マイクロフォーサーズを買った その1

田中邦明  

 この記事は、2014年8月に書き始める予定でしたが、平成26年8月豪雨で被災し、予定より1年4カ月遅れた開始になってしまいました。  また、その際には、多くの皆さんに御支援やお見舞をいただきました。改めて厚く御礼申し上げます。誠にありがとうございました。




 その豪雨の前月、私は、「デジタル一眼」と呼ばれるデジタルカメラ、Lumix GF5 (ボディのみ)を買った。  数ある「デジタル一眼」の中で、Lumix GF5 を買った理由がいくつかある。

 第1の理由は、ここ数年、いや十数年使わなくなっていた CANON FTb(「懐かしい」と感じられた方も多いかも)の標準レンズ CANON FD f=50mm F:1.4 や、各種 CANON FDマウントアダプタなどが再活用できるからである。

 かつて準備した、この一眼レフ・CANON FTb 用天体望遠鏡アダプタや交換レンズは、デジタル化の進展に伴ってフィルムの入手困難な状況が顕著になるにつれ、使用しなくなっていた。  私は CANON FD レンズが、とても好きで、なんとかデジタルカメラで復活させる方法はないものかと常々考えていた。

 すると、2008年にオリンパスとパナソニックから、フォーサーズシステムの拡張規格であり、レンズ交換式デジタルカメラの新しい規格のひとつとして「マイクロフォーサーズ」が発表された。その発表の解説記事を読むと、どうやら、この規格で、過去の一眼レフカメラのレンズもマニュアルフォーカスなら使えるようになるらしい、ということがわかった。

 しかし、直ぐに入手することは価格の点から非常に難しかった。なにしろ、2008年10月に発売された LUMIX DMC-G1 ボディの、価格.comにおける初値が \93,100 である。 当時、大学生と高校生の2人の息子が、私の両方のスネをかじっており、高嶺(高値)の花であった。

 その後、次々とパナソニックとオリンパスからマイクロフォーサーズのデジタル一眼が発売され、2014年6月頃になると、Lumix GF5 が2万円を下回ろうかというところまで価格が下がり、なんとかボディのみであるが、入手することができた。

 手始めに、撮影したのが次のフォト(01)である。
 2014年07月30日、Lumix GF5 ボディに、CANON FD 50mm F1・4 を着け、f:2 1/60秒で撮影した。

 フォト01

 8月の天候の良い日を待って、久しぶりに天体写真撮影にチャレンジしようと機会を伺っていたが、2014年8月は不安定な状況が続き、8月豪雨に遭遇する。

 8月16日(土)は、朝から遠雷が聞こえ、強めの雨が降ったり止んだりをくり返していた。遠く由良川のダム放水のサイレンも聞こえる。昨年9月17日の洪水、さらには平成16年の洪水を思い出させる。お盆休みも終わり、雨の中を弟家族が帰っていった。すでに社会人となっていた長男と大学生となっていた二男も、翌日帰る準備を始めていた。

 夕方に近づくにつれ、雷雲が何度か通り過ぎながら、雨脚が徐々に強くなり始めていたが、特に災害を心配をするほどの状況ではなかった。

 午後8時頃から状況が変わり始める。雨脚が非常に強くなり、雷雲が何度も上空を通り過ぎて行くのがわかるようになる。その頃の雨雲をレーダーで見ると、兵庫県丹波市辺りから福知山市私市辺りまでに帯状の雷雲が赤く表示されている。(図02)

図02

 当時、秋雨前線が近畿地方にあり、どうやら近畿の南西から北東にかけて停滞した状態となっているようで、この前線上で発生した雷雲が次々へと南から北へ移動しながら市島から福知山にかけて、背の高い雷雲が次々と連なってやってきて大雨を降らし続ける「バックビルディング現象」が起きているように見えた。

 危険を感じて我が家の20mほど南を流れる京都府の1級河川・大谷川の様子を見に行くと、水嵩は増えているものの未だ危険と言うほどではなかった。由良川の水位をネットで調べるが、こちらも一向に水位の上昇は見られない。

 午後10時。雨脚は相変わらず非常に強く、雷雲は上空を通過し続けている。その頃の雨雲をレーダーで見ると、帯状の雷雲は相変わらず丹波市から福知山市の上空に居座り続けている。(図03)

図03

 再度、大谷川の様子を見に行くと、確実に水嵩は増え、橋の主桁に水が当たり始め、堤防を超えるまで後50cm程度になっている。由良川の水位もネットで調べてみるが、こちらは水位の上昇が見られない。極めて局地的な豪雨になり始めていた。

