光の粒子性と波動性(第1回)
〜 光は粒であると同時に波??〜
 
上原 貞治
 
著者より:
光の粒子性と波動性について、深い意味はないが、例の八つぁん、ご隠居の長屋話形式で書いてみたくなったので、数回の連載で書かせていただきます。面白いものが書けるかはまったく自信ございません。 これまで、一般向けにはあまり書かれていなかったような視点からの解説が書ければと思っています。
 
 
光は粒であって波
八つぁん(以下H): ご隠居、ご隠居、おはようございます! 起きてますよね。
ご隠居(以下I):朝から騒々しいね。八つぁんだろ。起きてますよ。年寄りは毎朝早いですよ。
H:よかった。お元気そうで。ちょっと、聞きたいことがあるんで、お時間があったらよろしくお願いします。
I:隠居の身だから時間はいくらでもあるけどね。まあ、とにかくおはいり。
 
H:さてと、今日は、光の本性について教えてもらいてえんで。そら、目に見える光ですよ。
I:ほうほう。その光のどんなことを知りたいとおっしゃるのかね。
H:光は、波であると同時に粒であるって、この間聞いたんで、これがどういうイメージなのか、ちょっとピンと来ないんですよ。粒ってぇからは、砂粒みたいな粒がたっくさん寄り集まって、鳥取砂丘みたいに山谷あって波みたいにうねってるんすか?
I:はぁ、どうだろね。そういうものじゃあないんじゃないかな。
H:やっぱり違いますか。なんか、そういうイメージでは納得いかなかったので、聞きにきたんですよ。やっぱりね。
I:そもそも、光は、粒であると同時に波というわけではないね。
H:えっ、そこから違うんですか? 光は粒であり、波でもあると聞きましたが。
I:粒でもあり、波でもあるというのは、正しいが、粒であると同時に波ではないな。粒の時は粒、波の時は波だ。
H:ええーっ、そうなんですか。どちらか一方ってことっすか?
 
目で見るときは粒
I:えーっと、何だな。光は飛んでいる時は、徹頭徹尾、波で、粒ってことはないな。
H:へえー、そうすか。飛んでいる時は波。そんな波みたいな光が飛んでるのは、見たことがありませんがね。
I:八つぁん、それは、おまえさん間違いだよ。おまえさんは、空中を飛んでいる光を見たことはあるまい。おまえさんの見ているのは、すべておまえさんの目の玉の中に入ってきた光だよ。
H:おっと、そうだっけかな。そういうことになるのかな・・・
I:そりゃあそうだね。人間が見ることが出来るのは、目の中に入ってきて、網膜に当たった光だけだ。だから、波になって飛んでいる途中の光を見た人はいないってわけさ。
H:えええー。それじゃ、空中を飛んでる光を写真に撮るとかするとか、ええー、それでも無理か。飛んでる途中の光を見ることはできないのか。
I:自然に飛んでる状態を見ることは無理だね。光は、スズメやツバメとは違うんだよ。
H:じゃあ、波としての光は見られないってことですか。では、おいらやご隠居が目で見てる光は何ですか?
I:目で見る光は、目の玉の中の網膜に当たる瞬間に粒になるんだな。その時に粒になる。
H:へぇー。じゃあ、おいらは粒としての光を見ているのか。
I:もっとも、網膜から八つぁんの脳みそに届く間は神経を通る電気信号つまり電流になっているから、光は網膜でおしまいだ。でも、光が電気になる瞬間に、粒として、網膜の細胞の分子にエネルギーを与えるんだ。このエネルギーを与えるときに、波の性質が消えて、粒の性質になるんだね。
H:うーん。わかりにくいですね。では、細かいこと聞きますがね。飛んでる最中は波ですよね。眼鏡のレンズやら目の玉の水晶体を飛んでるあたりはまだ波ですか?
I:それは、波だろうね。粒になったらそれはもう、その光としては終わりというか別物に変わっちまうからね。透明な物を通っている間は波だ。
H:そうなんですか。まだ、ちょっと納得いかないな・・・ 何で、水晶体では波で、網膜では粒と言えるのですか。
I:それはだね。簡単にはうまく説明出来ないが、水晶体や液体の中では、まだ光の性質として電磁場が振動しているからだよ。それが網膜に当たると、光の波がなくなって、網膜の分子の1つ1つに、ぽーんとエネルギーを与えて電流を起こしちまうんだ。その時のだな・・・
H:その時のぽーんが粒だってわけですか。
 
