編集後記
                     発刊部  上原 貞治
 
 
 昨年2022年は、本会誌『銀河鉄道』の創刊50周年でした。特集号はもう終わりましたが、今回は、その「余波」について書きます。50周年について天文ガイドにお知らせするという田中さんのご提案がありました。それで、今年初めに天文ガイド編集部にお知らせをし、結果として、その連絡に近い内容を、同誌2023年5月号の「読者SPACE」欄に投稿として掲載していただきました。西中筋天文同好会と『銀河鉄道』が1973年3月号の天文ガイドに初めて登場し、そして50年を隔ててまた今回の掲載となりました(その間も『銀河鉄道』を印刷したものを時々送っているので何回かの掲載はあります)。これはどれほどの資金をかけようとも50年の歳月をかけないと達成できないことですので、よい記念になったと思います。天文ガイドの編集部の皆様、ありがとうございました。
 
 さて、今号は通巻120号記念号です。前に、100号記念の時に、編集後記に、「この100号は、もちろん終着点ではありません。一応、通過点だと思っています。でも、『銀河鉄道』もいずれは終わりを迎えることになるでしょう。それも、100号から見てそうそう遠くまで行けない可能性のほうが高いと思います。」と書きました。「そうそう遠くまではいけない」という結論は変わらないにしても、ある程度の先まで来た ということで良かったと思います。もちろん、120号も通過点であります。
 
 通過点ですが、このあたりで、同好会HPに書いてある「『銀河鉄道』CD-ROM について」を改訂したいと思っています。最近は、PDF版を作っているので、PDFを主体にしたファイルアーカイブのCD-R(もちろんhtml+画像ファイル版も残します)を作りたいと思います。CD-Rに乗らない場合は、DVD-Rにします。これは、今すぐには始められませんが、今年夏くらいに作って、また皆様にお知らせします。
 
 昨年暮れから、日本のアマチュア天文家に大きな影響を与えた方々の訃報が相次ぎました。哀悼の意を捧げます。
 藤井旭さんが2022年12月28日にお亡くなりになりました。私が中学生の時に本格的に天体写真を始めた頃、藤井さんの本にお世話になり、その『天体写真の写し方』(写真)に従って写真を撮れば、それなりに天体写真を撮ることができました。私は子どもの時から何でも不器用で、図画工作もダメで、それは今も変わりませんが、楽しみや記録としての趣味にすることができ、本当に有り難かったと思います。また、藤井さんは、天文研究のための科学写真として天体写真をとらえておられたので、多くの天文研究者の育成にも貢献されることになりました。
 

 
 
 松本零士さんが2023年2月13日にお亡くなりになりました。私が松本零士さんのマンガを初めて読んだのは、「男おいどん」でした。私は、このような男のむさ苦しいマンガはけっこう好みでした。その後、テレビアニメで「宇宙戦艦ヤマト」をみて、作者が同じなので驚きました。宇宙を長期に渡って旅するという設定とともに、当時は宇宙の辺境であった冥王星が、旅への出発点として設定されているというスケールの大きさに驚きました。その後、宇宙への長旅のコンセプトを引き継ぐ「銀河鉄道999」の放映も始まり、そのころには我々の『銀河鉄道』も世にでていましたので、松本零士さんも鉄郎もメーテルも車掌さんも我々の「同志」ということで、今日までたいへんな親しみを感じています。今年3月〜4月に「つくばエキスポセンター」に設けられた松本零士先生追悼コーナー(写真)に行ってきました。プラネ番組版・半球高解像度映像の「銀河鉄道999」も見てきました。
 

「つくばエキスポセンター」に設けられた松本零士先生追悼コーナー
 
 松井孝典さんが2023年3月22日にお亡くなりになりました。松井さんは、私の認識では、1980年代前半に、惑星天文学を「地学」として日本のアマチュアの人々に初めて伝えた人ではなかったかと思います。それまで、高校の科目で「地学」がありましたが、それに「天文」が含まれていることは違和感満載でした。松井さんは、地球科学と他の太陽系の惑星、衛星の科学を同等に、アマチュアに解説してくれました。惑星の地形や成因というのは、いまや文字通り「地に足をつけた」学問になっていて、アマチュアもそれを理解できるようになり、現代の惑星、小惑星、彗星探査の理解にまでつながっているのは、松井さんの先駆的な研究と広報普及活動に依るところが大きいと思っています。


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