横道相対論シリーズ(10)
 
   E=mc2 と エネルギー問題(後編)
 
                           上原 貞治
 
 
熊さん(以下 K):こら、八、そろそろ起きないかい。人のお宅にお邪魔していつまでも昼寝たぁみっともないったらありゃしない。
八つぁん(以下 H):なんだい、熊かい。せっかく気持ちよく寝ているのに起こすない。それ、ご隠居だってまだ寝てらっしゃる。
K:ご隠居はこの家の主人だからいいんだよ。客の昼寝ほど迷惑なものはない。
H:おいらはよくお邪魔しているので、ご隠居にとっちゃあ客でもなんでもないんだよ。
ご隠居(以下 I):お二人ともお目覚めかな。じゃあ、お待たせしたところで、午前の部の続きをやろうか。
H:えっ、ご隠居、起きてらしたのですか。狸寝入りで聞き耳とはたちの悪い・・・
I:それでも、タヌキ親父よりましだろ。
K:それでは、よろしくお願いします。
 
発熱反応
I:それでは、午前の部の復習だがね、午前の終わりのほうで、
 物体全体のエネルギー = 物体の内部エネルギー + 物体の運動エネルギー
 
 物体の内部エネルギー = 物体の質量(×換算定数=光速の2乗)
 
 物体の内部エネルギー =  物体内部の構成物の質量のエネルギー + 物体内部の構成物の束縛エネルギー
 
ってことになったと思うが、ここまではいいかい?
 
K:1番目の式はOK,2番目もOK, 3番目の束縛エネルギーは物体内部の運動エネルギーと位置エネルギーの和だということですね。これを外に取り出せれば、質量はめでたくエネルギー源として利用できる、ということでした。
I:そういうことでいいね。八つぁんもいいかい?
H:いいですよ。まあ今日は熊さえわかったら問題ないんだけどね。
K:そいつぁどういう意味だい。
H:今日のおいらはお前のお付き合いだからね。
K:いやみなやつだね。
I:けんかになるといけないので、早く続きをやろう。そこで、物体の内部の質量のエネルギーに手を付けないとしても、物体内部の束縛エネルギーを外に取り出せば、物体の質量はエネルギーとして役に立つ。
H:じゃあ、どんどん取り出しましょう。
I:ところがそうは簡単にいかないんだよ。
K:えっ、何でですか?
I:たいていの場合は、この束縛エネルギーはマイナスなんだよ。すでに、物体のエネルギーとしては借金状態にあるわけだ。そもそも、この束縛エネルギーがプラスだったら、この物体は「束縛」されずに、みずから爆発したり、火が付いたりするわけだ。そして、ばらばらになる。内部にエネルギーが余っているわけだからね。
K:そうか! そういう物があれば便利じゃないですか。燃料としては。
I:熊さん、本当にそう思うかね。自分から勝手に発火したり、爆発する燃料が便利かね。
H:あぁそうか。そんなものは、燃料倉庫が火事になって使えないのか。燃料輸送車はそのまま「火の車」になっちまうね。燃料というのは、ふだんは燃えないで、こちらが燃えてほしいときだけ燃えてくれるものでないとだめか。
I:そうなんだよ、八つぁん。こいつはなかなか難しい虫のいい注文というわけだ。そもそも、自分で発火するような物体があったら、とうの昔に自然界で勝手に燃えてしまって、今の時代まで残っていないはずだね。その点、炭素とか水素とかはよく出来ていて、酸素を持ってきて火を付けて初めて燃えるんだ。ありがたいじゃないかい。