光の波長
H: いま、ご隠居は、光の性質は電磁場の振動とおっしゃいましたね。それは、つまり、光は電磁波ってことでしょ。飛んでいるときは電気と磁気の波ってことですよね。
I:その通りだよ。
H:電磁波と電波って同じものですかね。
I:電磁波の波の波長が長めなのが、電波だから、電波は、電磁波の一種だね。
H:波長っていうのは、なみなみの波の1つの単位の長さのことですよね。つまり、長さにかかわらず波っていうわけですね。
I:そうですよ。飛んでいる時はね。特に、真空中を飛んでいる電磁波は、波長に関係なく、同等のものですよ。だって、真空中を飛んでいる光の波長は、観測する人によって、ドップラー効果で変わるので、それ自体が自分の決まった波長ってものを持っているわけではない。
H:そうですか。昔、ハワイからけえった時に、光のドップラー効果についてご隠居から聞いたな。真空中の光は、自分の波長がわからないのか。空気中やガラス中の光はどうですか。
I:空気やガラスの分子が止まっているとして、そこから見た光ってものがあるので、分子に対してその相対速度に対応するエネルギーを持っていることになるな。だから、波長には意味があるんだよ。
H:相手があるってことはわかりましたが、何が起こるのか、もひとつピンときませんね。
I:空気やガラスの中の分子の中に、電子というマイナスの電気を帯びた粒がある。これの近くにちょうどよいエネルギーの電磁波、つまり光が通ると、光の電磁場が電子に作用して、光の電磁場と電子がまとまって一体として物質中を電気と磁気の振動つまり波が通るわけだ。こういうのが、透明な物質というわけだけど、その時に、光の速さも遅くなるんだ。
H:ちょっと、わかりにくいですね。なんで遅くなるんですか。
I:それは、物質中では、電子が振動に参加するために電気や磁気の通りやすさが真空中と比べて少し違うからなんだけど、それの説明は厄介なのでまた後回しにしよう。
H:後回し・・・。えー。じゃあ、光はいいとして、それより波長の長い電波や、波長の短い光も同じですか。
I:基本は同じなんだけど、実際にはだいぶ違うね。電波の場合は、透明でない金属、つまり、アンテナや同軸ケーブルのような電線の中を波の状態で通ることが出来る。これは、レンズの中とおなじ事情だけど、個々の光の粒のエネルギーが小さいから、電子に影響したとしても、波の性質を損なわずに、物質中の電磁波として移行できるわけだ。いっぽう、エネルギーの高い光、紫外線とかX線は、一つ一つの粒のエネルギーが高いので、物質中の電子になめらかにエネルギーを渡すことが出来ない。勢い、ぽーんとエネルギーを一発与えて、波の性質が消えてしまうんだよ。
H:つまり、物質側との、エネルギーの受け方の違いなんですね。
I:そうだね。飛んでいる光だけを取ってみると、波長の長さに関わらず、波なんだよ。
H:でも、何というんですかね。あの電気の波をテレビみたいな画像で見る装置、あれで、電波の波を見たことがありますが、あれはなぜ粒じゃなくて波の形に見えるんですか。機械の中にまで光の波が入ってくるわけではありませんよね?
I:ああ、オシロスコープにアンテナつないで見たのかな。あれは、もとの電波のなみなみの位相ってものが多くの粒子で揃っているからなんだが、これも説明が厄介なので、また後回しにしよう。
 
 
身近な光の見え方
H:また後回しですか・・・。まあいいや、どうも、生活感から飛び離れた話になってよくわからないので、身近な光の話に戻してえのですが、光が粒として見えているというのは本当なんですかね。
I:本当にね、人間の肉眼の網膜で、暗い星、空の星の3等星とか4等星の光が見えるのはね、光が粒でないと説明できないことなんだって。粒のエネルギーの固まりになって、網膜の分子にぽーんとエネルギーを与えるから暗い星でも見えるんだね。じわじわとした波だったら、目の網膜は一切動ぜず、それでは暗い星は見えない計算になってしまう。
H:へーえ。そうなんですか。とてもそんな実感はありませんが。
I:うん。実感はないだろう。日常で、人間に光が粒子である実感というのはないんじゃないかな。
H:でもですね。お日様からの光が人の身体に当たると、人の形の影法師ができますよね。これって、光が粒だと考えるとうまく理解できると思いますけど。
I:そうだね。ちょうど、影法師が、光の粒が遮られた形に残るとか。弾丸で人型を残したみたいだよね。その気持ちはわかるが、実は、これは、光が波でも、説明できるんだ。より正確に影法師の形を計算したり理解したりしようと思ったら、実は、光を波と思って計算しないといけないんだよ。これは、望遠鏡など、レンズや凹面鏡を使った光学器械の計算でも同じことだよ。粒では説明の付かない現象が良く見ると起こっている。つまり、影法師にしても、望遠鏡にしても、光学器械が造る像というのは、空間を飛んできた光の性質によるわけだからね。
H:でも、なみなみじゃ計算が難しそうですよ。
I:計算は簡単ではないが、どんな感じなのか、イメージだけでも説明することにしようか。話がちょっと長くなりそうになって来たので、このへんでお茶を飲んで一休みしよう。
 
 (つづく)



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