西洋の科学、東洋の科学と日本の科学(第4回=最終回)
                          上原 貞治
 

10.現代科学に洋の東西はあるか

 前回、江戸時代後期までの「日本の科学」について書きました。今回はその続きというわけですが、実は続きというようなものはありません。19世紀後半から20世紀初頭までの期間、西洋の科学が圧倒的な優位にたち東洋の科学は見捨てられてしまいました。特に、日本の知識人は、科学や数学、工業の分野で、西洋からの知識の導入一辺倒になり、東洋の科学が残ったのは、科学と呼べるかどうか怪しい伝統的な工芸や日本建築を除けば、漢方医学くらいになってしまいました。また、東洋の国の多くは、軍事的・経済的に優位に立つ西洋諸国の支配に屈服するところとなってしまいました。
 このような西洋の圧倒的優位は、原理を脇に置き、かつ、応用の利く現象論的法則からより根本的な法則を探るニュートン流の科学が、産業革命とマッチし、経済・軍事の進歩を引き起こすことに成功したことによります。
 20世紀も中盤から後半になると、第2次世界大戦で欧米列強を敵に回し、敗戦後も奇蹟の復交を遂げた日本を始めとし、共産革命に成功したのちの市場開放で経済発展の著しい中国、工業生産で世界市場に躍り出た韓国、台湾、東南アジア諸国、そして先端科学技術の開発に邁進するインドと、東洋の復興が著しくなりました。
 さて、現代の科学に洋の東西はあるでしょうか。その答えはNoです。現代には、東洋の科学、西洋の科学というものはありません。科学は世界共通のもの、現代のはやりの言葉で言えば、グローバルなものとなったのです。日本流の科学、アメリカ流の科学というようなものはありません。あるとすれば、それは、「日本人が得意な科学の分野」、「日本人が高く評価する科学の分野」という程度の意味しかありません。それは、ちょうど「日本の柔道」、「日本のサッカー」が、日本人が得意とする攻撃法や陣形を意味するものに過ぎず、ルールや基本的な戦略は、同じ国際スポーツであるならばどこの国においても差がないのと同様です。
 素粒子物理学の力の統一理論に貢献しノーベル物理学賞を受賞したS.L.グラショウは、「科学は世界の科学があるだけである。東洋の科学、西洋の科学というものはない。」という意味のことを言っています。グラショウはアメリカ人ですが、この彼の言を、アメリカ人が世界の現代物理学を主導し、その結果グローバル化を引き起こしたからだ、と考える人があるかもしれません。しかし、少なくとも素粒子物理学においてはそうではありません。彼は、東洋人が彼の分野で根本的なところで大きな役割を果たしてきたのを身を持って知っているのです。
 グラショウが研究した力の統一理論は、素粒子間に働く「弱い力」に対応して新しい粒子(WボゾンとZボゾン)を導入することがその骨子となっていますが、このように力に対応して新しい粒子を予言するということを創始したのは、日本の湯川秀樹でした。また、統一理論の理論的基礎を形作り、グラショウと同時にノーベル賞を受賞したアブダス・サラムはパキスタン人でした。また、「弱い力」の最も重要な性質「パリティ対称性の破れ」について決定的な考察と実験を行ったのは三人の中国人(リー、ヤン、ウ)でした。素粒子物理学の屋台骨の部分には東洋人の大きな貢献があったのです。もちろん西洋人の貢献もさらにたくさんありました。東洋人が頑張った、ということを言っているのではありません。素粒子物理学への貢献に、東洋人西洋人の差はなかった、ということを言いたいのです。
 

11.現代の天文学と物理学の状況

 ここで、現代の天文学が、科学法則をを解明する上でどのような貢献をしているかを考えてみましょう。かつては、天文学の研究は文字通り「宇宙の本質」を知るためのものでした。つまり、天文の観測により「根本原理」に迫ることができると考えられたのです。
 では、現代ではどうでしょう。20世紀には宇宙膨張、3K輻射など画期的な発見がなされましたが、今日では、宇宙の彼方を見ることによって直接「根本原理」が見られると思っている学者は少ないのではないかと思います。そういう可能性がないという訳ではありませんが、可能性はかなり小さいと言えるでしょう。宇宙を見てわかるのは、根本原理に関わる「仮説を検証すること」だと言えます。ここで思い起こされるのは三浦梅園です。彼は、「宇宙は自己の理論を検証する重要な舞台になる」と考えたのですが、ここに彼の先見性を見ることができます。
 今日の天文学が貢献しているのは、おもに新しい現象論的法則を見つけるため、あるいは、現象論的法則を検証するための事象の発見である、といえます。そして、根本原理に迫ることができるのは、むしろ素粒子物理学であると考えられています。これは、現在の科学法則の言語である基本的な概念、時空とか質量とか電荷というものの根本を素粒子物理学が解明できる可能性を持っているからです。また、それ以外の自然科学の現象は、原理的にはこれらの原理によって説明できるはずであると信じられています(実際にはそうはいかない)。
 では、現代物理学は、根本原理にたどりつくことが出来たでしょうか。まだ、たどりついていないとすると、近い将来、たどりつく見込みはあるのでしょうか。
 現代物理学の進歩の瞠目すべきところは、宇宙の始まりや物質の起源と言った極めて「根本的」なところまで議論ができるようになったということです。しかし、それは基本的には「より根本的な原理」をさらにさらに遡ったためと考えられます。幸いにして、素粒子物理学の分野においては、すでに到達した「より根本的な法則」が「根本原理の派生」であるかのような構造を持っています。これは、物理学者が真実の「根本原理」にかなり肉薄していることを意味しているのかもしれません。(第10図)でも、これは「大いなる幻想」であるかもしれないのです。
 グラショウは、現代物理学の成功した理論はすべて「ボトムアップ方式で行われている。唯一の例外がアインシュタインの一般相対性理論である。」と言っています。ボトムアップというのは、「より根本的な原理」、「より根本的な原理」と遡っていくことと同義と考えて良いでしょう(私の図では、上下逆で、ボトムが上になっているわけですが)。この手法では、実際には、根本原理と今までに見つかっている「より根本的な原理」の中間にある数学的な「さらに根本的な原理」を置き、それによって、今までの「より根本的な原理」や自然現象や実験結果が説明できるかを試すのです。基本的にはニュートンの方法の延長に過ぎないと言えます。


