30年来の難問、「太陽ニュートリノ問題」ついに解決!

                        上原 貞治
 
 30年間の長きにわたって、世界中の天文学者、物理学者、そしてアマチュア科学愛好家まで悩ませてきた「太陽ニュートリノ問題」がついに解決した。多くの推測、憶測、そして新しい観測や実験が行われてきたが、このほどついに決着を見たのである。
 
 
1.太陽ニュートリノ問題とは?
 太陽が放出するエネルギーの源は、太陽の中心付近で起こっている核融合反応である。核融合反応とは、水素原子核(つまり陽子)や軽い原子核が合体してやや重い原子核(ヘリウムや炭素の原子核)ができるときに大きなエネルギーが解放される原子核反応のことである。この際に、陽子が中性子に変わる反応が起こるが、ここでニュートリノと呼ばれる素粒子が放出される。
 ニュートリノは、物質とほとんど反応せず太陽でも地球でも通り抜けてしまう。そして光速で地球まで飛んで来る。このニュートリノ(太陽ニュートリノと呼ばれる)を観測すれば、太陽の中心部で起こっている核融合反応についての直接的な情報を得ることができる。どのような種類の反応が、どのくらいの頻度でおこっているのかわかるのである。どのくらいの量の核融合反応が起こっているのか見積もる方法はもうひとつある。太陽の表面から放出される全てのエネルギーは核融合反応によるのだから、これを測定すればよい。
 ニュートリノは何でもかんでも通り抜けてしまうので、その測定はたいへん難しい。しかし、「ほとんど反応しない」ということは「わずかながら反応する」ということを意味する。地上に大量の物質を用意し、太陽から降ってくるニュートリノのわずかな反応を捕らえることにより、太陽ニュートリノの量を測ることができる。一方、太陽の放射する全エネルギーの測定は、比較的簡単である。
 この2つの方法の測定から導かれる太陽の中心付近で起こっている核融合反応の量は、当然のことながら一致しないといけない。しかし、これが一致しないことが、1968年に最初の太陽ニュートリノの観測所で観測が始められたのちにわかったのである。これが、「太陽ニュートリノ問題」が世に出た始めであった。観測されたニュートリノの数は、太陽のエネルギー放射から推定されるもののおよそ3分の1しかなかったのである。
 
2.太陽のモデルの計算が間違っているんじゃないの?
 同じ答えにならないといけない二通りの計算方法が同じ答えを与えないなら、どちらかが(あるいは両方が)間違っているはずである。まず疑われたのは、太陽のモデルであった。太陽から放出される全エネルギーがわかっても、核融合反応の詳細が直ちに決定できるわけではない。太陽中心部の圧力や温度などの環境条件を知っていないといけないのである。というのは、個々のニュートリノはそれぞれのエネルギーを持っており、エネルギーの大きさによって地上の測定装置によって検出される割合(検出効率)が違うから、どのような種類の核融合反応がどれくらい起こっているかがわかっていないと、ニュートリノの観測実験との比較ができないのである。
 しかしながら、太陽内部のモデルはとうに確立されたものであり、温度や圧力などの環境条件は非常に正確に推定できることから、太陽モデルがあやしいという可能性はほとんどないことがわかった。
 
3.太陽ニュートリノの観測実験が間違っているんじゃないの?
 1970年代までは、最初にこの問題を指摘した米国のデービスらの観測実験が唯一の問題の発信者であった。彼らは、実験結果に間違いない、と言っている。それを疑う根拠があるわけではないが、実験が1種類しかないというのは、やはりなんとも不安である。また、デービスらの実験はずっとデータをとり続けていたが、なんとも怪しげな年毎のニュートリノ観測量の変動らしきものを見せていた。
 1980年もなかばになって、他でも太陽ニュートリノ観測実験が始められた。岐阜県の神岡にある測定器「カミオカンデ」やその他のアメリカ、ソ連、ヨーロッパの測定器が、新しい原理の装置で観測を始めたのである。これらのいずれの測定でも、検出されるニュートリノの数はやはり推定の半分から1/3しかなく、最初のデービスらの測定が正しいことが裏付けられた。
 
