編集後記
 
発刊部  上原
 
 2回連続で「新元号」の話題になって申し訳ないが、元号は、暦と天文に関係あり、また、現在(2019年4月)は、次の元号が発表されているが、まだリアルタイムでは施行されていないという歴史的にも稀な期間なので、記念のためにまた取り上げさせていただく。
 
 新元号は、「令和」と決まった。全体的には悪くないと思うし、めでたい気分に水を差す気は毛頭ないが、看過できない問題点が多いので辛口の指摘をしたい。
 
 まず、「令和」は「零和」につながり縁起が良くない。「零和」は数学用語あるいは経済学用語で、普通は「ゼロ和」あるいは「ゼロサム」と呼ぶ。でも、漢字で書いたら「れいわ」としか読めない。 この言葉の意味は、全員の利益の和が(損失は負の利益として)常にゼロになるシステムということである。誰かが儲ければその一方で誰かが損するということである。資源や市場が払底しかかっている現代にまことにふさわしい言葉であるが、働いても働いても純利益が出ないということで、商売としてはきわめて縁起が悪い。もし本当に「零和」の時代になれば、資本主義の根拠が根こそぎ失われてしまうことを指摘しておく。
 
 次に「令」の字がいけない。言うまでもなくこれは命令の令であり、漢文や古文書の訓読では「しむ」(使役の助動詞)として記憶すべき文字である。こんな文字がよく使えたものだ。好き放題の安倍政権にふさわしい。政府は、この「令」は美しいという意味で(その意味も2番目以降にはある)命令の意味ではないと弁明しているそうだが、そもそもこういう無神経なことをしておいて弁明で済むと思う根性こそ、「失言」で粘った末に辞任する大臣たちと同類である。 良い意味の漢字2文字を用いると前から言っていたではないか。人を命令で動かすことが何で良いことなのか。命令は必要最小限に留めておくべきで、無駄な命令ばかり発していると「パワハラ」とされるのが昨今である。漢字文化においては一つの漢字が一つの世界を持っており、古来日本においては一つの音が一つの力を持っているのである。出典にこだわりすぎて、この基本を忘れたのではあるまいか。
 
 次に万葉集はいかがなものか。国書から取るのはよいだろう。でも、万葉集は詩集で、いかにも文弱である。私は詩や文弱がいけないと言うつもりはない。詩も文弱も個人の気持ちを吐露し、人々が共感しあう点では大いにけっこうである。しかし、元号は社会で万人のために用いるものである。個人的文弱はいかがなものか。しかも、漢詩に同様の用例があったらしい。東洋の人間の感情というのは共通していて、えてしてそういうものである。漢詩とて文弱だが、漢詩に倣った和歌の文弱はそれに輪をかけたものだ。国書でももっと含蓄のある歴史書、哲学書、小説があるではないか。そっちから取ればずっとよかったと思うし、日本の哲学について考える機会にもなったであろう(安藤昌益から取れとまでは言わないが)。
 
 新元号を決めた過程もよくなかった。首相の意向が国文学者に伝えられ、それが懇談会と閣議でシャンシャンで決まったらしい。 多少の異論はあったそうだが、出席者の多数に官邸の意向が吹き込まれたのであろう。密室会議というものはそういう目的のものだ。 あるいは、もともとの他の候補もたいしたものがなかったようで、「この中では『令和』がまだましか」くらいが大勢の感情ではなかったか。 そうでないというなら、初めからもっとオープンに議論すればよい。密室でどこから出たのかわからぬような6つの候補だけ突然示して何を言っているのか。 次回からはもう少し時間をかけて、関係した学者の名前とコメントを公表し、国民の意見(パブリックコメント)を聞き、国会で承認するのがよいだろう。そうしたら、今回のような無神経な元号には決してなるまい。また、私もこのような苦言を呈することなく、新元号を祝えたであろう。めったにないめでたいことだから素直に祝いたいものだが、めったにないことこそしっかり反省していただかないと将来につながらない。
 
 関連して、問題なのは、一般に元号が自動的に天皇の追号(没後の名前。仏式の戒名に相当する)になると思われていることである。そうなら、確かに、天皇の尊い名前を決めると思えば威厳も必要だし、経緯の公表をしにくいのも理解できる。しかし、これはまったく事実ではない。法律上も趣旨上も、元号は国民のために内閣で定めるものである。一方、天皇の追号は後継の天皇が個人的に付けるものである。これは現在でもそうで、ここをごっちゃにする必要はない。国民のためのものを天皇の権威に結びつけたり、天皇がいつ辞職するともわからない時の内閣や一介の学者風情に勝手な「戒名」を付けられる制度になっているはずがないではないか。国民主権に反するし、皇室に対しても相当不敬である。庶民でも、戒名は故人の縁のある人か、信頼できる宗教者につけてほしいものである。 また、これまで元号が天皇の名前につけられたのは、「明治」、「大正」、「昭和」の3例だけで、江戸時代以前には1例もない。このうち、新憲法および現行「元号法」法制下の例は「昭和」だけである。伝統でも慣例でも何でもないのである。むしろ、元号と天皇の名前が違うのが皇祖皇宗の伝統である。新天皇徳仁陛下におかれては、どうか「平成」以外の追号を、ご父君のその際には決めていただくようお願いする。そうしたら、この状況ははっきり解決するだろう。僭越ながら、30年のご在位中の功績にふさわしい名前を考えてくださるのもよいと思う。「平成」の公布後まもなく支持率5%で総辞職した竹下内閣に従う必要など一切ない。
 
 以上、けなしにけなしてきたが、褒めることも大事なので、一つだけ「令和」の良いところを褒めておきたい。「令和」の「令」は「令月」からきていて、これは2月(旧暦)の美称であるという。また、2月は新天皇の誕生月である(こちらはグレゴリオ暦)。来年の天皇誕生日には、令月の美しい梅の花とともに時代の元号が天皇誕生日の季節に合うものになっている機知が好ましく感じられるであろう。公表はされないが、おそらく、だから万葉集の「令月」の部分が選ばれたのであろう。来年2月にはこのような好評価もなされることであろう。
 
 最後に、「元号」と天文の関係について少し触れておきたい。元号が暦と関係あり、暦が天文と関係あることは明白で、間接的な関係は議論の余地はない。では、直接的な関係があるのだろうか。天皇の代替わりのタイミングは天文と関係はないので、直接的な関係があるはずがないのであるが、古代中国では皇帝の地位が天の意思と直結していると考えられていたので、元号は天の意思と関連づけられたのである。また、天変地異に関連して改元されることもあった。日本でも理論上は似たような状況にあったが、普通の日本人は古くから元号について天皇と天意の関係をそれほど意識することはなかったのではないかと思う。せいぜい、縁起担ぎの一種くらいに思っていたところが大きかったと想像する。 現代はもちろん、過去の日本においても、元号と天文の論理的関連を求めることには相当の無理があるだろう。



 
 
 話変わって、今年7月は、アポロ月着陸の50周年である。多感な少年少女であった我々の世代は、当時のことを興奮とともに覚えているであろう。私もそれについて何か書きたいと思っているが、今回は書けなかった。50周年を過ぎたあとでも何か書ければよいと思っている。


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