1985〜86ハレー彗星観測記(上)
              1987年の記事 上原貞治
 
 今回のハレー彗星の接近に決して好条件のものではありませんでしたが、長期に亘り存分に楽しむことができました。
 
 1985年11月 何年も楽しみにしていたハレー彗星 いつから見ることができるだろうかと自分の回りを見渡しても6cmの屈折経緯台と7x50の双眼鏡 それに300mmのミラースコープ(25X)しかありません。これでは運がよくて10月30日の未明の皆既月食中からだなと思っていますと、当夜は雲がいったきりで月は見えましたがとても10等の彗星は見えそうにもありません。ま、6cmでは晴れても駄目だろうと諦めた、その翌夜、翌々夜は、当然のこととして明るい月が一晩中出ていました。
 さて月も東に寄った11月4日夜、最初の挑戦を行ないました。観測地は、筑波学園都市の北端、高エネルギー物理学研究所です。ここは、関東平野のド真ン中、天気がよければ、富士山やカノープスが地上からみえるという空の開けたところです。山といえば10kmほど北に筑波山があるだけです。しかし、空気の状態はあまりよくなく空はいつもかすみがちで満点(天)の星はめったにお目にかかれません。ところが当夜は、絶好の条件でありました。ハートレー・グッド彗星に6cmを向けてみましたところほどなく7等級のこの彗星を捕らえました。さい先のよいスタートでした。20時頃からハレー善星に挑戦しました。月が2時間後くらいに昇ってくるので、いそがねばなりません。
予報では、8.5等くらいでした。これより暗ければ、たぶん6cmで低空では見ることはできないでしょう。星図を頼りに星々をたどると見えました見えました。ハレー彗星です。8.5〜9等程度でかなり暗く、6cmの限界でありましたが集光し かつ十分な面積を持っておりさらに1時間後に移動を確認することができましたので確信をもって見ることができました。興奮のあまり、キーを車の中に閉じこめてしまいましたので タクシーで合鍵を取りに帰りました。
 次に見たのは11日でした。同じ場所で今度は、研究所の同僚等4人と見たのですが、もう8等より明るくなっており、他の人も見ることができました。中央集光はありましたが尾は見えませんでした。このころからハレー彗星は急激に明る<なり、翌夜は7等、翌々夜は7x50双眼鏡で はっきりと見ることができました。11月15日には、核光度8等、全光度6等、19日には全光度5等近くまでになりましたが、残念ながら月が近づいて来ました。11月24日はよく晴れました。ハレー彗星のすぐそば(約4度)に月がありましたが、ハレー彗星に双眼鏡でちゃんと見えました。5等級以上、視直径10分くらいでした。条件は悪くても大彗星の底力を見せてくれました。27日は、1回目の地球最接近でしたが、月と薄雲のためかろうじて見えただけでした。
 1985年12月また月は東へ去っていきました。12月1日、彗星は楕円形に見えてきました。2日には、尾らしきものが見えてきました。10日、視直径約10分、光度の伸びも鈍ったようですが、エンベロープ状の構造が核のそばに見えました。そして翌11日、ついに10分程度の尾を6cmではっきりと見ました。12日には20分の尾 16日には2本の尾を見ました。また月がやってきましたが、それほど邪魔にはなりませんでした。20日、24日には2〜3本の尾を見ることができました。大晦日の31日よるには、郷里の観音寺で、近所の方の音頭で「ハレー彗星を見る会」を催しましたところ、なんと50〜70人くらいの、参加がありました。10cm反射2台、8cm屈折1台、6cm屈折1台で、全員にハレーを見てもらうことができました。頭部光度3.5〜4等、30分くらいの尾がみえました。でも尾のみえた人は半分くらいで、たいへんな大晦日でした。
 1986年1月2日に8cmで見ましたところ、尾の幅が広くなったように感じました。1月12日には、学園都市の宿舎の近くから6cmで見ましたが、見事な眺めでした。明るくて短い尾と淡くて長い尾を見ることができました。14日頃から月と低空の悪条件に見舞われました。15日には幅の広い尾がみえました。18日ごろから大彗星の風格を見せ始めたのですが、西空の薄明が邪魔になりだしました。22日には、明るい空の中、幅の広い尾を引く彗星を見ることをできましたが、24日には、双眼鏡でその存在が分かるだけでした。4等級だったと思います。それが近日点通過前の最後の姿でありまして26日にはとうとう捕らえることができませんでした。
                                 (つづく)