安藤昌益と三浦梅園の自然学(後編)
上原 貞治
 
4.三浦梅園の自然学
 先号に掲載した前編では、儒学の自然学について概観した後、安藤昌益の自然学の中心的となる部分について紹介した。昌益について語るべきことはまだ残っているが、それは、もう一人の傑出した自然哲学者である三浦梅園の説との比較で論じるのが適当であろうから、まず三浦梅園の自然学の全容について概説する。
 三浦梅園は「我が国最強」の自然哲学者である。「我が国最大」の自然哲学者が誰であるかは、人によって評価が違うだろう。梅園かもしれないし、そうでないかもしれない。しかし、「最強」となると梅園を措いて他には考えられない。梅園こそは、強靱な思考を貫いて、宇宙の描像をゼロから構成した人であった。梅園哲学においては、もはやその説がが正しいかどうか、成功しているかどうかは問題ではない。宇宙全体を記述する自然学を構築するにおいて、途中で挫折することなく進めるところまで突き進んだその構成の総体に価値がある。といっても、私は梅園の精神力や努力を評価しているわけではない。生涯をかけて突き進むことを可能ならしめた思考の出発点と出来上がっていく構成の強固さについて評価しているのである。
 三浦梅園について、私は「銀河鉄道」WWW版8号掲載の「西洋の科学、東洋の科学と日本の科学(第3回)」の第8節で取り上げた。また、さらに以前に、我らのWebサイトにある私の別の論考(※)でも触れたことがある。彼の自然学について重要な点はそこに書いたので、ここで同様の駄文を繰り返すことはないであろう。重要な点のまとめだけ書いておくと、三浦梅園は、宇宙のすべての物と事(物質、性質、法則のすべて)を説明する理論を構築するために、「気」の東洋哲学をいったん解体し、まっさらの状態から、陰と陽だけを抽象的に取り出し、易学を参考にした2進分類法に基づいて森羅万象を当てはめていったのである。
  
※ 上原 貞治「江戸時代の日本における基礎科学研究の成果についての概観」
http://seiten.mond.jp/others/edokagaku.htm  
  
4.1 モノとコト
 梅園の自然学を理解するのに難しいところは、それがモノとコトの両方を統一的に扱っていることである。これはきわめて重要なことである。宇宙にはいろいろなモノが存在する。たとえば、酸素や水素などいろいろな種類の原子があることがわかったとしよう。もちろん、梅園の時代の日本では、西洋の化学の元素は知られておらず、物質は「気」という流動する仮想的なもので出来ていると考えられていた。この酸素水素はもののたとえである。その状況で、この世にあるモノすべての分類をしたとしよう。しかし、仮にそのようなモノの分類に成功したところで、酸素がなぜあるのか、水素がなぜあるのかは説明できない。また、酸素と水素から水が出来ることも説明できない。それには、酸素と水素の性質とそれらの性質の共通点と相違点、酸素と水素が出会ったときに起こることの法則などが解明され、説明されなくてはならない。ところが、酸素の性質というのは、モノではない。化学の力も法則もモノでは無い。しかし、このモノではないもの、すなわちコトが、モノと同時に説明されない限り、モノがわかったことにはならない。これが梅園にとって大問題であった。モノは目に見えるが、コトは目に見えない。
 この難問には、すでに、梅園以前の中国の儒学者が挑んでいた。「気」というのは物質、すなわちモノである。それに対応した性質、法則というものは、「理」とか「神」で表現される(「神」はシンと読む。神様のことではない)。物体とその性質とはどのように結びついているのか、それらは別物としてくっついているのか、渾然一体のものなのか、これは儒学の最難問のひとつである。梅園は、このコトとモノを同列の形式で、すなわち「陰」と「陽」として説明しようとした。ここが解決できない限り、宇宙の全容の解明は進まないのである。
 近代西洋の化学で、酸素と水素の例については、原子の構造が知られるようになり、化学反応が電子の受け渡しによって支配されていることから、水素と酸素の関係の統一的な説明がなされた。しかし、これを宇宙のすべてのモノについて広げるのは大変である。そうして、現在の科学は、この試行上の延長にある。目に見える(あるいは肉体に感じられる)モノの質量を論じる時は、同時にエネルギーと重力について、論じなければならない。火について論じるときは、熱や温度がなんたるかがわかっていないといけない。そうして、現在の物理学、天文学が宇宙の起源を探索するときには、宇宙のすべての物質、素粒子や原子核、それらの間に働く作用、宇宙の発展の歴史、そうして、現在の我々が知っている宇宙の姿とすべての物理法則が、単一の理論から導き出されなくてはならない。そういうことはわかっている。その信念は強くなるばかりだが、まだその理論は完成していない。そして、困ったことに、時空とか重力とか質量とか素粒子の種類とか、その効果による現象が身近に明瞭に目に見えるモノほど、その根本になっているコトの探求が難しいのである。
 
