編集後記
         上原 貞治
 
 おかげさまで、今年も年3回の「銀河鉄道」をお届けすることができました。ご支援に深く感謝いたします。この齢になると、やるべきことをやるだけのことがどれほどたいへんか、情けないほどよくわかります。直近の話題と天文現象の報告を書いてくださった田中さんと福井さんに感謝します。
 
さて、 最近、コロナ禍で自粛疲れで、不景気も募っているので、そういう気の滅入る話はやめて、前回に引き続き、福知山ゆかりの明智光秀が主役の大河ドラマ『麒麟がくる』に関係することを書きたい。それも、できるだけ景気がいいことということで、大金に関する話を・・・
 
 『麒麟がくる』には、お金の話がとてもよく出てくる。戦国時代は実力社会だったが、やはりお金がものを言ったらしい。織田信長が、旧弊を打ち破って楽市楽座を推進したことが功を奏したのもそこに理由があったのだろう。その群雄割拠の世に、全国を通じた貨幣相場というものがあったみたいで、とても興味深い。
 ドラマでは、堺正章さん演ずる医者の東庵先生が双六バクチでする話があって、20貫くらい損したと言っていた。これは、どのくらいの価値であろうか? この「貫」は銅銭の重さの単位で、1匁(もんめ)から1文銭、1貫=1000匁だから、1貫は1000文に相当する。当時出回った明銭の1文銭が約1匁の重さだったということだろう。なお、1匁は3.75グラムだが、これは明治時代に定義された値で、戦国時代は多少違ったらしい。でも、どちらみち概算の話なので、以下、1匁は3.75gということで話を進める。なお、織田信長が旗印につかった明銭「永楽通宝」は4文に通用したということだが、4匁の重さはないものと思う。
 ネットで調べると、戦国時代の1文の価値は現在の150円に相当するらしい。だから、1貫は15万円で、東庵先生は300万円くらいバクチですることがあったらしい。名医なので、そのくらいの借金ができる甲斐性はじゅうぶんあったのだろう。なお、江戸時代の銅銭(寛永通宝など)の1文は25円で換算するのが一般的である。これは、江戸時代前期に国内製造の貨幣が(小判を含めて)増発されたことが大きい。
 このドラマで出てきた最高金額は、私の記憶にある限り、京に上る織田信長が足利義昭のために用意した金(ゴールド)粒1000貫である。これは、金で千貫かと思ったが、3.75トンの金では岐阜城の木造の床が抜けると予想されるので、銅銭換算で千貫だったのであろう。それなら1億5000万円相当で、大金ではあるが信長に出せない金ではない。仮に、金千貫なら23万両に相当し、当時の金1両は数十万円の価値があっただろうから、数百億円に匹敵してこれはとても信長に出せまい。
 なお、銭千貫は、東庵先生の弟子のお駒さんがのちに薬製造で稼いで将軍足利義昭に寄附する計画を立てていた額で、当時の家内企業で工面できる金であり、なおかつ、役所でも困っている程度のお金ということで、まさに1億5000万円という現代にも通用する金銭感覚ではないか。永楽通宝を掲げた織田信長も、このくらいのスケールの商業を盛んにしたいと思っていたことであろう。
 最後に、これを現在の銅の価値に直してみるのも面白いだろう。現在、銅1kgの値段は800円くらいである。また、10円玉の重さは4.5gで、単純計算で10円玉の銅の価値は(10円玉は純銅でないが純銅として)約4円となる。また、4.5gは1.2匁で、戦国時代なら180円の価値の銅銭が作れたはずだが、現在では10円玉はもちろん10円の価値である。戦国時代は、10円玉の銅に18倍の価値があったのかということになるが、そこまで遡らなくても、昭和26年に10円玉(ギザ十)が出た当時は、10円に今の180円くらいの価値はじゅうぶんあったので(当時、20円で外食でそばが食べれた)、発行初期の10円玉は戦国時代と似た価値があったのかもしれない。今は、昔に比べて、銅や鉄など金属の価格は安くなり、代わりに人間の価値(人件費)が上がり、結構な世と言えるが、さりとて、人間さまが会社勤めで働いても暮らしは楽にならず、少子高齢化で国の借金財政に頼っているとは、皮肉なことである。何にせよ、現代の日本のマネーというものは、織田信長の時代から連続的につながっていて今日の日本国の経済状態があると言えるのだろう。 
 景気の良い話がだんだんせせこましくなったが、どちら様にも景気のよい新年をお祈りしております。


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