しし座はオリオン座よりかなり東にあるので、それをオリオン座が東から昇った直後の図と考えることはできない。
 複数の星座が1枚の図に描かれているとき、その向きの取り方は、共通しているとみるべきであろう。しかし、これには、相当の誤差を見込まなければならないと思われる。実際の星空を見ずに記憶に頼って描いたのであれば、星座の向きは相当怪しいと思うぺきであろう。特に天頂近くにある星座の向きが、それよりも高度が低い近くの星座に対してどういう向きになっているかは、よほど星座を知っている人でも、かなりあやふやにしか憶えてないと思う。さらに、空のある程度広い部分が描かれているときは、先にちょっと触れた図法の間題が起こってくる。下の方向は地平線の方向としても、地平線は円形になっており直線ではないので星座の配置か地平線の向きかのどちらかをゆがませなければならない。これを理解するには、星図だけを見ていてはダメで、実際の星空を見、方向の取り方が自然かどうかチェックする必要がある。
 さて、線刻画と実際の星座の見え方を比べてみよう。線刻画の右下の形象のように、白鳥座が、頭を右斜め下に向けるのは、ほとんど北西に沈むときである。このときを基準として考えてみよう。カシオペア座は、ちょうど北の空で、M字型に立った状態(というよりは伏した状態)になっており、左上の形象と一致する。しかし、右上の形象の‐、るか座は菱形か立った状態(長い方の対角線が鉛直方向になった状態)になっており、90度回転した状態になっている。ペガスス座を仮定したときは線刻画の向きと矛盾はない。また、鷲座もα字のループが上に来ており、これも、いるか座と同様に90度回転した状態になっている。また、このとき、鷲座はほとんど沈みかけているはずで、よく見えないと思われ、この時刻の鷲座の様子を描いたとするには多少無理がある。
 いるか座と鷲座の向きを線刻画とあわすことは可能である。それは、もう少し早い時刻の様子を刻んだと考えればよい。驚座といるか座がまだ、南西の空にいるときはだいたい線刻画のような向きをしている。このときは、南西の地平線を下の方向にとる。今度は、白鳥座とカシオペア座の向きが地平線とあわなくなるが、これをあくまでも南西の地平線の方向を下と見て、西を向いて立ち首を右向きに白鳥座からカシオペア座までぐいっと後ろまで回せぱ、ほぼ図の線刻画のように見える。実際には、このときにはカシオペア座は北東の空で、Mの腹を左に向けた状態になっているのであるが、これを西の空からみれぱ腹か下になっているように見えるわけである。星図で、星座の向きの関係を見ると線刻画と星図とではかなり一致していることがわかる。星座の向きを記憶して描いたとすればこれはかなり正確に描けていると見るべきであろう。
 