4.2 対称性の哲学
 モノとコトの両方を説明するにはどうしたらよいか、ということを考えたとき、三浦梅園は、まことに正しい方法を見つけた。それは、対称性を原理に据えることである。彼は、東洋哲学に存在していたもっとも基本的な対称性「陰」と「陽」を取り上げた。彼の陰陽は、一般に言われる暗い・明るいという意味はない。マイナスとプラスという意味と取っていい。つまり、ゼロの状態に対していっぽうに偏っているのが「陰」、その反対方向に偏っているのが「陽」と考えればいいだろう。そして、この陰陽は対称であるとする。そして、宇宙のすべてのモノとコトが陰陽に当てはめることが出来、そのすべての場面で、同じようなパターンの法則が繰り返される。そうであれば、この法則のパターンを既知の現象からうまく見つけてやれば、宇宙全体のモノとコトがすべて説明できそうではないか。非常に単純に言えば、モノとコトが同じ根拠から派生する陽と陰と言って良い。これは画期的なアイデアであった。
 ここで、宇宙全体を説明する法則をトップダウンで発案することを考えてみよう。宇宙全体というのは、存在と法則のすべてであるから、それを説明するには、どこから手をつければ良いかまったくわからない状況になる。これを宗教に頼る場合は、絶対的な知能を持つ神あるいは仏をまず据えることになる。しかし、科学理論では神仏に頼ることは出来ない。一つの方法は、まず、時間・空間の枠組みを設定し、その性質を決めていくことである。古代ギリシア〜近世西洋はこの方法を取った。しかし、時間とは何か、空間とは何かということは簡単には説明できず、また枠組みだけでは法則が定まらないので、たとえば、ニュートンは絶対静止空間の中を粒子が力を及ぼしながら運動する描像を加えた。デカルトやホイヘンスのように、空間内を連続物質が満たしている描像を考えた学者もいた。
 安藤昌益も三浦梅園も西洋の自然哲学を学んではいない。東洋自然哲学のおおもとの考えは、気と陰陽である。気は物質であり、もともとは空間に連続的に満ちているガスのようなイメージである。ガスは風や圧力が感じられたり、ものによっては火をつければ爆発するので、もちろん物理的な実体である。ガスが固まれば、液体や固体にもなる。陰陽は、易学で八卦をもちいた占いに使われている概念で、これはまさに数学的な対称性である。梅園は、この根源のところから再スタートした。
 ここまでのアイデアなら画期的なことであるといえても、時折は誰もが思いつくものかもしれない。しかし、梅園は、これを思いついて以降30年以上の生涯を、その理論を宇宙全体に適用することに費やした。「宇宙全体に」ということは、これで宇宙をうまく説明したいということにとどまらない。宇宙のすべてのことを「漏れなく」説明しなければならない。宇宙の現象や法則を一つ一つ説明していって漏れをつくらないためには、無限の思考時間を要するのではないか。これはまさに彼の孤高の戦いであった。彼の信念は、単純な対称性が森羅万象をすべて説明するだろうということである。残念ながら、梅園は、科学者でもなければ数学者でもなく、蘭学者でもなかった。彼は、儒学には通じていたものの、つまるところ安藤昌益と同様、一介の地方の学者であった。彼の唯一の武器は、もとの発想の方向の正しさと思考の強靱さのみであった。
 そして、梅園は、宇宙全体、すなわち、すべてのモノとコトを陰陽として分類した。宇宙全体の時空、宇宙全体の法則、宇宙にある諸物質、物質を支配する法則、個々の物質の諸特性、それらはすべて彼の理論で陰陽に分類され、互いの関係が系統的に説明される。しかし、それで、宇宙全体をカバーするには道はあまりに遠い。彼は、対称性の自然哲学理論の構成を生涯をかけて続けたが完成しなかった。しかし決してそれは無駄な努力ではなかった。同様の努力が、現代科学において、今この瞬間も続行されているのである。 
 
