作曲家ウィリアム・ハーシェルについて
 
上原 貞治
 
1.作曲家の紹介
 ウィリアム・ハーシェルという歴史上とても有名な作曲家がいます。でも、この人は作曲家として有名なわけではありません。そう、あの天王星を発見したことで有名な天文学者のウィリアム・ハーシェルのことです。
 ハーシェルは、天王星を発見して、太陽系の大きさを広げました。その後、今で言う銀河系の形を観測で決めようとしました。そして、宇宙の恒星がどのように分布しているかを図に示しました。また、ハーシェルは、多くの恒星の運動を研究して、太陽系が恒星の中を動いていることを示しました。さらに、彼は、太陽光をプリズムで分光して温度計を使って見えない光、― 赤外線 ―があることを発見しました。まさに、宇宙を広げ、観測方法を広げたという点で、ハーシェルは、ガリレオに匹敵する偉大な天文学者であったということができるでしょう。
 ハーシェルは、ドイツのハノーヴァーで、1738年に生まれました。彼の父は音楽家でした。それでハーシェルも若い頃は、父と兄にならって、ドイツで楽隊に入団しました。その後、作曲も手がけるようになりました。 ハーシェルは、1757年に楽団とともにイギリスに移住しました。
 ハーシェルは、1760〜70年代に作曲家として活躍し、いくつかの楽曲を残しました。ハーシェルが天文をはじめるようになったのは1770年代で、望遠鏡の自作も手がけ、1781年に天王星を発見したことがきっかけで、1782年以降、プロの天文学者となりました。
 
2.CDの紹介 
 さて、今日は、作曲家としてのハーシェルの話をするのですが、とにかく、音楽は聴いてみなければ話にならない、というわけで、現在、比較的簡単に入手できる、ハーシェル作曲の楽曲のCDの紹介をしたいと思います。以下の2枚のCDは、いずれも外国で出版されている物(1.は国内盤もある)ですが、CD販売等で有名な国際的ネットショップの日本支店で購入することができるでしょう。
 
(1) ウィリアム・ハーシェル 交響曲集/ロンドン・モーツァルト・プレイヤーズ、バーメルト(指揮)、CHANDOS, London, CHAN 10048.
 
(2)Dominique Proust, Pieces d'orgue de William Herschel ドミニク・プルースト(オルガン), Disques DOM, Vincennes, DOM CD 1418.
 
 (1)は、ウィリアム・ハーシェルの交響曲集で、交響曲 14, 8, 2, 12, 17, 13番(収録順)が収録されています。(2)のドミニク・プルーストは現代のオルガン奏者(もちろんパイプオルガンです)の名前で、彼が演奏したハーシェル作曲のオルガン曲集ということです。なお、このプルーストという人は本職はプロの天文学者であるということです。私はこの2枚のCDを買って聴きました。その感想を述べる前に、音楽の時代背景の話をしましょう。
 
 ハーシェルは、クラシック音楽の作曲家でした。時代的には、バロック音楽から古典派に移った頃に相当します。2枚のCDを聴く限り、ハーシェルは当時の新しい音楽を切り開こうとした進取派のようで、だから、古典派の作曲家ということになるでしょう。1770年頃に活躍した古典派の有名な作曲家というと、ハイドンとモーツァルトが挙げられます。ハイドンは、ハーシェルより6歳年上ですが、ハーシェルが作曲家をしている頃はハイドンもまだ若かったはずです。それでも、ハーシェルはハイドンから影響を受けたと言います。モーツァルトはまだ10代でしたが、「神童」だったのでいっぱしの作曲をしていました。ハーシェルが影響を受けた、もう一人の作曲家として、ヨハン・クリスティアン・バッハが挙げられます。ヨハン・クリスティアン・バッハは、大バッハとして有名なヨハン・セバスティアン・バッハの息子です。ヨハン・セバスティアンはバロック音楽を大成した人(クラシック音楽の基礎を大成したのと同じと言ってもよいでしょう)ですが、ヨハン・クリスティアンはそれを新時代に向けて変革していった人です。従って、ハイドンもハーシェルもヨハン・クリスティアンも、前期の古典派の作曲家として、バロック音楽から脱却して、その後のモーツァルト、ベートーベンのような豊かな表情のある音楽の時代へのスタートを切った人と言えるでしょう。

 
 