C星座の形のゆがみ
星座を人間の手で描く限り、多少のゆがみはさけられない。特に、記憶に頼って描く場合はなおさらである。ゆがみの程度は、その人の経験にもっとも依存する。つまり、星座を何回も見たことがあること、そして、描いたことがあることが重要である。何回も見たことがあっても描いたことがなけれぱうまくは描けないであろう。たとえば、たいていの人は、北海道の地図を数え切れない回数見ているであろうが、一度も北海道の形を描いたことがなけれぱ、初めて描く北海道の形がもっともらしく描けるとは思えない。生まれつき絵の才能がある人はまた別であると思うが、普通の人は何度か練習をしないとバランスの正しいホンモノに近い北海道の形は描けないであろう。人によって星座の絵の形がどの程度ゆがむかは実験してみないとわからないが、ここは大胆に想像することにしよう。さらに、岩に刻む場合は、岩の硬さのために思い通りに刻めない場合が多いだろう。また、失敗があっても修正は難しい。
 まず、右下の形象であるが、これはきれいな十字になっているので白鳥座が美しく描けていると考えてよい。ただ、十字が直交していないのが少し気になる。ホンモノの星座では、十字はほぼ正確に直交しているのであるが、それをわざわざ直交しないように描くであろうか? ちょっと不自然な気もするが、これが星座の図でなく白鳥座でなくても直交しない十字というのは多少不自然であるかもしれない。白鳥座全体を傾けたため、直交した絵がうまく描けなかったと考えてよかろう。
 右上の形象を、カシオペア座と見ると、途中でとぎれていることはよしとしても(前章参照)、かなり横に平べったい感じがする。しかし、カシオペア座はもともと横に平べったい星座であるのでそれが少し誇張されていると考えれぱ許容できる範囲であると思われる。現代の我々は、カシオペア座はMとかWの形をしていると教わっているので、逆に実物より横に縮まったイメージを持っており、線刻画の形象がカシオペア座だと言われると奇異に感ずることもあるかもしれない。人間の美的感覚まで関係してくるとなるとそうとう複雑な話になるのでこれ以上は深入りしない。
 左上の形象をいるか座と見た場合、これも多少横にのびているが、縮尺のところで述べたように尾の部分も含んでいるとすれぱそれほど奇異な感じはしない。許容範囲内であろう。
 左下の形象を驚座と比ぺてみると、α型の交点をμ星と見た場合、右端のλ星とζ星とすると、その開きが足らないように思える。交点をδ星と見、右下端を、ヘび座のθ星とみたらゆがみは小さくなる。
 全体的に見て、星座の形のゆがみは多少あるとはいえ、とても大きいということはないように思われる。
 
D星座の配置
 複数の星座を一枚の図に描くときその配置の正確さが問題となる。ここでも、白鳥座を中心に考えてみよう。
 右上の形象をカシオペア座とするとこれは近すぎる。線刻画では、白鳥座のすぐ上がカシオペア座となっているが、実際には、ケフェウス座が間に入り込んでおり、カシオペア座ははるか遠く、カシオペア座と白鳥座の間には、もう一つ白鳥座が入るくらいの空間があいている。これを描くときの誤差と考えるわけにはいかない。ケフェウス座は、カシオペア座や白鳥座と比ぺると暗い星で構成されている星座なので省略され、あとは、岩面のスペースの都合でカシオペア座がここに持ってこられだとみなさざるを得ない。これは、相当突飛な仮説のように聞こえる。しかし、この線刻画が、星座相互の位置を正確に書くことを目的とせず、個々の星座を紹介することを主目的としていたと考えるならば、星座間の距離はそれほど重要なものではなかったとしても不思議はあるまい。白鳥座から見たカシオペア座の方向は、ほぼ合致している。
 いるか座については、方向距離ともかなりずれている。いるか座の位置は、だいたい左下の形象の位置にあたる。そういう意味では、左下の形象こそ、(驚座でなく)いるか座とみなすべきかもしれない。大きさ・形・向きともいるか座と考えても大きな矛盾はない。しかし、そう仮定すると、左上の形象は、対応する星座を失うことになるのでこの仮定は一つの見方とするにとどめておきだい。一方、鷲座は、白鳥座の左下、いるか座のすぐ右下にあり、線刻画の左下の形象を鷲座と見ても大きくずれているというわけではない。
 星座相互の配置については、あまり正確ではなく相当のずれが見られる。しかし、これはこのことを重要視しなかったためとも考えられるので、大きな矛盾点ということもできないであろう。この章での結論をまとめてみる。
●岩に星座の絵を刻むとき、析れ線で星座を表現することは自然である。
●それぞれの形象を、白鳥座、カシオペア座、いるか座、鷲座と見た場合、その縮尺のとり方は自然である。星座間の縮尺の大きさの違いが見られるが許容範囲と考えられる。左上の形象がペガスス座であるという仮説は縮尺が小さくなりすぎ、かつ、形のゆがみも大きいので、捨てざるを得ない。
●各星座の向きは、(さほど正確に描かれている必要もないが)かなり正確に合致している。
●星座の形のゆかみはそんなには大きくない。
●星座相互の配置(位置関係)は、あまり正確でなく相当のずれが見られる。しかし、線刻画は、個々の星座を描くことを目的としており、相互の位置関係にはあまり配慮しなかったと考えれば、説明できないことはない。
 