K:なるほど、そう言われると、燃料というのはありがたいくらい器用なものですね。じゃあ、それらの燃料は束縛エネルギーがプラスじゃないんですか。プラスじゃないとエネルギーが取り出せないんじゃないですかい?
I:その点は、束縛エネルギーがマイナスでも大丈夫なんだ。マイナスの状態に2種類あって、少しのマイナスの状態(A)から、マイナスの度合いの激しい状態(B)に移行すれば、エネルギーを取り出すことができる。A→B+エネルギー だ。
K:なるほど。でも、借金のある人にさらに借金をさせて金をむしり取っているみたいで、気持ち悪いね。
H:本当にそうだ。身につまされるね。
I:おいおい、どうしたんだ。急に神妙な顔つきになって。おまえさんらも借金で困っているんじゃないだろね。
H:まあ、大工をやってると一度に実入りのあることもあるんで、一時的に借金しても問題にゃならないんですがね、それでも、あくどい商人にかかるとたまりやせんや。
K:八はそれも承知の上で、散財していることもあるようだけど。
I:大丈夫かな。ようするに、束縛エネルギーの状態がいくつかあって、さらにマイナスの度合いの激しい状態に移行できるときは、燃料として燃えるわけだね。でも、たいていは、最低(マイナスの最大)の束縛エネルギー状態というのがあって、それ以下には落ち込まないんだよ。この最低の束縛エネルギー状態が、完全な「燃えかす」で、もう燃料として役に立たないんだ。
H:へぇー、だいたいわかりましたが、もう少し突っ込んで聞いていいですか。
I:いいよ。
H:あのー、最低の束縛エネルギー状態といいますが、どうせマイナスがOKなのなら、いくらでも低いエネルギー状態がとれないのですか。
I:それだったら、無限の借金地獄になるな。おそろしいことだ。冗談はさておいて、借金のある人に無担保でいくらでも金を貸してくれる人はいないのと同じように、物にも「基底状態」というのがあって、そこまで落ち込むとそれが最低の状態なんだよ。
H:へーぇ。基底状態と言うんですか。
I:物体を構成する粒子の間に力が働いている場合に、量子力学によると必ず最低のエネルギー状態、すなわち基底状態があるんだね。それから、原子や原子核の場合には、「パウリの排他律」というのがあって、原子の中の電子や原子核の中の陽子は、一つの座席に1個しか入れないので、皆がどん底に落ちることすら出来ない。
H:なんですか。そのパウリの何とかというのは。パウリが瓜売りに来て瓜売れずに草履履いた、とか。
K:八はしょうもないこというねぇ。
I:要するに、原子や原子核の中にエネルギーがたまっているんだけど、そのエネルギーを貯める役割をしている電子、陽子、中性子という構成粒子は、量子力学の法則というのに従っていて、そのエネルギーの大きさの状態つまり座れる座席には最低レベルがあるんだね。さらに、同じ種類の粒子は1つの座席には1個しか座れないので、みんながみんなどんどん下のレベルに落ち込んでいくということはできないんだよ。
K:うーん、それはラッキーというか、それでもエネルギーの点から言うと不便というか。
I:でも、このパウリのおかげで、いろんな物質が地獄の底まで落ち込まずに安定して存在しているわけだから、エネルギーの観点での不便を補って余りあるラッキーというべきだろうね。
K:そうそう、無制限に金を貸してくれる人がいないので、無限の借金地獄に落ち込まないですんでいる八もラッキーだよね。
 
