光の粒子性と波動性(第4回)
〜光の波は数えられるか〜
                       上原 貞治
 
八つぁん 以下H:ご隠居、朝早くからすみません。また、来てしめえました。
ご隠居 以下I:おや、八つぁん、何かあったかい。夕べの今朝じゃないか。
H:いや夜討ち朝駆けで面目ねえんですがね。夕べのがちょっと気になってしまって、今日の仕事は昼からなんで、朝早くから来てしめえました。
I:まあ、そりゃいいんだがね。何が気になるんだったかな。
 
波の数は数えられない
H:ご隠居は、夕べは、光の粒1つの波とか確かおっしゃいましたが、光の波というのは数が数えられるものですかね?
I: そりゃ、いちばん始めに言ったように、光の波は直接見ることはできないので、個数はわからないということになるんじゃないかな。光の波の様子がわかるのは、スクリーンやフィルムの様なものを置いて、そこでの光の当たり方の強さを見て初めてわかることだあね。光の強さはエネルギーの量にあたるんだけど、エネルギーになった時はもう光は粒になっていて、波は消えているね。
H:はあ、じゃ、1つの光の波というのは、やはり喩えかなんかなわけで・・・
H:いや、そんな深い意味はなくて、夕べ言ったのは光の波の数を数えようという話ではなくて、光を粒として捕まえて数が1個だったときに、それが飛んでいたときの波はどんな感じだったか考えよう、というそんな話なんだよ。
H:そうなんですが、光の粒が1個だったときの波の状態というわけですね。
I:望遠鏡で、1つの星を観測するときは、光電管や半導体の装置を使うと光の粒が1個1個、パラパラとやって来ているのがわかるんだ。そんなときに、1つの星を目で見た像の干渉のかたちを見ると、1つの光の波であっても、干渉のパターンが見えるということなんだ。前回、説明した、エアリーパターンだね。つまり、二重スリットの実験で、光がどっちを通ったかわからないというのと同じような現象が、望遠鏡の口径の範囲でも起こっているわけだね。
H:でも、粒1個じゃ、1点の情報だから波のパターンはわからないでしょう?
I:うん、1個じゃわからないが、1個ずつパラパラと来ているのを時間をかけて100個1000個と集めると点々の分布にパターンが見えてくるんだ。
H:えっ、じゃあたくさんが全体として波なんですか。
I:そうじゃないね。1個1個は別々に来ているわけだから、1つ1つがすでに波で、その1個の性質を見ていることになるね。たくさん点があるのは、ただの統計の集積であって、全体の傾向をを作っているのは1点1点の意志なんだ。選挙の結果みたいなものだな。
H:それはすごいね。個数によらず波なのか。、だったら、さすがに波を見ても光の数は数えられないか。波になっているのが、1つの粒だとはわからないね。
 