5.1 安藤昌益と三浦梅園の対称性の哲学の比較
  安藤昌益の自然学と三浦梅園の自然学の最大の共通点は、陰陽の概念の抽象化と徹底化である。二人とも、陰陽とは2つでありながら実は1つであることを強調した。世の中にあるものは、すべて2つが組になっていて、その実態は一つである。というのは、仏教を含む多くの東洋哲学に広く見られる「教義」になっている。しかし、2人は、これを自然法則として捉えるところから出発しているので、それが絶対の真理として導く結論は、倫理の宗教のそれとは異なってくることがある。
 たとえば、寒暖は、寒いと暖かいと考えると2つであるが、その実は気温の変化という意味で1つである。気温が比較的低い状況が寒であり、比較的高い状況が暖である。生物の雌雄も2つに見えて実は1つである。1つの目的のために2つの性がある。損得も2つというよりは1つである。得をする人がいれば、必ず損をする人がいる。得の希望と損のリスクの両方があるから市場や経済が成り立っているのだ。三浦梅園は、これを自然における陰陽の法則と捉え、一見して相反する2つの物事の関係を解明する方法として「反観合一」を提唱した。これは、ものごとの両面を見るために敢えて逆の方向から見てみて、陰陽まとめて真理を見いだせ、というような意味だが、ヘーゲルの弁証法を先取りする方法として評価する人もいる。
 いっぽうの安藤昌益も、この2つに見えて1つという見方を徹底的に推進した。善悪は2つである。しかし彼に依れば、その実は1つである。この世が善と悪のセットからなっている以上、悪だけを廃して善だけを取るのは無理な相談である。善と悪の両方を受け入れなければならない、と彼は主張した。悪は避けたいのが人情であるが、悪を徹底的に廃するという態度は、それが無理な相談であるだけでなく、その努力の過程においても必ず弊害を生ずるという。損をするリスクがゼロの商売も投資もありえないのと同じである。リスクがあるから投資が成り立ち、「決して損はさせません」という話があればそれは必ず詐欺である。従って、「真善美」を目指す儒学や宗教の教えも間違っている。「真善美」のみを求めて「偽悪醜」を排除するのは自然のバランスを失しており、これは詐欺同然の教えである。
 これを現代科学で考えると、部屋を暖房したり冷房したりして快適に暮らすことを求めるならば、エネルギーの消費をせざるを得ない。特に、エアコンの場合、暖房は冷気を外に出すことになり、冷房は暖気を外に出すことになる。快適を暮らすことは善であるが、エネルギー消費は悪であり、温室化効果ガス放出も悪ということになるだろう。さらに自分の家の快適さのために、屋外に迷惑をかけることは相当の悪である。熱力学の法則、化学の法則として、これら善のための悪は避けられない。善だけを取り悪だけを取るまいとするならば、無駄な努力を続けるか、何もせずに無為に過ごすかのどちらかである。それでは、人間の生命が生かせず仕事も進まず、結局、善にはならない。以上のような議論は、生命科学、環境科学やエネルギー利用を考えたときに、現代の誰もが考えることであろう。昌益は、基本的にこのような考え方で、陰陽の双方を同時に受け入れることが自然の道と考えたのである。
 
5.2 五行説について
 昌益と梅園で決定的に違うのは、「五行説」に対する態度である。「五行」については前編でも説明したが、木・火・土・金・水の5つを元素となる物質の構成要素と見る考え方である。また、物質の性質もこの5種に分類されるとする。一般的には、木は植物のからだ、火は炎や熱や光、土は土壌、岩石、鉱物、粉状の酸化物、結晶など、金は諸々の金属、水は水分や湿り気、水以外の液体物(アルコールなど)である。この5要素についても対称性(たとえば正五角形の頂点のような)が考えられると都合がいい。
 しかし、5はどうがんばっても2で割り切れない。梅園の自然学は、要素の数が1→2→4→8→16と倍々に増えていくので、5はどうにも表現のしようがない。また、木・火・土・金・水も、それほど対称的な性質を持っているようには思えない。ミクロの部分を考えれば、木や土は、火や水よりはずっと複雑な構造に見える。という理由から、梅園は「五行説」を誤謬として排斥し、これを何ら顧みることはなかった。
 いっぽう、昌益の自然学においては、陰陽の対称性も五行説もその根本的要素である。ここで昌益はウルトラC級のアイデアを出した。昌益によると、五行は5つにして、1つの気である。そして、中心にあるのは「土」である。土が前方に1段階進む(小進)と「木」になる。前方に2段階進む(大進)と「火」になるのである。また、1段階後退(小退)すると「金」であり、2段階後退(大退)すると「水」である。何のことやらと思われるかもしれないが、わかりやすく目に見えるように喩えるならば、五行は、特殊自動車のマニュアルミッションギア(手動変速機)のようなものである。「火・木・土・金・水」の順に5段に並んでいる。土がニュートラル、木と火がそれぞれ前進1速・2速、金と水が後退1速・2速である。全体として、ミッションギアという1つの気である。最初は土である。自然の動きに従ってそれが進めば木火になり、退けば金水になる。進むのが陽であり、退くのが陰である。これで、陰陽と五行が共存する。
 さらに、昌益の自然学では、自然の要素(モノとコト)はそのそれぞれが「五行の一気」を含んでいる。その一気は、5次元の列ベクトル(括弧内に縦向きに5つの数字が並ぶ)のように、5行のそれぞれの強度を持っている。ミッションギアは5速を持っていても、その時々には1つの状態しか取らないが、自然界の物事は5速が同時に働き、5種類の強度の大小が発揮される。5行の各要素の大小の方向(プラス・マイナス)がまた陰陽である。これを数学表現でいうなら、5次元空間座標を考えると良いだろう。火木土金水のそれぞれに、プラスとマイナスの方向がある。土が進んで木になるのは、z軸がy軸になるようなもので、ものが回転するようなものである。この形式は、現代の物理学での量子化された角運動量ベクトルに似た特性を持っている。もちろん、安藤昌益は数学者ではないので、これは偶然というか、現代のものの喩えである。しかし、数学的形式を整えれば、2方向の対称性を用いて、3次元なり5次元なりを持つ対称性の枠組みを表現することは可能である。安藤昌益がこのような抽象的思考の出来る人であったことは驚嘆の至りである。
 
