横道相対論シリーズ(8)
 
 
情報が伝わる速さは光速以下?
 
上原 貞治
 
 (異様に長期の連載となっていますが、あと続くところまで長屋談義形式でお届けしますね)
 
ご隠居(以下 I): おっ、八つぁんまた来たね。おまえさん最近、アインシュタインに凝ってるってぇ話じゃないかい。
八つぁん(以下 H):凝ってる、というほどのことはないんですがね。ちょっと、このあいだご隠居に教わって以来調べているんで、...肩なら凝ってますがね。
I:何だねそれは。アインシュタインで肩が凝るのかい?
H:いやね。今の大工の仕事の仕様書の指示が細かくてね。たいへんなんすよ。
I:で、アインシュタインのほうでは、何か面白い話が出てきたかい?
H:それがね、どうもしっくり来ないことがあるんで、これはひとつご隠居に尋ねようと思いましてね。それでやってきたってわけですよ。
I:そうかい。そりゃご苦労なことだな。ときに、おまえさん、今日は仕事じゃないのかね。たいへんだからってさぼってんじゃないだろね。
H:そんなことした日にゃぁ、おまんまの食い上げでさぁ。今日は、午前中は左官屋さんの日だからね。昼過ぎに行きゃあいいんですよ。
I:そうかい。じゃあちょっくら話を伺ってみようかね。
H:すいませんね、そいじゃ上がらせていただきますよ。でも、ご隠居、何ですねぇ。相対性理論と言っても奥が深いですね。
I:そりゃそうだよ。間口は狭くても奥は広い。
H:ご隠居のうちみたいなものですね。
I:そらほめてんのかね?
H:よくわからないのは、「光より速いものはない」、これはよいとして、その後に、「情報は光より速く伝わらない」、「光より速く情報が伝わると『因果律』が破れる」と続いてあるんですが、これの意味がわからないんです。前後のつながりもわからない。ここのところを教えていただこうと思いやして、うかがったわけです。
I:そうかい。それはご苦労なことだったね。
H:「ご苦労」は、もういいから、早くわかるように説明してやっておくんなさいよぉ。
 
1.情報は「モノ」か
I:何だな、特殊相対性理論によると、質量のある物は、光速以上には決して加速できないわけだな。これは、わかるかい?
H:なぜかは正確にはわかりませんが、知ってますよ。おおかた、質量のある物体にいくらエネルギーをつぎ込んでも光速に達しないのだから、そういうことになる、ということなんでしょう。
I:そういうことだな。有限量のエネルギーを与えても、光速まで達しないということだな。
H:じゃぁ、そこまではわかったことにしていただいて、で、問題の「情報」ってのはモノなんですか。
I:うーん。難問だな。情報は必ずしもモノでなくてもいいんじゃないかな。例えば、算数の知識とか、過去にあった事件とかは、情報には違いないが、モノになって存在しているわけではないだろう。
H:そうですか。じゃあ情報は光速で伝わることがあるんですか。
I:電波でニュースを伝えれば、光速で伝わるな。
H:電波は光速ですかい?
I:電波は光の一種だから光速だ。光の速さは真空中で常に一定だ。波長が長めの光が電波だが、速さは波長に関係なく一定だ。
H:はいはい、そうでした。でも、光の波長が変わるとエネルギーが違うと思うんですが、それでも速さは一定ですか。
I:前回、ドップラー効果の話をしたときに、波長は観測者の状況によって変わるが速さはかわらない、と言ったはずだが。
H:はいはい、そうでした。そうでした。あぁ、もう忘れてしまいましたよ...
I:教え甲斐のないやつだね。まあ私も物忘れが激しくなったので、人のことは言えないけどね。
H:それで、電波はモノなんですかね?
I:質量がないし、持ち歩くことも出来ないからモノとは言えないと思うけど、電波が伝わって行く様子は想像でわかるから、モノに準じたものと考えていいんじゃないかな。これは国語の問題かもしれないね。
H:じゃあ、電波はいいことにして、電波よりも速く、つまり光速より速く情報を伝えることはできないんですか。
I:今のところそういう手段は見つかっていないことになっている。
H:絶対にないんですか?
I:絶対かどうかは、軽々には言えないがね。情報を伝えるのがモノに限られるのなら、光速よりも速くはないことになるが、相対性理論は、モノを光速より速く加速できない、といっているだけで、光速よりも速く伝わる情報があるかどうかについては特に制限していないんだよ。
H:ということは、光速より速く情報が伝わることが起こる可能性もあるってぇことですか。
I:あるとも無いとも言っていないわけだぁね。でも、情報が光速より速く伝わることがあると変なことが起こる、とは言っている、それが「因果律の破れ」ということだね。
 
