編 集 後 記
 
                                  発刊部   上原 貞治
 
 
  編集後記は、また時事ネタに戻りたいと思ったが、新型コロナ蔓延の話題も、東京オリパラの話題も私には不愉快なだけなので、ここではワクチンに絡んだ話を書きたい。コロナワクチンについては、ありがたいことに2回の接種を無事していただいた。頭痛などの副反応は出たが、37℃以上の発熱も無くたいしたことはなかった。
 
 思えば、副反応が出る接種というのは久しぶりのことである。前回はというと、成年前の記憶しかない。私がワクチンということばを初めて聞いたのは、小児麻痺ワクチンであった。これは、私が覚えている記憶のなかでも最も古いものに属する。 このワクチンは、注射ではなく、経口ワクチン、つまり、口で液体を飲むものであった。ちょうど、中華スープ用のレンゲのようなもので、白い液体を飲まされた。いつ頃のことだったかと調べてみると、1959年〜1961年のことだったらしい。受けたのはたぶん遷喬小学校の体育館だったと思うが、就学前なのでこの記憶に確証はない。この時に副反応が出たかどうかは覚えていない。この3歳か4歳の時の印象は強く、私は子どもの時はずっとワクチンというのは口から飲むものだと思っていた。
 
 幼稚園〜小学校の時は、年に数回「予防接種」なるものがあった。これは針で刺す注射であった。種痘やBCGは痕が残るほどの副反応が出るもので、私も種痘の跡が左腕に残っている。ただ、この種痘を受けた時のことは覚えていない。大きくなってから2回目を受けたように思うが、2回目は痕は残らなかった。BCGについては記憶も痕も残っていないが、陽性になったので受けたことはあるのだろう。私よりも上の世代の人たちは、3×3の正方形のハンコの痕があった(今やわかる人にしかわからない)。私にはないので、これも痕が残らないという医療技術の進歩だ。ところで、この陽性というのはツベルクリン反応検査のことだが、ツベルクリンの陽性も広い意味では注射の副反応である。これがけっこう痒いのだが測定前に掻くと範囲が広がり測定にならないので絶対に掻いてはいけないと言われ、苦しかった。測定後は思う存分掻いて、直径10cmくらい真っ赤になった。
 
 予防注射はたくさんあった。パラチフス、インフルエンザ、ジフテリアなど。ジフテリアは犬用かと思ったが、人間用に確かにあった。これらの中で副反応がもっとも大きかったのは日本脳炎の予防接種である。私は、注射の種類で痛さが予想できた。日本脳炎の注射だけは格が違った。接種の際にズーンと重みのある痛みが走るのである。腕の中に鉛玉を入れられる感触である。特に腫れるとか傷口が広がるということはなかったが、1〜2日は腕の痛みが残った。コロナワクチンのような頭痛は起こらないので日本脳炎のほうがましとも言えるが、注射による直接の痛みは日本脳炎が随一だと思う。なお、当時、一般的に、予防接種をした日は風呂にはいるなと言われた。私は絶対に入らなかった。したがって、今回のコロナワクチンでも風呂に入らなかった。
 
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 末尾になりますが、来年2022年は、我が「銀河鉄道」の創刊50周年です。これの企画の1つとして、田中氏が「フォトブック」の形式の記念誌の発行を計画して下さいました。思い出の写真、現在に至るまでの写真を集めるという趣旨の企画と思いますので、早めから写真をの探索をしていただきますよう、ご協力よろしくお願いします。また、来年の後半発行の銀河鉄道には、50周年に関わる近況や随想の記事をお願いしたいと思います。これについては、来号でお知らせしたいと思います。
 



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