光の粒=光子の数の測り方
I:光というのは、最初に生まれて、最後に消えるんだが、最初にできるときも、最後に消えるときと同じように粒として振る舞うんだよ。原子から、ぽーんと1個光の粒が飛び出すんだ。そして、波になって空間に広がっていく。そして、もとが1個だった場合は、たいていの場合は、無くなるときも1個の粒としてぽーんとエネルギーを与えて終わる。
H:ほーう、生まれるときと死ぬときは、人間は一人。生きてる間は、社会の中で大勢の人に助けられたり、助けたりというわけですか。
I:おぉっ、八つぁん、うまいこというね。喩えとしてはきれいだが、でも、光は、人間とはちょっと違うな。
H:そうですか。どんな具合に違うんですか?
I:光の場合は、生まれてから死ぬまで結局は1人ということがよくあるな。早い話が、どれかの星から地球に飛んでくる光、ずっと1人で飛んでくるだろ。
H:ま、そうですね。パラッパラですから。
I:しかも、途中で、別の光とすれ違ったりすることはあるにしても、お互いにぶつかりもしなければ干渉もしない。たいていは、何ごともなくすれ違うだけだ。
H:はっ、ぶつかりませんかね。
I:光同士がぶつかって、無くなったり、跳ね返ったりすると、遠くの星が星のある方向にはっきり見えないことになるがね。でも、そんなことはなく、宇宙を何百年とかけて飛んで来た星の光が、星の方向にくっきり見えてるわけだ。
H:そっかー。それは星の光は孤独の旅ですね。小林旭みたいだ。
I:また、場合によっては、生まれるときに1人ではないな。
H:そっちも違いますか?
I:例えば、人工の光源になってしまうが、白熱電球だと原子の熱振動から光が出るんだが、短い時間ながらも相当の数の光の粒が引き続いて波長と位相が揃って連発されている。これは、1つの原子の振動から多数の光が生まれるためだね。また、レーザー光線だと、これを平行に束ねて位相を合わせる細工がしてあるので、位相が揃った光が強い強度で発射される。こういうのは光の粒の数でいうと「たくさん」ということになる。
H:ほーう。その位相の揃った光の波って、どんな感じなんですか。
I:うん、ある程度の強さの光が、全体としてなみなみの決まった位相を持って、ある程度の時間と長さのなみなみになっているという感じだな。もちろん、これを観測すると、多くの光の粒からなっていることがわかるし、全体として1つの波になっていることもわかる。
I:数は「たくさん」なんですね。そんな場合に、光の粒の個数というのは決まっているんでしょうか?
I:確定はしていないし、測定するのも簡単ではないが、1つうまい方法がある。それは、エネルギー量子の法則を使うことだな。
H:それは何ですか?
I:光の粒の1つのエネルギーは、光の波長と数式で関係しているんだな。光の波の振動数、これは1秒間に波が何周期波打つかということで、光の速さを波長で割り算すると計算出来るんだが、それはエネルギーに比例することがわかっていて、その比例定数はプランク定数として知られている。
H:へっ、なんですって? フランク係数ですか?
I:プランク係数ですよ。私には老眼鏡がないと、ブランクかプランクかわからないが、これは確かにプランクだ。そのプランク定数を知っていて、プランク定数に振動数をかけると、光子1個のエネルギーが出てくる。だから、波長が同じに揃っている光の束の総粒子数は、その光のエネルギーの合計を測ってそれを1個あたりのエネルギーで割り算すれば出てくるね。まあ、波のままでは測れないので、何か物体に光を当てて測ることになるんだけど。
H :へえ、光子1個のエネルギーが測れるものですか?
I:いや、ここでは、光子1個のエネルギーが法則で計算できると言っているだけで、本当は1個だけの光子のエネルギーを測ることは難しいんだ。たくさんの光子を集めれば、電流計や熱量計を使ってエネルギーを測ることはできる。いっぽう、光の振動数は、プリズムを使った分光器を使えば波長が測れるので、1個でも多数でも測れることになるな。
H:1個なのに波長が測れるって、具体的にはどういうことですか?
I :光子1個の到着場所を測定すると、その位置が、分光器で測った波長に対応するのだよね(図)。
 


 
プリズムを使ってスクリーンに虹を映した場合、肉眼で明るい虹を見た場合は、いろんな位置に色つきの光が当たっているのが見えるが、光子1個1個を測れる装置を使うと、それあっちやこっちやでポツポツ1個1個が測定され、それを全部オーバーラップさせると目で見たのと同じような場所の分布になるんだ。これで、波長の混じり具合がわかるし、全エネルギーもわかるわけだ。
H:じゃ、話を戻しますが、光は位相が揃ってドカッと来る場合もあるんですね。だったらそういうときは、波と粒の関係の話がややこしいですね。
I:それでも、うまい方法がある。そういうときは、適当に減光してやれば、光の粒を1つ1つ数えて、分光や回折のパターンから光の波の様子が測定できるな。
H:減光って、どうするんですか。それでは光のエネルギーが変わってしまいますよ。
I:減光には、太陽観測などに使う減光フィルターか灰色のNDフィルター を使うんだけど、この場合は、結果的には、光の波の強度と光の粒の個数が減るだけで、波のパターンや検出される光子の位置、光子の1個1個のエネルギーは変わらないんだ。粒1つ1つは、消えるか残るかのどっちかなんだよ。減るのは全体のエネルギーと光子の個数だけで、生き残ったやつは、前と同じ性質だ。
H:えっ、なんだかすごいみたいですが、よくわかりやせん。
I:うーん、ちょっとイメージするのは難しいけどね。たとえば、1万分の1とかの減光フィルターを使うと、どんな光の束であっても、光のエネルギーを1万分に減らせるんだけれども、それは、光の粒を個数として観測すると、個数が1万分の1になっているんだ。だから、じゅうぶんな濃さの減光フィルターを使うと、観測される光の粒は1つ1つパラッパラにすることができる。でも、そういう場合でも、以前の波の性質を維持しているから、粒の測定から波のことがわかるんだね。
 
