星の歌曲(第1回)「星の界」
                         上原 貞治
 
 今回から3回連続の予定で、星に関する日本語の歌詞がついた唱歌を取り上げる。どれも中学校の音楽の教科書などでよく知られている曲である。最初、この稿のタイトルは「星の唱歌」にしようと思ったが、3曲とも原曲はアメリカの曲で、しかも、作詞家と作曲家が判明しており、歌詞も日本の作家によるオリジナルで英語詩の翻訳ではないので、官製のプロデュースを連想させる「唱歌」の呼び方は避け、「星の歌曲」ということにした。いずれも英語の歌詞は星に関係するものではない。
 
 第1回は「星の界」(作詞 杉谷代水、作曲 チャールズ・C・コンバース)である。
 
 まず、読み方であるが、「星の界」は、「ほしのよ」と読む。杉谷代水(すぎたに だいすい)の歌詞でよく知られている。 杉谷(1874-1910)は、鳥取県出身の 詩人、劇作家、翻訳家で、現在の早稲田大学文学部で学んだ。 「星の界」の歌詞は、1910年(明治43年)に『教科統合中等唱歌』に発表され、文部省唱歌として扱われた。
 
 歌詞を引用する。
 
   月なきみ空に きらめく光
   嗚呼その星影 希望のすがた
   人智は果なし 無窮の遠に
   いざその星影 きわめも行かん
 
   雲なきみ空に 横とう光
   嗚呼洋々たる 銀河の流れ
   仰ぎて眺むる 万里のあなた
   いざ棹させよや 窮理の船に
 
 3行目の「遠」は「おち」と読む。これを見ると、天文学者の研究魂のテーマソングのような感じもする。杉谷がこの歌詞の着想をどこから得たのか私は知らないが、当時、日本の広範な人たちの間に天文学研究の近代的な意味が根付き始めたのであろう。水沢緯度観測所の木村栄博士によるZ項発見が1902年、日本天文学会の設立が1908年、ハリー彗星の接近が1910年であった。杉谷は、このような天文学の活動の何かに共鳴したのではないかと想像する。
 
 原曲は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州で作曲家をしていたコンバース(Charles Crozat Converse,1832-1918 )の作曲の賛美歌“What A Friend We Have in Jesus”である。原曲の賛美歌も日本で「いつくしみ深き友なるイエスは」で始まる訳詞でよく知られていて、また、英語原題そのままの「ホワット・ア・フレンド・ウィー・ハヴ・イン・ジーザス」というカタカナ名も行われている。これは、コンバースが、 ジョセフ・スクライヴィンの詞に作曲したもので1870年に発表された。すでに1868年に作曲されていて、作曲時は歌詞のない"Erie"という曲であったと説もあるが詳細は不明である。このErieというのはコンバースの住んでいた所の地名らしい。この賛美歌(賛美歌というのは、おもにプロテスタントでの呼び方で、カトリックでは聖歌と呼ぶらしいがここではこだわらないことにする)は、「いつくしみ深き」のタイトルで、日本のキリスト教の結婚式や葬式でもよく歌われているので、日本人にとって、クリスマスソングを除けばもっともよく知られた賛美歌かもしれない。英語詩の作詞家や意味についてはいろいろと物語があるようだが、それはネットに広く紹介されており、また、それは星とは直接関係のない内容に限られているので、ここでは割愛する。
 「星の界」の歌詞が文語で子どもには難解であるということで、その後、川路柳虹によって、「かがやく夜空の 星の光よ」という似たような着想の歌詞がつけられ「星の世界」というタイトルでも知られるようになった。かくして、この曲は複数の詞によって、多くの日本人に親しまれることになった。
 
  次回は、ヘイズ作曲、堀内敬三作詞の「冬の星座」を取り上げます。



今号表紙に戻る