2.光速より速く情報が伝わる?
H:じゃあね、ご隠居、こういうのが昔あったんですけどね。 ...ある部屋に何か信号燈のような電気の灯りを天井からぶら下げてておくんですよ。ただの電球でいいんですがね。それのスイッチに長ーいひもが付いていて...
I:おいおい、それはなんだね。
H:例えば、入院患者のいる病院なんかでね。宿直のお医者さんとか看護師さんとかが夜つめている部屋に信号燈の灯りがあってね。それからひもが廊下の天井を伝って入院患者さんの各病室にまでのびているんですよ。
I:それで、入院患者さんの誰かが、夜中に具合悪い、とかの時に、そのひもを引っ張ると、詰め所の信号燈が点いて夜勤の人が気がつくということだね。そんなの今時あるかい。
H:今は、インターホンかボタンでしょうがね。昔はあったんじゃないかな。
I:わたしゃ長く人間をやっているが、ありがたいことにあまり入院しなかったから聞いたことないね。
H:じゃあ、まああったとして下さい。それで、このひもがずーっと長いとして、つまり、病室と夜勤の詰め所がずーっと遠く離れているとして、ひもを引けばすぐに信号燈が点くわけですから、情報は瞬時に届くんじゃないですか。
I:面白いことを考えるね。でも、その場合でも情報の伝わる速さは光よりも遅いんだよ。
H:えっ、そうですか。そんなことないでしょ。こっちを引けば、そのときにはあっちが動いているはずですよ。
I:ところがだね。ひもというのは一瞬途中が伸びるんだな。伸びてから縮んで、...というのが伝わって行くので、瞬時というわけじゃあないんだ。
H:そりゃ、ボソボソの布のひもとか使ってたら伸びるでしょうけど、鋼鉄のワイヤーなんかでばしっと引けば一瞬に...
I:鋼鉄でも延びるんだよ。いいかね、鋼鉄といっても鉄の原子が並んでできているんだ。
H:そうですね。
I:鋼鉄のひもを引いても、まずは手元の原子が動くだけだ。重たーい鉄の原子がよっこらと一つ動く、そのあとその隣の原子がそれに引かれてよっこらと動く、そのよっこらよっこらが伝わって行くわけだ。何一つ光速で動いている物はありゃしない。つまり、モノというのはどれも原子が並んで出来ていて、その間の情報の伝達というのは、よっこらと1つの原子が動くことが、ごく近くにある原子の間を順々に伝わって行く。だから、遠くまで瞬時に伝わることはないんだね。
H:そうですか。それじゃ、原子のようなつぶつぶで出来ているものはダメとして、何かその、ばーんとムクの一体物の材料からできているものないですかね。全体がべたーっとなめらかでぎっしり詰まっていて、延びも縮みもしない...
I:そんなものはこの宇宙にはないだろうよ。形のある物は何でも原子で出来ているんだ。
H:困ったね...
 
