編集後記
                       発刊部 上原 貞治
 
 
 最近、NHK大河ドラマに関係して天文ネタを書く例が重なってしまっているので、今回もこれを踏襲する。今回は、当然ながら安倍晴明(あべのはるあきら、または、あべのせいめい)のことである。
 安倍晴明は「陰陽師(おんみょうじ)」の代表格のように言われているが、それが当時(平安中期)どういう職務だったのか、そしてどういう功績があったのかは私はよくはしらない。ただ、名前だけは有名でカリスマ性を帯びている。京都に神社があるのは知っているが行ったことはない。私が興味があるののは、天文学史上のことであるが、取り立てて具体的な業績は述べられていないようだ。しかし、安倍晴明は、後に暦算と官暦の作成を任ぜられた土御門家の祖と言われているので、それに引き継がれるだけの功績はあったものと思う。
 天文学史を調べるとわかることは、安倍晴明の時代とその直後(10〜11世紀)に、日本で天文観測が多く行われ始めていることである。しし座流星群や超新星の観測記録はその典型例である。世界をリードする記録と言ってもよい。これらがすなわち安倍晴明自身の観測というわけではないであろうが、彼がそのような実地天文観測の重要性を推進したのかもしれない。そうであれば、彼は、真摯に天文を観測する人であったとポジティブにその科学性を認めることが可能であろう。それが後の暦算の伝統につながったのかもしれないが、上に書いたように具体的に簡単に把握できる事実はないようである。
 陰陽師や暦博士の仕事は占いをするための学問をするという比重が大きかった。そのためには、真面目に天体を観察し、天文現象の意味を解釈しようとしたのかもしれない。その天文占いが真摯なものだったか策士なものだったのかは今となってはわからない。占いの結果は、勘文という文章にまとめられて朝廷に奏上されたということであるが、その内容自体が直接記録として残っている例は少ないようである。また、「安倍晴明は占いは当たったが、学才はさほどではなかった」という評価もある。古典的な学才より観測や実地に熱心だったのかもしれない。内裏のあたりで問題になったことに、要所要所で占いを当てたという功績が考えられるだろう。
 NHK大河ドラマの安倍晴明は、実際に真面目に天体観測もするし、理論計算もして学問に熱心な面と、ウソの占いを使って政治に利用することの両面を行っている。ただ、この時代は、才のある人の祈祷や呪詛は実際に効果があるとみんな信じていて、それは宗教・学問というより技術と捉えられていたので、そこ(占いや祈祷の技術)に何らかの自負があり、その自信が信用と結果につながるという実力はあったのだと思う。
 いずれにしても、彼が後世に一分野の始祖のように崇められていることは意味があるのだろうが、私にはよく理解できていないことである。安倍晴明はファンの方も多いようなので、またご教示をいただければありがたい。


今号表紙に戻る