4.核融合反応の知識が間違っているんじゃないの?
 太陽中心部で起こっている核融合反応の計算が間違っているのではないかという指摘がされた。しかし、それらの核融合反応は地上の実験で再現することができるので、計算は間違っていないことが実証された。
 
5.太陽は安定な天体ではないんじゃないの?
 太陽の中心付近で核融合反応により解放されたエネルギーが太陽表面に伝わるには100万年以上かかる。一方、ニュートリノは、8分そこそこで地球まで届く。だから、少しへそ曲がりに考えるならば、最近100万年間に太陽の中心の状況が変化して、核融合反応の量が減ってきているかもしれない。そうならば、現在の観測で、太陽ニュートリノが少ないことの説明が付く。
 もしそうなら、このままでは100万年後に太陽から出てくるエネルギーが減少することになり、これでは地球上の生物は落ち着いて繁栄を続けていることができなくなる。しかし、100万年より短い周期で核融合反応の量が変動しているなら、問題はなかろう。
 そういえば、太陽活動には、数百年あるいはそれ以上の周期の変化があると言われている...... しかし、あくまでもそれは太陽表面のことで、太陽中心でそんな大きな変動が起こっていると言うことは信じがたい。この説も、大半の研究者の支持を得るものにはならなかった。
 
6.ニュートリノは、太陽と反応するんじゃないの?
 ニュートリノは、太陽をもやすやすと通り抜けると言われている。でも、これがウソで、本当は、一部が太陽内部を通過中に吸収されたり、別の種類の粒子に変わってしまうなら、太陽表面から出てくるニュートリノは減ってしまうはずである。こういうことはないのだろうか。ニュートリノが磁場に多少感じるのではないかという説も出された。
 この説は、理論的には考えにくいものであったが、ニュートリノの実験を地上で行うことはたいへん難しいので、十分にさまざまの条件を設定して実験を行うことができなかったので、この可能性の一部は最後まで残ることになった。
 
7.ニュートリノは、飛んでいる間に変化するんじゃないの?
 1970年代の後半に、太陽ニュートリノ問題は「ニュートリノ振動」と呼ばれる現象によって起こっているのではないかという説が出された。それまでの実験で、(1)ニュートリノには3種類あること、(2)太陽ニュートリノはそのうちの電子ニュートリノと呼ばれる種類のニュートリノであること、(3)これまでの太陽ニュートリノの観測装置はおもに電子ニュートリノに感度があること、がわかっていた。もし、電子ニュートリノが他の2種類のニュートリノ(ミューニュートリノとタウニュートリノ)のいずれかに変化するなら、観測ではニュートリノが減ったように見えてしまうわけである。しかし、太陽−地球間を飛行中にニュートリノが変化するためには、ニュートリノには質量がないといけない。ところが、通常の測定や理論では、ニュートリノの質量はゼロとされているのである。ニュートリノの質量を測定する実験が繰り返し行われたが、質量がゼロではない、という証拠は得られなかった。
 