3.聴いた感想の紹介
 さて、いよいよハーシェルのCDを聞いた感想を紹介しましょう。私の感想などを読む前にご自分でCDを買って聴いていただくのがいちばんいいのですが、すぐにそうもいかないでしょうから、悪しからず書かせていただきます。
 ハーシェルの交響曲集を聴いてわかるのは、彼が作曲の分野でも「実験」をしている、ということです。ハーシェルはやはり音楽の世界でも科学者だったのか、メロディの発展に明らかに実験的な試みをしています。この点で、優美さを追求したり、新古典主義的なところをめざしていた作曲家(例えば、グルックやボッケリーニ)などとは、他では共通するところはあっても、一線を画しています。その実験的な部分では、完成度が犠牲になっていますので、ハーシェルの音楽に完璧さを要求してはいけません。
 クラシック音楽の作曲家には、その作品に手仕事の琢磨の痕が残るタイプと残らないタイプがあります。モーツァルトやメンデルスゾーンは天才的な流麗な音楽を作る人で琢磨の痕が残っておりません。ハイドンやベートーベンやブラームスは、努力して工夫して音楽を作ったという手仕事の痕が付いているのが聴いていてわかります(人によって感じるところは違うかもしれませんが、私はそう思います)。ハーシェルは、努力して実験しているのが目に見えますので、後者のタイプです。でも、断っておきますが、後者のタイプの音楽は出来が悪いとか芸術性に欠けるとかそういうことはまったくありません。ベートーベンとブラームスの交響曲や弦楽合奏曲を何曲か聴いていただくと、人間の努力の成果に限りがないことがわかっていただけると思います。
 
 ハーシェルの交響曲第2番は、その初期の番号が付いていますが、比較的、平明なモーツァルトの初期の小品を思わせるような作品です。普通に気楽に聴ける作品だと思います。交響曲集の中で、最高に聴かせるのは、(私にとっては)8番です。ハーシェルは、この曲1曲だけで、他の曲も天文学上の業績も忘れたとしても、クラシック音楽のすぐれた作曲家ということができるでしょう。疾風怒濤のような第1楽章のアレグロ・アッサイは、人の心を奮い立たせます。第2楽章のアンダンテは、ハーシェルの過ぎゆく青春の感傷を思わせるような単純で甘いメロディで、ベートーベンの有名な交響曲第7番の第2楽章アレグレットを思い起こさせる雰囲気があります(と言っても、ハーシェルのほうがベートーベンより古いのですが)。また、第3楽章はふたたび激しく、でも今度は平明なリズムの音楽です。ハーシェルのこの交響曲は、エンターテインメントに主眼を置いたハイドンの交響曲と共通点はあるもののやはり一線を画するものになっています。つまり、実験が主体なのですが、聴く人にとっては、その実験の過程が十分に楽しめるという構造になっているのです。
 ハーシェルは、そういう進取の気風に満ちた作曲をしているので、古典音楽でありながら、「古くささ」というものを感じさせません。それは、まだ新しいスタイルが確立してないことが幸いしているのだと思います。もう1枚のCD、「ドミニク・プルースト」のほうはオルガン曲ですが、こちらも古くささ、宗教臭さというものはほとんどありません。むしろ、エンターテインメントとして楽しめるものです。バックミュージックに使っても肩が凝ることはないと思います。バッハのオルガン曲のように身構えなくても楽しめるのです。フーガなど、主題はあくまでも平明です。でも、その平明さに工夫がなされていることが感じ取られます。また、バロック音楽のノリの良いところも残っています。
 
 ウィリアム・ハーシェルは、天文学者、科学者として、非常に多彩な戦略を打ち出しました。そして、そのそれぞれにおいてユニークな業績を挙げています。その戦略は、少なくとも私には簡単には理解しがたいものがあります。時代が違うのだから、仕方がないのかもしれません。しかし、彼が科学者になる前に作曲していた曲を聴くと、彼の「実験家」としての気概と戦略が感じられそうな気がします。科学者ハーシェルの精神の根本を、作曲家ハーシェルの作品によって知ることができる、そういう貴重な仕掛けになっているのかもしれません。
 
おまけ・その1:ヨーロッパにハーシェル・アンサンブルという室内合奏団があります。イギリスの天文研究グループであるウィリアム・ハーシェル協会とも連携しているそうです。近くCDを出すという話もあります。次のURLにウェブページがあります。
http://herschelensemble.com/index.html
  
おまけ・その2:ガリレオ・ガリレイの父親のヴィンチェンツォ・ガリレイ(1520頃 - 1591)もけっこう知られた音楽家で、作曲もしていました。数学が得意だったのか音階論に数学を適用しています。ヴィンチェンツォ・ガリレイ作曲の音楽は、ハーシェル作曲の音楽よりも演奏される機会もCDもずっと多いです。
 

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