5.3 時空について
 本論の最後に、梅園と昌益の自然学でこの宇宙の時空がどのように対称化されているのかを紹介しよう。それが、天文同好会会誌の記事としてふさわしいであろう。
 時空と言う時、現代の科学では、それは時間が1次元で、空間が3次元である。これを陰陽で2進分類するのは難しいようだが、梅園はこれをつぎのようにやってのけた。まず、時間と空間で陰陽である。、時間を空間と対称のものとして扱ったのは、梅園の傑出したアイデアであった。相対性理論に詳しい人は、ここで特殊相対性理論の計量テンソルの対称行列を思い出すかもしれないが、それはもちろん偶然である。さて、空間は3次元であるので始末が悪いが、梅園は基本的に天動説の人間である(彼は地球が球体であることは知っていた)。上下の方向は特殊な方向である。地球の中心が下であり、下は地球の中心で終わりである。上は宇宙空間に向けて広がっている。残りの2方向は地表面に平行な東西と南北である。これで、すべてが2分できたではないか。
 現代人は、地球の中心を宇宙空間の中心とするのは古くさい考えと思うであろう。梅園も、西洋に地動説があることを知っていた。確かに、光やエネルギーの流れという点からは、太陽が宇宙の中心にあって、地球がその周りを回っているというのも一理ある。ここで、三浦梅園は、寛大にも、天動説と地動説の両方を同時に受け入れる。天動説を陰の見方とし、地動説を陽の見方とすればよいのである。西洋では宗教裁判になった対立を、自然の対称性として包含する。梅園の陰陽理論は、ここまで徹底して懐が広いのである。
 昌益においては、時空については、徹底した数学的議論はなかったようである。時間との概念を抽象化することも見当たらない。上下の方向については、やはり天地を考え(昌益は、「テンチ」を「転定」と書く。回るものと静止しているものという意味であろう)、上を進む方向、下を退く方向とする。すると、これは彼の五行説に合致する。すなわち、真ん中にあるのが土(地表)で、上に少し進めば木(樹木)があり、ずっと進めば、太陽や星などの火がある。いっぽう、逆に退いて、地面を少し掘ると「金」が出てくる。そして地下深くには水が流れているのである。おおざっぱに言って、土の地面の下には水があり、上には天があるという古代さながらの宇宙観だったようである。こんな彼が五行の対称性の数学的な抽象化ができたことは驚嘆の極みである。
 
6.むすび
 以上、安藤昌益と三浦梅園の自然学について紹介した。彼らがいかにして何も無いところから、それらしい科学の知識もなしに、大胆に宇宙全体の法則に突き進んでいったかおおむねご理解いただけたと思う。また、その理論が現代の科学から見て正しいか正しくないかが評価になるものではなく、またその努力や精神力を評価するのでもなく、深い思考による追求を挫折することなく生涯をかけて続けたことに対する評価がふさわしいことも明らかにできたと思う。
 それは、ひとえに、彼らが始めた対称性の自然学の探求が正しい出発点から正しい方向に向いていたことによる。そして、その前進は現在も続いている。我々は彼らの後継者である。昌益と梅園の目指す道は、今も未来に向かって我々の眼の前に伸びているのである。 
                     


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