 アインシュタインの一般相対性理論は、少し違います。まず、「相当に根本的な原理」をドカンと据えるのです。これは、「等価原理」であるとか「時空間の幾何学」とか言ったものです。これを数学を使って自然に発展させると力学の法則や重力、観測される物理量の変換性などが導き出されるという画期的なものです。しかし、一般相対性理論は、やはり「根本原理」ではありません。せいぜい「根本原理の派生」にすぎないものと考えられます。
 そういう意味で、現代の物理学は、「根本原理の派生」と思われる原理を用いて諸現象を説明する段階にあるといえます。しかし、ある物理学の原理が「根本原理の派生」であるというは、物理学者の信念に過ぎません。こういう意味で、このような信念に導かれて仕事をしている現代の物理学者は、かつての東洋の自然哲学者と共通するところがあると言えると思います。現代においては「タテマエ」で済ませるということはなくなりましたが、美しい型式を持った数学的なモデルをいろいろと試している現代の理論物理学は、易の型式を思い起こさせるものがあります。
 
 では、我々は根本原理に到達できるか、ということが問題になりますが、これは、科学の東西と直接関係ないものですから、別の機会に譲りましょう。ここでは、根本原理として、自然界にある自由度(時空の次元や素粒子の持つ物理量)を由来させる、かつ、元々は対称性を持っているが、それが破れることによって多様な世界を創り出すようなものが考えられていることを紹介するにとどめておきましょう。私は、この考え方は、再び、東洋の一元気と易の原理に通じるものがあると感じています。
 

12.東西の科学とはなんだったのか

 現代は、科学に洋の東西はありません。でも、過去には確かに東洋の科学、西洋の科学の違いがありました。それは、なんだったのでしょうか。何ゆえに違いがあったのでしょうか。
 民族の気質や特性による説明を試みることは可能でしょう。多神教と一神教の宗教の違いは、発生した土地の自然の環境によるのだ、とよく言われます。科学もそうでしょうか。私はそうでないような気がします。多様なものに神を認め、曖昧、雑多を好む日本人が、なんとシンプルで合理的な世界観をめざしていたことでしょうか。また、唯一の神を奉じる人々が、複雑な戒律によって自らの人生や生活を律しているではありませんか。
 私はむしろ、東洋の科学、西洋の科学というのは、同じ人間の同じ思考方法の異なる局面(フェーズ)にすぎない、という考えも成り立つのではないかと思います。それは、丁度、オセロゲームの駒のようなものです。個々のオセロの駒は、試合中に何度も白になったり黒になったりします。そして、東洋ではたまたま黒で始まったが、西洋ではたまたま白で始まった場合に相当すると考えられるのではないでしょうか。現代では、世界という広い共通の舞台で、オセロの駒は再び黒になり、また白になろうとしています。
 西洋が白くて東洋が黒いとき(色は逆でもいいですが)に、西洋で産業革命が起こった、ということは歴史を決定づける上に画期的なことでした。これを、偶然の産物と説明するには相当に無責任で残酷であるように思われるかもしれません。しかし、それ以前の時代には、イスラム世界が科学界をリードしたこともありましたし、紙、火薬、活版印刷といったものが、西洋に先んじて東洋で始められた時代もあったことも忘れてはなりません。中世においては、西洋よりも東洋で、よりプラグマティックな創造がなされていたのです。また、現代の日本人や中国人が、西洋人よりも観念的で非合理的な思考を行っている、という意見に同意する人は少ないと思います。
 そういう意味で、科学が西洋的な思考方法を待って必然的に生み出された、というのは明らかに間違いです。それよりも、17〜19世紀においてたまたま西洋にいる人が東洋にいる人より有利な状況にあっただけだ、と考えてもいいのではないでしょうか。
  仮にそうであるとしましょう。そうすれば、この連載の表題は逆説的なものとなります。そして、科学は古代から現代に至るまで、一貫して人類全体に共通なものであったということを、私は断言することになります。
                                (おわり)