物が燃える具体的な仕組み
I:だから、熊さんのそもそものご質問の答えをまとめると、エネルギーが最低の状態、つまり基底状態の束縛エネルギーに対応するものは、もうこれ以上エネルギーが取り出せない、つまり、質量があっても燃料として使えない、ということなんだよ。
K:そうなんですか、うーん。
H:熊がうなっている間においらから質問ですがね。じゃあ、ついでに、燃料が燃える場合は、どういうカラクリで燃えるのか説明してやってくださいよ。
I:燃料、たとえば、石油があるとするね。これは、炭素と水素の化合物で、炭素原子と水素原子が束縛されているんだが、これを酸素に近づけて熱してやると、炭素、水素、酸素の間で化学反応、つまり原子の組み替えが起こり始めるんだ。
H:ほう。
I:そして、酸素が炭素と結びつくと二酸化炭素になり、酸素が水素に結びつくと水になる。この二酸化炭素や水は、元の炭化水素よりも束縛エネルギーがずっと大きい、マイナス方向にだけど、それで、エネルギー状態が低いんだ。質量がより多く失われている、と言ってもいいね。
H:それで、あまったエネルギーが外に出てくるわけか。
I:そのあまったエネルギーは、分子の運動として出てくる。これが熱エネルギーというわけだね。熱は分子の不規則な運動なんだよ。そのうちの一部は、他の炭化水素の反応を促進させるのに利用されるが、反応自身が発熱反応なので、全体として、エネルギー放出は燃料がある限り増え続けるわけだよ。これがすなわち、「火を付ければ燃える」ということだね。
K:それで、できた二酸化炭素や水は、「燃えかす」でもうこれ以上燃えない、ということですか。
H:原子力の場合はどうなんですか。
I:発電に用いる原子力の場合は、ウラン235という原子核を使う。ウラン235原子核は、陽子が92個と中性子が143個ぎっしり集まって出来ていて、一応マイナス束縛エネルギーで束縛されている。
H:一応とはどういうことですかい。
I:合計235個の陽子と中性子が1個ずつバラバラにある時よりもエネルギーが低い、つまりウラン原子核は235個の質量の合計よりも軽くなっている、ということだね。このウラン235原子核に低速の中性子をぶつけると、中性子は原子核に吸収されたあと、ただちに、2つの原子核に分裂するんだ。ほぼ、真っ二つに分裂すると思っておくれ。
H:ありゃりゃ。
I:この分裂した後の2つの原子核を「分裂片核」というんだが、これは、もとのウラン235よりも束縛が強く、さらにエネルギー状態が低い。このあまったエネルギーは、そのときに、数個の中性子が同時に放出され、それの運動エネルギーとなる。その中性子が別のウラン235原子核に当たるとこれが連鎖的に起こる。これが持続するのが、原子炉の臨界状態というやつだな。
H:へーぇ。原子力発電ってうまく出来ていますね。
I:うまく出来ているが、基本的な原理は、石油の燃焼と同じだね。分子・原子の関係か、原子核・中性子の関係かの違いだ。ただ、原子力発電の場合は、中性子が速すぎると反応が続かないので、減速してやる必要がある。
K:で、その2つの分裂片核が、「燃えかす」ということですね。
I:そうなんだよ。でも、この燃えかすには、放射性核というやっかいものが含まれていて、このうち、数日から数十年の半減期で崩壊して、チョロチョロチョロチョロ、エネルギーを放出するヨウ素131とかセシウム137とかいうやつは、人間の環境に出てくると深刻な健康被害が起こるんだ。少量でも、環境に出てくるとえらいことになるので、決して出してはいけない。
H:でも、原発事故でそれが大量に出てきたわけか。
K:でも、その燃えかすといえども、チョロチョロチョロチョロをエネルギー源として使えないのですか。
I:セシウム137などのベータ崩壊はね。拾い集めてもエネルギー量としてはたいしたことはないんだよ。特に半減期が決まっているから、早く燃やす手段も今のところないわけだ。それでも、放射線は、1個の粒子にエネルギーが集中しているので、総エネルギーとしてはたいしたことなくても、人の健康に大きな被害を与えることが出来る。例えば、小さなピストルの弾の運動エネルギーは、少量の火薬のエネルギーにすぎないが、それでも、人を殺傷できる、それと同じようなものだね。
K:分裂片核は、人体には深刻にわるいけど、エネルギー源としては燃えかすなんですね。
I:そう、燃料というのは、その使用全体を通して、採算が合わないとどうしようもない。いわば、人間の都合の部分が大切だね。また、燃料は自然から簡単に手に入らないといけない。お金やエネルギーをつぎ込んで人工的に燃料を作っていたのでは、エネルギー資源としては何にもならない。
H:なるほど、人間は自然に対してそういう虫のいい注文を堂々としてきたわけだ。
K:ふてぇ魂胆だったね。
 