光子の発射台
H:空間では光は波でどんな経路でも通れるということなら、突き詰めていうと、1つの遠くの星から、1つの光の粒が発射されても、それの光の波は四方八方に広がるわけで、星から出て地球で観測されるまでは、光が地球に向かって飛んでいったということにはならないんじゃないすかね。
I:おっとこれは大きく出たね。100光年離れたところにある星から光が出ても、100年間、個々の光がどっちを向いて飛んでいるかわからないということか。そうかもしれないね。
H:これは、面白いというより、頼りないことになってきたんじゃないすか。
I:でも、実際はそうとも限らないんじゃないかね。例えば、LED懐中電灯とかスポットライトだったら、ライトの向けられている方向に光は飛んで行くに決まってらあね。地球上から宇宙のある方向に向けてスポットライトで照らしたとして、そこから出て行く光は100年間四方八方に飛んでいく可能性は考えなくて良い。スポットライトの向いている方向を見たら、そっちの先のほうに飛んでいくことは一瞬にして明らかだ。
H:こりゃまたわからなくなってきた。
I:まあ、量子力学を説明に使って良いなら、こういうことは言えるな。光が飛んでいったあとの状況、まあ光の発射台の様子からだね、それからどちらの方向にどれくらいの光が飛んでいったかがわかる場合は、その通りに光は検出されるに決まってるんだ。いっぽう、発射台の様子からそれがわからない時は、どう光が検出されるかはわからず、何らかの波の形ができて、結果はそれに従った確率で光の粒が検出されるのだ。
H:つまり、わかる時はわかって、わかったようになるが、わからないときはわからずどうなるかはわからんが、それなりになるということですか。いい加減ですね。
I:うん、いいかげんとも言えるが、それが量子力学の本質らしいよ。だからいい加減ではなく、これが大事な指導原理になっているらしいんだ。
H:それはどういうことですか?
I:「わかる時はわかる、わからない時はわからない」というのが、単にいい加減な話ではなくて、現実に積極的な意味を持って観測にかかるということなんだけどね。ここでは、ミクロの世界の現象の説明をしようか。
H:ミクロって何ですか?
I:ここでは、原子核や電子が光を出す場合だな。たとえば、原子核が光子を1つ出すとする。こういうのを「ガンマ崩壊」と呼ぶんだが、ガンマとは高いエネルギーの光子のことだ。
H:ほうほう、ガンマがわかりにくくても、ここはガマンして聞けということですね。
I:腰の抜けそうな茶々は入れるなよ。それで、止まっている原子核がガンマ線を1個だすと、砲弾を発射した大砲のように、原子核が後ろに少し移動するんだ。
H:うん、そうでしょうね。それがどうかしましたか。
I:だったら、光子を見なくても、発射台の動きで光子がある方向に飛んでいったというのがよくわかるじゃないか。
H:おっと、そういうことか。発射台を見ればわかると。さっきのLEDライトと同じか。
I:ところがどっこいそうはいかない場合もある。八つぁん、電子は知っているよね。
H:マイナスの電気を帯びた粒でしょ。
I:うんそうだ。で、電子の反粒子というのに陽電子というのがある。これは、プラスの電気を持った電子に似た粒子で、反粒子というのは、電子と出会うと消滅してしまうんだ。そういうものがあるとしてくれ。
H:ほうほう、電子と陽電子を一緒にすると消滅する。
I:それで、止まっている電子に止まっている陽電子を合体させると、
 電子+陽電子→光子+光子
となって2つの光子が飛んでいくな。この2つの光子は、空間を正反対の方向に飛んでいくのだが、どっちに飛んでいったかは、発射台を見ても決してわからない。
H:発射台見てもわかりませんか?
I:見てももう何も無いですから。電子と陽電子は消滅しましたから。
H:おっと、おっと。消滅する直前を見るとわかりませんか。
I:消滅する直前を見ても、電子と陽電子が近寄ってあるのが見えるだけで、それで、光がどちらの方向に飛んでいくかはまったく予想できない。と、いうわけで、この場合は、2個の光子のうちの少なくとも1つを捕まえるまでは、決して方向がわからない。1つを捕まえた時に、初めて方向が決まるわけだ。たとえ、2つの光子がそれぞれ100メートル飛ぼうが、一方が捕まるまでは、光の位置は決まっていない。その代わり、一方が捕らえられた時は、もういっぽうも正反対の方向にいることが200メートルの彼方であっても一瞬にして決まるということだ。
H:えっ、なんか変なことを言っているようにしか聞こえませんが。それって、意味があるんですか?
I:この変な話が、量子力学の怖いところなんだよね。この手の量子力学の実験は、「偏光」というのを使って行われることが多いんだが、光の波との関係もあるし、ちょっと偏光の話もするかな。そういや、ごく最近(2022年)のノーベル物理学賞は、この手の実験、遠く離れた2個の光子について実験をした、アスペさんという物理学者さんたちが受賞したんだが、そのアスペさんの実験がそういう実験だった。
H:ほーう、ノーベル賞ものの話なんですか。ぜひ、聞きたいんですがね。でも、あまり妙エライな話を聞いて、今日昼からの仕事に差し支えてもいけねえんで、また、後日にしてください。
                           (つづく)
 
  
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