3.右下の形象を南十字座とみなす仮説
 この章では、右下の形象を白鳥座ではなく南十字座と仮定し、検討してみたいと思う。
この場合、線刻画は、南十字座およびケンタウルス座周辺を描いたものということになる。現在の北硫黄島では、これらの星座は、南中時でも南の水平線ぎりぎりで見にくいと思うが、2000年前には、歳差の影響でもっと高度が高く見やすかった。このあたりは、明るい星も多く美しいところなので十分目を引いたと恩われる(図7)。
 しかし、右下の形象を南十字座と見るにはいろいろと困難がある。まず、南十字座は、実際には、「十字」に見にくい。普通には、ダイヤ凧の形にしか見えない。これは、十字の交点にある星が暗いためである。これが、「南十字」になったのは、やはり、キリスト教のシンボルと関連があったからに違いない。しかし、そうはいっても、北硫黄島では星がよく見え、高度が低くても交点の星が十分ながめられたかもしれない。
 つぎの間題は、縮尺である。南十字座は非常に小さい星座で、北斗のマスよりも小さい。よって、線刻画と比較すると、縮尺は4mということになる。これは、かなり大きな値である。しかし、大きな縮尺は不自然であっても、ありえない話ではないし、地平拡大現象(錯覚)が影響した可能性もある。
 さらに、右下の形象を南十字と見た場合、右上の形象は、ケンタウルス座の7星付近の星群ということになるが、左上、左下の形象に対応する星座がない。星座を探す範囲を相当広げても対応する目立つ星座は存在しないのである。左下の形象の位置には、2つの1等星、アルファ・ケンタウリ、ベータ・ケンタウリがあるが、別にアルファの文字のように星があるわけではない。 以上の理由により、この線刻画を南十字座・ケンタウルス座付近を描いたものとすることは不可能でないにしても相当難しいし、それを支持する要因を線刻画に見いだすこともできない。
 
4.線刻面の刻まれた巨石の場所および向き
 最後に、線刻画の刻まれた巨石のある場所およびその面の向きと、実際の星空との関係について触れておく。
 巨石は、北硫黄島の東側の海岸近くに、面を南西に向けて立っている。この場所からは、問題の西の方角は、島の中央部の山の頂に向かう急な傾斜のため、高度20度から30度より低いところの星空は、ほとんどど見えないものと思われる。よって、これらの星座は、この場所で観察されたものではなく、海上あるいは北の岬などで観察されたのであろう。そうだとすると、星を見ながら刻んだという可能性は全くなくなる。しかし、巨石のごく近くの地理的状況に依存する話であるから確かなところは、その場所で星を見てみないと何ともいえない。
 巨石において線刻画の刻まれている面の向きと星座が見える向きが関連していると興味深いが、これも一致していないようである。この場で、対象となる星座がよく見えないこと、この巨石が、この付近でもっとも日立つ巨石らしいことを考えると、どの面に星座の図を刻むかという選択をする必要性もなかったし、選択の余地も少なかったのであろう。
 
5.結論
 北硫黄島の石野遣跡の巨石に刻まれた線刻画を星座と考えて、うまく説明できるか、矛盾点はないかということについて、おもに、天文学的および幾何学的な見地から検討をした。線刻画の4つの形象をそれぞれ、白鳥座、カシオペア座、いるか座、驚座と見た場合、星の選び方、刻まれた形象の形、配置に非常に大きな問題となるような矛盾点はない。星座の大まかな形や個々の星座の向きは、実物とかなり符合している。しかし、線のとぎれや大きな配置のずれが見られ、星座の図と断定することは到底できない。仮に、この線刻画の4つの形象がすべて星座であるとした場合、上記以外の星座の組み合わせになっている可能牲は、(上記の組み合わせを選んだ場合と比較して)相当小さい。
 この線刻画が星座を描いたものである可能性はじゅうぶんあるが、これだけの線刻画からは、その可能性のレベルが高いかということについては何もいえない。
 
