私の天文グッズコレクション(第10回 天文学史資料編その1)

上原 貞治
 
 本連載も長期になりました。コレクターでも物持ちでもないので大した物はないのですが、もうちょっと続けさせて下さい。私の収集品となると、やはり古書が多くなります。今回は、日本の江戸時代の天文関係の本のうち、書籍として販売されたものを集めました。
 
1.井口常範『天文図解』他 (日本哲学全書第8巻)
 これは、日本でいちばん古い一般向けの天文書(1689年)と言われている本です。初めにお断りしておきますが、江戸時代の天文書などというものは、仮に出版されたとしても、そんなに多く出回ったものではないので、実物は素人が簡単に入手できるようなものではありません。そもそも普通市場には出回っていないものと思います。今回、私が紹介するのは、どれも、昭和または平成時代に活字であるいは写真で出版されたものです。原本を見たい時は、大学図書館やデータベース等を利用することができます。
 さて、井口常範(いぐちつねのり)(生没年不詳)は、江戸時代の医師、暦算家ということですが、この本以外では聞かないので、それほど有名人ではないようです。それでも、日本最初の天文書を出したということは、世の中に対してとても立派な貢献と言えるでしょう。中国星座の星図や古代からのさまざまな宇宙模型が紹介されています。優れた内容ですが、江戸時代の一般大衆にこのような学問的知識が広がったことはほとんどなかったようです。
 他に、比較的早い時代(1770年代)に、三浦梅園が長崎で西洋天文学について聞いたことを載せた紀行文『帰山録』などが収録されています。
 


2.『麻田剛立資料集』(1999)
 江戸時代の資料をだいたい時代順に進めましょう。一気に、江戸時代後期まで来ました。
麻田剛立(1734−99)は江戸時代を代表する暦学者です。彼に関する資料が網羅的に集められていて、麻田剛立の研究がこれ一冊で始められる程の内容です。一つ一つの資料を深く読むことにより、江戸時代の学者が考えたアイデアが、じっくりと現代の我々の頭に蘇ってきます。この点においては、天文学の資料も、文学や絵画と同じように楽しむことができますが、暦学に関しては多少敷居が高いのはやむをえません。この本は、大分県が郷土の偉人の資料をまとめて出版したシリーズ物ですから、大分県の郷土史愛好家の間にはけっこう出回っているものと想像します。
 


3.『洋学 下』(岩波書店 日本思想大系 65(1972))
 これは、物理、天文、医学関係の蘭学関係の訳本、翻案を集めたものです。蘭学の訳本といえばもっとも有名な杉田玄白の『解体新書』も収められています。この本で注目すべきは、「ラランデ暦書管見」です。江戸時代の天文学者、高橋至時がオランダ語がほとんど読めないのに、単語の乏しい辞書と図と数式を頼りに解読に挑んだ記録です。数式が分かれば言語が読めなくても理解できるというのは理系の秀才らしいですが、観測事実と理論推定の解釈が逆になっている部分もあります。志筑忠雄が西洋書で初期の分子論の研究を読んだ『求力法論』のほか、吉雄俊蔵『遠西観象図説』(天文学など)、馬場佐十郎『遁花秘訣』(医学)が載っています。
 


4.志筑忠雄『暦象新書』他(文明源流叢書第2巻 (1914))
 この本には、私が先号まで連載していた「日本の古典で学ぶ天文学」のネタ本である志筑忠雄の『暦象新書』が掲載されています。ただし、この版は、図の欠落や書写の間違いが多く、意味の通じないところが所々にあります。もちろん志筑はそもそもは正しい原稿を書いたので、それは別の写本で確認することができます。『暦象新書』(1798-1802)は間違いなく日本で最も古い物理学の教科書ですが、江戸時代には写本で出回っただけで出版されませんでした。、一般に言われている「出版された(時点で)日本でいちばん古い物理学書」である青地林宗著『気海観瀾』(1827)もこの本には含まれれています
 


5.帆足萬里『窮理通』(1836序)他(日本科学古典全書第1巻)
 これは、帆足万里の理学書『窮理通』を収録しています。『窮理通』は天文、物理学書として江戸時代に出た本の中では大部のもので、まだその内容は十分に研究されているとは言えないのではないかと思います。帆足万里は、三浦梅園の孫弟子に当たる人で藩の家老までしましたが、自分で自然や社会のものごとを考え、自分の意見をはっきりと述べる人であったようです。別の本には幕府にばれると首が飛ぶようなことまで書いていました。江戸時代の知識人が、自然現象や西洋の科学についてどのような見方をしていたか、この本を読んで研究をしたいと思っています。
 


6.『続新巧暦書』、『新法暦書続編』(1864) 他(日本科学技術古典籍資料 天文学篇3 (2001))
 この本は、幕府天文方が、天保改暦を行った頃に公式作った資料をまとめたものです。だいたいは、蘭学文献『ラランデ暦書』(ラランドというフランスの天文学者が書いた本(Astronomie)のオランダ語版)の翻案と解説になっていて、当時はラランデ暦書のことを「新巧暦書」と呼んでいたようです。 ラランデ暦書にはニュートン力学や万有引力の理論についても載っているのですが、高橋至時や間重富の時代にはその理解には至りませんでした。オランダ通詞の志筑忠雄一人のみ先行していて、幕府天文方がそれを理解するまでには、さらに30年くらいかかったようです。この本は、渋川景佑らがニュートン力学の理解に達したことを示しています。
  なお、この本は、私の全コレクションの中でもっとも高価なものの一つです。今やデジタルアーカイブをPCモニタで見る時代ですから、著作権の切れた史料はペーパーバックで売ればよいわけで、今後は装丁で金儲けをしないようにしていただきたいものです。
 




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