8.ついに「ニュートリノ振動」を発見!
 1980年代の後半になって、カミオカンデで興味深いデータが得られた。宇宙から降ってくる(太陽からではなく、もっと遠くの星から降ってくる)素粒子、つまり、宇宙線が地球の大気の上層で反応を起こすことにより作られたニュートリノの数(正確には、電子ニュートリノとミューニュートリノの数の比)が、予想と合わなかったのである。これは、ニュートリノ振動が起こっていることを示しているのではないか、と思われたが、データの精度が十分でなく判定は見送られた。でも、多くの研究者は、「ニュートリノ振動」=「太陽ニュートリノ問題の解答」ではないか、と予想するようになった。
 そして、1998年、ついにしっぽがとらえられた。カミオカンデを大型にした「スーパーカミオカンデ」でニュートリノ振動がはっきりと確認されたのである。地球の大気で作られたニュートリノの数が、上からやってくるぶん(つまり日本上空でつくられたニュートリノ)と下からやってくるぶん(地球の反対側の南米あたりの上空でつくられたニュートリノ)で違うことがわかったのである。日本と南米で観測される宇宙線強度には差がないので、この観測は、地球内部を通過中にニュートリノ振動が起こって上下のニュートリノ数に差が出たことを示している。
 しかし、ここで観測されたニュートリノはミューニュートリノであり、電子ニュートリノに差は確認されなかった。だから、これは太陽ニュートリノの振動を直接意味するものではなかったが、とにかく、「ニュートリノは振動する」ということがわかったのである。そういう意味で、このスーパーカミオカンデでの発見は、素粒子物理学における大発見となった。
 その後、1999年より、人工的につくられたミューニュートリノでニュートリノ振動が起こるかという実験が日本で始められた。こちらにおいても、ニュートリノ振動が起こっていることが示唆されている。
 
9.さらに、太陽ニュートリノの振動を発見!
 カナダのサドベリーの太陽ニュートリノ観測所(SNO)で、新しい実験が始まった。そして、2001年に発表されたSNOの最初の観測結果は、太陽ニュートリノでもニュートリノ振動を観測した、という画期的なものであった。
 SNOでは重水を使ったニュートリノ検出器を使っているが、ここでは、電子ニュートリノの数だけを他のニュートリノと区別して測定することができる。一方、スーパーカミオカンデの太陽ニュートリノの測定では、他の2種類のニュートリノの効果も多少ある反応を用いている。SNOの測定から推定される太陽ニュートリノの量は、スーパーカミオカンデの実験から推定される量よりも少なかった。これは、もともと電子ニュートリノとして生成された太陽ニュートリノが地球に到達するまでに「振動」して、SNOの電子ニュートリノの観測では見えなくて、スーパーカミオカンデでは観測される別の種類のニュートリノになったと考えると説明がつく。つまり、太陽ニュートリノが振動していることがわかったのである。この時点で、太陽ニュートリノ問題がニュートリノ振動によってもたらされていることがはっきりしたのである。
 
10.そして「太陽ニュートリノ問題」は解決した
 2002年、SNOは新たな観測結果を発表した。「ニュートリノ振動」をしたあとのニュートリノ(つまり電子ニュートリノでないニュートリノ)も観測することによって、太陽からやってくる3種類のニュートリノの総量を測定したのである。そして、3種類のニュートリノの総量は、太陽から放出される全エネルギーから推定されたものと見事に一致していた。 
 結局、太陽からは太陽モデルの計算が予言しただけのニュートリノが放出されていたのである。しかし、ニュートリノ振動という以前には知られていなかった現象によって、そのうちのかなりの部分が観測から漏れるニュートリノに変化し、ニュートリノ観測装置ではより少ない数のニュートリノしか検出されなかったのである。これが、30年間追求された太陽ニュートリノ問題の解決であった。
 結局、誰が間違っているわけでもなかった。「ニュートリノ振動」の可能性もその発見の以前から20年間以上議論され、それを探す実験が続けられていた。ニュートリノに秘められた自然の巧妙なからくりが人類の英知によって明らかにされるのにこれだけの時間を要したのであった。30年間、地道に研究が積み上げられ、そして、実験技術の進歩によって測定の精度が高められ、外堀を埋め、そして内堀を埋めるようにして、太陽ニュートリノ問題はついに解決したのであった。
 
むすび
 「良い問題」というのは、それを解くことによって物事の本質がよく見えてきて、 学問をさらに深く、あるいは幅広い方向に発展させられるような問題を指すという。 ニュートリノ振動の発見と太陽ニュートリノ問題の解決は、今や、素粒子物理学の 新たな段階への突破口になろうとしている。ニュートリノ振動の測定と理論的研究を深める ことにより、この問題が本当に「良い問題」であったということが、将来、確認されるであろう。