6.文献リストにかえて
 通常の論文では、本文中に引用の符号を付け原典となる文献をいちいち示すぺきでなのであるが、本小論では、客観的事実や学問的研究の積み重ねからの発展というよりは、私自身の推論に頼っている部分が多いので、本文中で引用を示すということはしなかった。また、私の読んだ書物も、原典というよりは、研究者による啓蒙書かほとんどであることから、そういう方式が適当とも思えない。そのかわりに、私が参考とした文献を羅列的に紹介したいと思う。
 星座の起源等の研究一般は、原恵氏の論文や解説が日本のアマチュア向けの天文雑誌にしばしば掲載されている。氏の著書「星座の文化史」には、古代オリエント・西洋起源の星座の起源がまとめられている。また、野尻抱影氏は、星座の啓蒙書を多く書いており、星座の起源・物語について貴重な記述が多い。野尻氏独自の天文民俗学研究の成果も多く取り入れられている。
 中国の星座については、大崎正次氏の著書「中国の星座の歴史」に詳しい。日本やオセアニア、アメリカインディアンなどの星座については、民俗学的研究となるのであるが、これについては、野尻氏の「星の民俗学」、「日本の星」、「日本星名事典」などが貴重な資料である。内田武志氏の「星の方言と民俗」は、日本の民間の星座を集大成した書物である。
 巨石文化と天文考古学との関連については、和訳のある洋書として、ブレッヒャー、ファイターグ編の「古代人の宇宙」、ジェイムズ・コーネル著の「天文学と文明の起源」があげられる。後者の訳者の一人、桜井邦朋氏は、独自に「天文考古学入門」という書をだしている。これらの書物において、巨石と天文学の関係でよく指摘されているのは、特定の方角(太陽や月、明るい星が地平線から昇ってくる方向など)に関係する石の配列が主で、線刻画が問題になっている例は極めて少ない。
 私は、古代人が描いた星座が岩に線刻画として刻まれている例を、文献中にまだ見いだしていない。この小論を読まれた方々のご指摘を待ちたいと思う。
 本小論の執筆のもととなった線刻画の写真は、東京都教育庁の早川泉氏の提供を受けた。資料とした報告書は、早川氏と小林重義氏によるもので「北硫黄島石野遺跡踏査報告」と題されている。図の星図は、中野主一・大田原明著「野外版星図2000」から引用させていただいた。ほかに、パーソナルコンピュータ用のソフトウェア、「Star Atlas」(Y.Morita)、「高速天文シミュレーション」(haru-K/N.Tanaka)を利用した。
 
謝辞
 北硫黄島の石野遺跡の巨石の線刻画に関する私の「思いつき」に対して、様々の資料やご助言をくださいました早川泉氏に深く感謝します。また、氏とともに研究されている共同研究者の方々や、北硫黄島での調査に参加された方々にも感謝の意を表したいと思います。
 
図版リスト:
(原版の守秘性・著作権を維持するため、WWWでは故意に解像度の低いものを掲載しています。ご容赦下さい。高解像度の図をご希望される方は筆者(uehara@post.kek.jp)までご連絡下さい。)
 
図1:石野遺跡の巨石の線刻画。線は、早川氏により 現地での調査にもとづき見やすいように加筆されたものである。
図2:北硫黄島で秋の宵に見られる星空。現在(実線)と約2000年前(破線)における、地平線を直線(あるいは少しだけ湾曲したカーヴ)であらわしてる。S、W、N、Eはそれぞれ、南、西、北、東の地平線を表す。円弧の頂点(直線からもっとも遠い点)は、天頂に対応する。
図3:白鳥座、いるか座、鷲座およびその周辺。
図4:カシオペア座。
図5:ペガススの大方形。
図6:ヘルクレス座と2通りの線のつなぎ方(実線のみと実線および破線)。
図7:南十字座、ケンタウルス座付近