 午後11時半頃。雨脚が弱くなった。上空で轟き続けていた雷鳴は遠くなり、稲妻は遠くの稲光となっていた。近所の人も心配して川の堤防に複数の人が集まっていた。水嵩は先ほどよりも更に増え、主桁は水しぶきを上げているが、見ている間に水しぶきも治まり、今回は助かったか、という雰囲気も流れ始めた。

 しかし午前0時半頃、朝からの南風が北風に変わり、再び雷雲がまとまり始めた。 次々と雷雲が上空を通過し、雨脚は恐怖を感じるほど強くなった。上空では再び雷鳴が轟き、稲妻が四方を走り始めた。 一旦治まり始めた水嵩は一気に勢いを取り戻して増加に転じた。見るみるうちに主桁が水しぶきが高く吹き上げ始めた。

 これは危ない。自宅へ戻って浸水の備えを始めた。畳を上げ、電化製品を移動した。幸い息子たちが帰省していたおかげで浸水前に1階の半分程度の畳はあげることができた。

 午前2時頃、大谷川の堤防を水が越え始めた。橋の辺りから溢れた濁流が一気こちらへ向かって流れ、玄関や土間に浸水が始まった。その様子を二男がiPhoneで撮影した。(フォト04)

フォト04 フォト06

 風雨が強く鮮明に撮影することが難しい。押し寄せた濁流の水位・水量とも徐々に増え、この郵便受けの底が洗われところまで水位は上昇した。(フォト05)

フォト05 フォト07

 こうなると自然に任せるしか方法が無い。我が家の1階は、床上50cm〜70cm浸水し、過去最大の被害となった。

フォト08

 福知山市からは自治会を通じて避難の呼びかけもあったが、夜間の河川付近の避難ほど危ないものはなく、私たちは自宅に留まった。

 午前4時頃まで雷雲は上空を通過し続け、午前5時頃には雨は止み、我が家の辺りでは午前7時頃には水は引き始め、自宅前の路上には60cmはあろうかという錦鯉が泳げなくなり、近所の方と救出を行った。

 このころ、丹波市や福知山市では各所で土砂崩れや浸水が起きており、痛ましいことに土砂崩れや浸水によって亡くなった方もあった。土砂崩れの爪痕は未だに手つかずの部分もある。

フォト09 フォト10

この浸水による我が家の被害は約800万円にのぼった。また屋内で水没した家具や畳の搬出には約1週間を要した。結局最終復旧は約4カ月後の12月末であった。未だ私は現職であったため、税金の還付や共済制度等もあり、制度的に随分助けられたが、年金生活の方や自営業の方、特に収入が少ない方には非常に酷な災害であった。復旧のための還付金も少なく、借金も返済の目処が立たないため思うようにはならない。私も数年で退職を迎えるが、こんな状況で良いのだろうか。

 この水害は人災と思われる部分が多々ある。この点は次回、その2で報告する予定である。






さて、水害後2カ月ほどを経て、日本の多くのところで皆既月食を見ることができた。平成26年10月8日は福知山も天候に恵まれ、予定どおり撮影を行うことができた。

購入後、長い間出番を待っていた Lumix GF5 に、こちらも久々の登板となった KOMURA-300mm をアダプタで装着し手持ち撮影を行った。マイクロフォーサーズでは、実質、通常の35mmフィルムで撮影した際の倍の焦点距離のレンズと同じくらいのが画角になるため 600mm望遠レンズを手持ち撮影しているような感覚である。因みに、コムラーは三協光機という会社が製作し、大判や中判のカメラ愛好者には好評であったが、現在は、どうなってしまったのか。

フォト11 フォト12

 左のフォトデータは、2014年10月08日20h45m ISO800 三協光機製 KOMURA-300mm F5 絞り開放 1/100秒である。
 右のフォトデータは、2014年10月08日21h30m ISO800 三協光機製 KOMURA-300mm F5 絞りf22 1/100秒である。




2015年になり、水害からの復旧もなんとかできたため、今年は天体写真撮影に時間を使えるかと思ったのとは裏腹に、2015年も中秋の名月まで撮影は行えなかった。

平成27年9月27日も天候に恵まれ、追加で購入した Lumix G6 で撮影した。レンズは KOMURA-300mm と Lumix G6 付属のズームレンズである。付属レンズでは、中秋の名月の雰囲気を出すために画像を合成している。

フォト13 

 上のフォトデータは、2015年9月27日の「中秋の名月と鳥」18h28m DMC-G6 ISO400 三協光機製 KOMURA-300mm F5 絞りf16 1/250秒である。


フォト14

 上のフォトデータは、2015年9月27日の「中秋の名月と鳥」18h34m〜35m DMC-G6 f45mm ISO400 絞りf6.3 1/250秒 と ISO3200 絞りf4 1/8秒 を合成。

 この続きは、次回にて報告

2015年 師走

 

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