編集後記
発刊部 上原
 
  3回連続で「元号」についての話になってしまい申し訳ないが、今回は、元号そのものや国政・文化の批判ではなく、純粋に暦と古典の話なのでひらにご容赦いただきたい。
 
 新元号「令和」が万葉集から採られたことは、いまや日本の常識であるが、具体的に調べてみると引っかかることがある。首相の談話によると、出典は「初春の令月にして 気淑く風和ぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫す」ということになっている。さて、ここで「初春の令月」とは何の意味であろうか。
 
 「令月」をネット辞書で引くと、「@ 何事をするのにもよい月。めでたい月。よい月。A 陰暦二月の異名。」(三省堂 大辞林 第三版)となっている。ここで「月」は、どうやら天体としてのmoonではなく、暦の上のmonth(この場合は旧暦)を指すようである。しかし、ここで疑問がわく。初春というのがすでに1月(あるいは正月)のことなので、「初春の令月」は「正月のめでたい月」ということになるとあまりに冗長に過ぎる。また、「令月」が二月の異名とすれば、これは「正月の二月」となって自己矛盾になる。それならば、むしろ「令月」を「よい(天体の)月」(good moon, beautiful moon)と解釈するとすんなりおさまるではないか。まあ、日本の文学には、掛詞、枕詞、隠喩などがあるので、両方の意味が掛けられていると考えてもよいだろうから、「めでたいmonth」と「good moon」が同時に意味されているとしてもよいかもしれない。
 
 しかし、そうは言っても、まだ問題が残る。初春が正月であり令月が二月であるならば、意味に関わらず「初春の令月」は形式上の自己矛盾である。これには二つの可能性があり、この文の筆者が令月が二月の異名であることを知らなかった、というのと、二月の異名であることを知りながら無視したというのが考えられる。
 
 ここで、上の万葉集の文の元ネタになっているとされる、さらに古い中国の詩文集「文選」にある後漢の張衡の「帰田賦(きでんのふ)」を見ると、そこには、「仲春令月、時和気晴」とある。ここで「仲春」は2月である。初春、仲春、晩春が、1月、2月、3月だ(これらは、もちろん旧暦。当時の日本、中国には旧暦しかない)。 こちらは「2月の令月」である。この場合は、冗長ではあるが「仲春」と「令月」を同格に並立させたと解釈するのが妥当かもしれない。わざわざ並立や同格を示すのなら、この時代には、まだ令月が二月の異名という対応が確立しておらず、従って、万葉集の頃の日本にもそれが伝わっていなかったのかもしれない。
 
 もう一つの無視したという可能性もある。中国と日本(特に九州の太宰府)では気候が違うからである。九州は中国より暖かいので、2月を待たずして1月にすでに梅が咲き(くどいが旧暦)初春がすでに良い月なのである。もっとも「帰田賦」には梅の花は出てこないようだが、中国では梅は2月に咲くのであろう。中国の季節を無視して日本の季節に対応させるなら、万葉集の国文学の面目躍如であろう。
 
 最後に現天皇陛下の誕生日との関係だが、天皇誕生日は2月23日であり、これはもちろん新暦である。陛下のお生まれの日(昭和35年)ではこの日は旧暦では1月であった。よって、令月を旧暦の初春とすれば天皇誕生日と合致する。しかし、このやりかたは邪道というかこじつけというもので、現在の日本の法律では、天皇も国民も新暦に従うことになっていて、天皇誕生日も毎年新暦の2月23日に決まっている。だから、同じこじつけるなら、令月を現代日本では新暦の2月のこととすればよいであろう。現代の日本人は、新暦の12月に「師走」を当てはめているからそれでよいのである。そうしたら、「令和」のもととなった「令月」は天皇誕生のめでたい月になる。幸いにして、日本では新暦2月に梅は咲くのである。
 


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