究極の質量燃料
H:で、まとめると、つまり、燃料いや質量には、燃やせる物と燃やせない物があるというわけだ。おいらが言っていたので正しかっただろう、熊。
K:何が、「熊」、だ。えらそうに。じゃあ、なんで、ある物体、たとえば金槌だったら金槌全体の質量をエネルギーに変えられないんだよ。説明してみろよ。
H:わからんやつだね。金槌の鉄はすでに束縛エネルギーの最低状態にあるからだよ。
K:それでも、まだあんな重たい質量はあるわけだから、その質量がエネルギーになっていいじゃないか。
H:そりゃあおまえ、その質量はもう・・・どうしようもねえんだよ。
I:八つぁんお困りのようだから、ちょっと助け船をだしてやるとだね。実は、金槌の鉄でも、酸化すれば多少の熱を出す。鉄の粉を使った「使い捨てカイロ」というのがあるだろう。鉄は錆びるときに熱をだすんだね。
H:えっ、そうなんですか。では、金槌は燃料になるのか。
I:でも、金槌は、あなた方大工さんの大事な商売道具だから、わざわざ粉にして錆びさせる馬鹿はいない。だから、常識のある人は金槌を燃料にはしない。
K:確かにそこまでの馬鹿は見たことありません。八を含めても。
H:うるさいやね。ほんとに腹立つやつだね。でも、ご隠居、使い捨てカイロを捨てるときでも、そんなに軽くなっていませんよね。そのー、金槌の質量の全部がエネルギーになっているわけではないですね。
I:酸化しているから重くなっているんじゃないかな。錆びさせたのでは鉄の原子はなくならないんだが、実は、場合によっては原子のすべてがエネルギーになることも原理的にはあり得るんだよ。
H:えっ、そうなんですか。それこそ、質量の完全エネルギー化じゃないですか。
K:こいつぁ、異例の展開ですね。もう、どうやってもダメだと思っていたのに。
I:鉄の原子核は、陽子と中性子の集合体だ。鉄の原子核内の陽子と中性子は、もう変化のしようがないし、鉄は原子力燃料にもならないんだが、これに反物質というものを当ててやると質量の大半が消滅してエネルギーに変わるんだ。
K:そうかぁ、昔懐かしい「反陽子爆弾」ってやつですね。
H:「昔懐かしい」って、そんなの昔あったんですか。
K:本当にあるわけあるか。
I:漫画やSF映画にあったんだね。現実には現在でも出来ていないが。この反陽子を原子核に当てると、原子核中の陽子または中性子が消滅してエネルギーになることは実験的に確認されている。
K:そうなんですか、じゃあ、金槌も燃やすことが出来るんですね。
I:その通り。金槌に反陽子をたくさん当ててやれば、金槌は燃えて莫大なエネルギーを出すことになる。
H:じゃぁ、河原で石拾ってエネルギー問題解決じゃないですか。
I:どっこいそうはいかん。河原に石は落ちているが、反陽子は落ちておらん。
K:そうかぁ。
I:今のところ、反陽子を作るには加速器という大がかりな装置が必要で、これにエネルギーをつぎ込んでやる必要がある。とにかく、反陽子を人工的に作っていたのでは、反陽子の質量の2倍に対応する電気エネルギーが最低限必要だから、まったくもうけにはならない。しかも、反陽子は、容器にいれて保管する方法がないので、保管や移動もできない。つまり、金槌は、経済的にも技術的にも、燃料として実用にはならないんだよ。
H:そうですかぁ。何とかならないものですかね。
I:反陽子が自然界にあって、効率よく集められれば話は変わるが、地球周辺の宇宙空間には、それほどの量の反陽子は存在しない。また、経済的収支がプラスになるような反陽子の収集方法も現在まで見つかっていない。
K:じゃぁダメなのか。質量とエネルギーが等価と言ってもしょせん絵に描いた餅・・・
I:熊さん、それは、絵に描いた餅とは違うんだよ。実験室では、自然は、ちゃんと反陽子についてエネルギーと質量の等価性を示してくれている。だから、質量とエネルギーの等価性という餅は本当にあるんだ。ただ、それが、人間社会において経済的で実現可能な燃料として成立しないんだね。自然の都合ではなくて、人間の都合だ。
H:そうかもしれませんが、餅があっても食えないんじゃ、慰めにはなりませんね。
I:でも、人間が20世紀に原子力を発見したように、いまはいろいろと苦労をしてはいるが、今後、より広い範囲の質量をエネルギーに変換できる物質や方法が見つかるかもしれないね。それに期待しようじゃないか。
K:何かいい候補はあるのですか。
I:あったらこちらが聞きたいね。今のところは見つかっていないよ。でも、今後、どんな画期的な発見があるかどうかはわからない。それでも、もし見つかっても、原子力発電の安全性を保証するのが現在でも困難なように、それを安定的に利用するにはまた別の問題があるかもしれない。エネルギー資源の問題というのはこれほど難しい問題なんだ。
H:単に、技術や経済性だけで片付く問題ではないですね。今の原発の安全問題の議論を見ていたらよくわかります。
K:質量がエネルギーだということは正しいにしても、八の言うとおり、そこから先にかたづかない問題があったんですね。
I:そうだね。エネルギー問題は、物理学の法則はもとより、自然環境、経済性、安全性、人間の便宜がすべてかなわないとクリアできない総合的な問題なんだ。一部の分野の専門家だけに任せないで、広く議論をしていかないと基本的に解けない問題だね。
H:ご隠居いいこと教えてくれましたね。これで、おいらもエネルギー問題について何か言えそうな気がしてきましたよ。どうだ、熊、ご隠居のうちに来てよかっただろう。
K:八はいやいやながらつきあってくれたわけだから、まあ今日のところはお礼を言っておこう。
H:もう少し気の利いたものが言えないものかね。お前は。
I:また、けんかかい。あなた方はエネルギーが有り余っていて、当面、エネルギー問題は起こりそうにないね。けっこうなことだ。でも、けんかは、この家を出てからやっておくれ。
H:ご隠居のお宅の質量が増えて家がつぶれるといけませんからね。
 
この横道相対論シリーズは、今回で完結になるかもしれません。長い間のご愛読どうもありがとうございました。
 

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