星の歌曲(第3回)「追憶」
                                          上原 貞治
 
 今回第3回は「追憶」(作詞 古関吉雄、作曲 メアリー・ダーナ・シンドラー、スペイン曲)である。「追憶」という題名の作品は、歌謡曲や映画などたくさんあると思うが、ここでは古関吉雄の作詞によるもの以外はもちろん関係がない。この曲も、この連載の前2曲と同様、作曲者はアメリカ人で原曲に英語の歌詞がついている。しかし、中学向けなど音楽の教科書に載せられた日本語の歌詞は英語の歌詞とはまったく違う内容で、訳詞ではなく作詞ということになる。
 
 今回も、まず、日本語の歌詞から引用する。
 
 星影やさしく またたくみ空
 仰ぎてさまよい 木陰を行けば
 葉うらのそよぎは 思い出さそいて
 澄みゆく心に しのばるる昔
 ああ なつかしその日
 
 さざ波かそけく ささやく岸辺
 すず風うれしく さまよい行けば
 砕くる月影 思い出さそいて
 澄みゆく心に しのばるる昔
 ああ なつかしその日
 
 平明な内容の歌詞で、意味に特に問題になるところはないだろう。古関吉雄 (1908-95)の著作権は切れていないと思うが、これも戦後の中学校の検定済教科書に載っているので、転載の問題は許していただきたい。
 本連載の前2作と異なり、歌詞の内容に特に理知的、天文学的なところはない。しかし、天体と地上物(星と樹木の葉、月と水面)とが融合した景色を強烈な印象で描いている。そして、その景色は、現在の景色とも過去の記憶とも言い切れない、それらが融合し時間を超えた記憶として扱われており、大げさにいうと、これは太古から地球表面に生きる人類の原風景として天体を取り込んでいる歌詞と言えるのではないだろうか。
 古関吉雄は、福島県出身の国文学者で東京帝国大学を出て明治大学の教授を勤めていた。「六甲おろし」やNHK朝ドラ「エール」で有名な古関裕而の従兄弟ということだから、祖父は裕而と同じく六代目・古関三郎治なのであろう。残念ながら、吉雄が学校向けの作詞(校歌も多く作詞している)を手がけた理由はネット上の文献ではよくわからなかったが、熱心な教育者であったことは間違いないようである。その業績や血筋からして相当の有名人であってしかるべきなのに、伝記などはないようである。この「追憶」の作詞は1939年のこととされている。古関吉雄の作詞(訳詞)でもっとも有名な曲は、英国のベイリー作曲「思い出」(かきに赤い花さく、原題 Long long ago)であろう。
 
 原曲は、メアリー・ダーナ・シンドラー(1810-33)が1841年に発表した賛美歌集に、スペイン曲として"Flee as a bird to your mountain"の題名で載っている。ダーナ・シンドラーの本名は、Mary Stanley Bunce Dana-Shindlerと長いが、最後のシンドラーは、1851年に再婚した夫の姓なので、この曲の発表当時はメアリー・ダーナであった。スペイン曲というのは、スペインに原曲が伝わっていたのをダーナが採集して歌詞を付けたという意味であるが、現在にいたる探索の努力にも関わらず、スペインに同様の楽曲は見つかっていないという。したがって、この曲はダーナの歌集にオリジナルがあるのみなので、ここでは便宜上ダーナの作曲でスペイン曲としておく。ただ、この曲は、1841年という古さに関わらず、この連載で取り上げた前2曲"What a frirend we have in Jesus"と"Mollie darling"と違って、フォスター的な古き良き時代のアメリカの香りはあまり感じられず、むしろ同時代のヨーロッパのロマン派のビゼーやメンデルスゾーンのメロディのような時代を超えた熱情が感じられるので、スペイン曲というのは本当ではないかと思う。
 上に述べた通り、作詞、原題はダーナによるもので、"Flee"は"Free"はなく「(鳥のように)逃げろ」という意味で、旧約聖書詩編のダビデの物語に取材した内容になっている。英語の歌詞に天体は出てこない。山に逃げれば神が救ってくれるというのが大意である。
 
 最後に、古関吉雄の歌詞の分析である。作詞の意図やヒントなどはまったくわからないが、この曲に日本語歌詞が付けられたのはこれが最初でなく、それまでに「月見れば」(大和田建樹作詞)と「故小妹」(惟一倶楽部、作詞者不詳)の先行歌詞があったのが参考になる。どちらもダーナの賛美歌の歌詞とは関係が無かったが、大和田の詞は月夜と地上の風景を融合させた類似の発想で、古関はこれを本詞の参考にした可能性が大きい。
 さらに、ダーナの歌詞の1番に"Go to the clear flowing fountain where you may wash and be clean."という文があり、これが古関の印象深い歌詞「澄みゆく心に」と対応している。ダーナの詞も古関の詞も、自然に触れることによって人間の心が洗われる(そうして現実世界のピンチから逃れることができる)というテーマで共通しているので、古関は原詞も参考にしたのだと思う。今、原曲の賛美歌を聴くと、「追憶」のイメージはすでにそこにあり、静かであっても力強く劇的な楽曲と心が洗われてゆく歌詞のマッチングは、両者で共通しているように感じられる。
 
 本連載は、今回で終わりとします。
 特に天文学とは関係のなかった日本の詩人が、特に星と関係のないアメリカの賛美歌や歌曲に着目し、美しい星空を描いた歌詞を与えてくれたことは、日本の天文や自然の愛好家にとって幸運なことであったと思います。3人の作詞者に感謝と敬意を表します。
 


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