3.大きさのある量子力学系
I:でもね、形のあるモノと言えるかどうかは別にして、この世には「一体物」というのが実はあるんだよ。
H:えっ、つぶつぶの原子で出来ているんじゃないモノがあるんですか。
I:つぶつぶの原子で出来ているんだが、それが一つの「量子状態」というものを作るとそれは全体として一体として働くんだね。
H:何のことやらさっぱりわかりませんが、「量子状態」というのは何ですか。
I:それを説明するには、量子力学の話をしないといけないんだが、でも当面は量子力学と相対性理論の説明は別物だから、今日のところは量子力学の説明は省かせてもらおう。
H:「一体物」が何かおいらに理解できれば省いていただいても差し支えありませんがね。
I:まあ、じゃあ、ある程度の大きさのある実験装置があって大きな机の上に載っているとしなよ。もちろん実験装置は多数の原子からできている。
H:いいですよ。
I:すると、この実験装置全体のエネルギーとか角運動量とか一定の量があってね、それは全体として一つの値に決まっている。
H:まあ、そういうものだとしましょう。
I:すると、量子力学的な効果というのがあって、この実験装置全体が一定の「量子状態」にあって、それでこの実験装置の一部でたとえば机の右端の方でエネルギーやら角運動量やらがプラスになると、全体を一定にするために、そこから離れた左端の一部が一瞬にしてマイナスになるんだよ。
H:何ですか、その角運動量というのは?
I:それは、わからなくてもいいんだがね。ここでいっているのは、「スピン」という自転のような量で、原子や電子や光子が自転をしていて、それが左回りだとプラスとか右回りだとマイナスだとか思ってやってください。それで、プラスマイナスの足し算で装置全体の角運動量が定義できる。
H:わかりませんが、雰囲気はわかったのでわかったことにしましょう。
I:で、あっちの一部がプラスになったから、こっちの一部はマイナスにならなくちゃいけない、というのが瞬時にして伝わるわけだな。
H:へーぇ、突拍子もない話なので、よくわかりませんが、すごいですね。で、その実験装置というのはどんなに大きくてもいいんですか。
I:原理的にはね。地球から月くらいまでの大きさがあってもよくて、地球の電子が右巻きなら、月の電子は即座に左巻き、ということがわかるんだ。伝わるのは光速を超えているね。この「量子状態の系」というのは、地球から月まで「一体物」でいっぺんにバーンと動くんだよ。実際、互いに光速と光速で遠ざかっていく2個の光子のあいだでもこの現象は起こることが観察されているんだ。
H:へぇー。月まででもね。でも、何だかその話、あやしいですね。ほんとに情報が伝わってるんかな。ちょっと待ってくださいよ...おいらもちょっと面白い例を考えましたよ。
I:ほう、そりゃ何をお考えかな。
 
4.情報が瞬時に伝わる?
H:例えば、おいらっちのケン坊が大きくなって月に仕事に行くようになったとするね。
I:ほう、おまえさんとこの末っ子は宇宙飛行士志望なのかい、よく勉強できるそうだね。ちまたじゃ、トンビがタカを生んだとか、ミミズが龍を生んだとか言ってる人もいるね。
H:余計な話はしていただかなくてよござんすけどね。例えばそうなったとしてください。それで、ケン坊がめでたく月へ旅立ったとしてね、そのあと、おいらがうちのちゃぶ台の上を見ると、ケン坊が月に着いて向こうで読み上げることになっている式辞の原稿が状袋に入れてちゃぶ台の上に忘れてある...
I:月で式辞を読んだりするものかね。それがちゃぶ台の上に!?
H:それで、おいらは、「あっ、ケン坊の野郎、大事な原稿を忘れているじゃないか。あいつはガキの頃からほんとに忘れ物の多い奴で、担任の先生から親にまで注意が来たことがあったなぁ、ほんとにしようがない奴だ。今頃は気がついて困っているだろう」と、思っていると...
I:思っていると、月ではどうだね?
H:月では、その頃、ちょうどケン坊が着陸船の中で式辞の原稿を探していて、案の定、「おっといけねぇ、うちのちゃぶ台の上に原稿を忘れてきた」と気づいてたいへん弱るわけだ。これは、おいらがちゃぶ台の上で見た情報が瞬時にケン坊に伝わったといえるんですかね。
I:そんなものぁちっとも伝わっちゃぁいねぇだろう。
H:でも、うちのちゃぶ台の上にあるってことは、月のほうにはあるはずがない、という理屈でしょ?
I:あのねぇ。それは、ケン坊がうちを出るときにすでに原稿を忘れていて、おまえさんとケン坊がそれにあとから気づいただけだぁね。
H:ね。そうでしょ。じゃぁ、その「量子状態」っていうのも月と地球に離れるずっと以前に連絡取り合っていて、示し合わせがついていたんじゃないですかい。
I:それは、当然考えられる疑問だけどね。でも、いろいろ条件を変えて実験してみると、そうではない、片方を観測したときに初めてこちらの状態が決まって、その瞬時に遠くに影響を与えているとしか考えられない、ってことが実証されたんだそうだ。
 
5.情報の速さが光速を超えると因果律が破れる
H:不思議は話はおいといて、そいで、仮に情報の伝わる速さが光速を超えると「因果律」が破れるってことが、相対性理論で言えると聞いたんですが、これはどういうことですかい。
I:確かに、情報が光速を超えると、「因果律」が破れることが考えられるんだね。
H:「因果律」てどういうことですかい。「仕事はうまくいかない、うちでは嬶ぁにどやされる。インガなもんだ」というやつですか。
I:それは気の毒だね。因果律というのはね。原因があって結果がある。原因と結果は違う。原因の後から結果がやってくる、つまり時間順序が決まっているということなんだよ。
H:ほう。結果が原因のあとから来るのは、あたりまえじゃないですか。
I:ところが相対性理論では、離れたところで起こったAという事件とBという事件の時間順序は、見る人によって変わってくることが起こりうるんだ。
H:何でもありですな。
I:ところが、本当に何でもありだと困ったことが起きる。例えば、Aさんが手紙を書いたとする。これがAという事件だ。その手紙が郵便で運ばれてきてBさんがそれを読んで驚いたとする、これがBという事件だ。この時間順序は誰が見ても変わらない。それはAさんからBさんへ光速以下で情報が伝わっているならなんだ。
H:ちょっと待って下さいよ。AさんからBさんから情報が伝わるという時間順序は誰が見てもかわらないというわけですか。
I:そうだよ。Bさんが手紙を読んで驚いたあとにAさんが手紙を書く、ということは誰が見ても決して起こらない。
H:確かに、そんな妙なことがあると話がややこしくなっていけませんね。
I:ところが、この情報が光速を超えて届くとなると、情報の出発と到着の時間順序が見る人によって逆転することが起こるんだよ。つまり、結果と原因の時間順序が本当に逆になるわけだね。
H:へぇー、そうですか。そうなると、やっぱりまずいんですかね。逆に見えるだけならいいんじゃないですかね。
I:どういう場合にまずいかはね、ちゃんと相対性理論で計算できるんだけど、ただそう見えるだけではなくて、自分自身のことでも因果関係が逆になってひっかぶってくることもありうるんだよ。自分がやってもいないことの結果が先に自分にかかってくることもある。興味があったら、この横道相対論シリーズの第1回「超光速通信と因果律の破れ」(銀河鉄道WWW版第37号)で実例が解説してあるから、検索して読んでやってごらんよ。
H:午後から仕事に行ったら忘れてしまうんで、まあたぶん読みませんけどね。そういうインガなことが起こるわけですね。じゃあ、それをさっきの月と地球の例に適用するとまずいことは起こらないんですか。
I:おまえさんとケン坊の月旅行の場合は、忘れ物をしたというのはうちを出た時点で決まっているのだから、おまえさんが気がつくタイミングとケン坊が気がつくタイミングの時間順序はどうでもいい...二人とも長いこと気づかなかった間抜けさん、というだけのことだ。
H:そっちの例はいいんですが、量子状態のほうはどうですか。地球の電子で決まったことが、月の電子にすぐ伝わるという順番が逆になっちまう。
I:うん。そこはまだ議論があるんだ。確かに、見る人によって順序は逆になる。情報の伝わる向きも逆になるかもしれない。しかし、それでもこれは「意味がある情報」が伝わっているのではないので、それでもかまわない、ということで解決しそうだね。
H:意味のある情報じゃないんですか?
I:うん、量子力学的な状態の測定結果は、確率で、まあ平たく言えば偶然に決まるんだね。偶然でこう決まったことがあちらにもその影響が伝わる、でも、そもそもが偶然に決まったことだから、どっちからどっちに伝わっても意図的に意味のあることを伝えたわけではないのでいいんだ、という考えだろね。
H:ふうん。そういう偶然の情報しかできないんですか。
I:うん。でもそれは未決着なんだよ。将来、量子技術が進歩して、積極的に意味のある情報を伝えられるようになると、話は違ってくるかもしれないね。でも、そういう場合でも、それは人間がこしらえて伝えようと意図した情報なのかどうか、という議論は残るかもしれない。
H:なんだか抽象的でよくわからないな。人間が意図した情報とか、自然の偶然の情報とか、どういう違いがあるのかな。
I:情報というのは実在なのかどうなのか、相対性理論と物質科学だけで解ける問題なのかというと、哲学的な意味合いもある議論だからね。まあじっくり考えてみるといいんじゃないかな。
H:はは、こりゃ、ご隠居のお命のある限りは楽しめそうですね。あの世に行った頃にわかるかもしれませんよ。
I:極楽では永遠の命だそうだから、あっちではゆっくり考える時間はあるだろね。
H:おいらだったら、極楽も3日であきそうだな。
I:おまえさんなど、お釈迦さんに叱られて追い出されるクチだろうね。
H:極楽に行ってまでどやされるとはインガなもんだな。どら、ここらでままのならない仕事にでも行ってきますか。 
 

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