編集後記
 
上原 貞治
 
 まず、今回の福知山の花火大会の事故について、亡くなられた方とご遺族の方にお悔やみを申し上げたいと思います。また、治療中の方々に、お見舞いを申し上げます。昔から思い入れがあって大好きな福知山の花火大会がこんな惨事になったことはとても悲しいことです。今後は、どうか火気の使用について制限と安全指導を徹底されますよう、警察や商工会の方々によろしくお願いしたいと存じます。原因糾明や責任の所在の検討は重要でしょうが、まず、ガソリンが人混みで振りまかれること自体が、どんな事情下でも、あってはならないことなのは議論を待ちません。
 
 

 自分が子どもの時にとても行きたかったところがある。 その一つが、スミソニアン国立航空宇宙博物館であった。いうまでもなく、NASAを初めとする宇宙飛行で活躍した宇宙船などを展示する博物館として世界随一のものである。アポロ11号の帰還した司令船カプセルがそこに展示されていることでもそれがわかるだろう。
 
 ワシントンは米国の首都ではあるが、日本から見るとほとんど地球の裏側でもあり、世界的に見てメジャーな観光地というほどでもないので、ずっとそこへ実際にわざわざ行こうと思ったことはなかった。ところが、今回たまたまそこへ行くチャンスがやってきた。出張で行った米国への会議の休日にワシントン行きのバスを出してくれたのである。そのバスは、頼みもしないのにワシントンDCモールのスミソニアン国立航空宇宙博物館の前が行き先だった。バスの運賃は私費で出したが、私は、本職で実験装置などの展示を担当しているので、今回の航空宇宙博物館見学は、まあ仕事で行ったということに見なしていただきたい。
 
 そこに展示されている物についてはインターネットでも観光ガイドブックでも詳しく紹介されているし、どなたも機会さえあれば行かれて損のないところだと思うので、ここでは述べない。まあ、私がずっと見たかったものでもっとも感激したものは、今号の表紙写真に載せたマーキュリー宇宙船フレンドシップ7であったことだけコメントさせていただく。
 
 あとは、全体的な感想であるが、概して言えばやはり年をとってから行ってもだめである。そんなに大感激はしなかった。やはりこういうところは若い時に行くべきである。例えば、若い時に行った上野の国立科学博物館ほどにも感激しなかった。なお、私は、上野の科学博物館をスミソニアンのずっと格下に据えるわけでは決してない。現在の上野のそれはけっこう立派な物である。実際、今回、ワシントンのスミソニアン国立航空宇宙博物館と国立自然史博物館で味わった感激は、最近、上野で味わったそれに毛が生えたほどのものであった。スミソニアンファンに怒られるかもしれないがとにかく年をとるとこういうものなのである。若い時に行ったらさぞ感激したことだろう。でも、今回のように全体を理解しながら落ち着いて見学することはできなかったかもしれない。
 
 展示物については述べないと書いたが、もう一つ思い入れのあった物があるので、撤回してそれに絞って書く。それは、月の石である。月の石と言えば、大阪万博で大人気で行列して見たという人も多いだろう。万博へは行ったが人が多くて、月の石は断念したという人はさらに多いだろう。その月の石が、現在の航空宇宙博物館には触れる状態である。小さな物でかなりすり減ってはいるが、指で触ることができた。世界的に見ても月の石に触れるところは珍しいだろう。触れる月の石は正面玄関の近くの真ん中付近にあって派手なポールが立っているが、本体が目立たず何だかわかりにくいので見逃しやすく、誰一人並んでいなかった。貴重な物なので訪れた人にはぜひ触れてほしいものであるが、私が見た範囲では、私以外に触れたのは一人の中年のおばさんくらい(西洋人と思われる)であった。
 
 月の石は、航空宇宙博物館の他の展示室にもあったが特に人気のある物ではない。月の石は日本でも常時展示されているくらいで今や特に珍しい物ではないのである。また、スミソニアン国立自然史博物館(航空宇宙博物館から数百メートルの所にある)の「月の石コーナー」(写真)は立派だった。が、ここは自然史博物館でもっとも人気のないコーナーのようで、私は数分間たたずんだり写真を撮ったりしていたが他に見に来る客は一人もいなかった(写真)。一方、地球産の鉱物・宝石コーナーは芋の子洗う人だかりであった。大阪万博世代から見ると、苦労して月まで採りに行かはったんやのにひどい話や、である。
 

スミソニアン国立自然史博物館(ワシントンDC)の「月の石」の展示
 
 あまりテンションの上がらぬことばかりを書いたが、一つの理由は、最近の博物館の造りに問題があるのかもしれない。昔の博物館は、何か大人向けに作られていたような気がする。ほんとうは、そうではなく、当時も若者向けに作られていて、それでもそれを私が背伸びしてみていたためにそのように感じたのであろう。しかし、今日の科学博物館は日米を問わず、現代的ですっきりしていて、子どもにも親しみやすいように作られている。重厚趣味の私にはものたりない。といって、今日、昔風の大規模な科学博物館はあまりないので、公平な評価ができるわけではない。そういう古い雰囲気を味わいたいのであるならば、科学博物館ではなく、遺跡巡りか寺社詣でをするべきなのであろう。科学博物館が好きな高校生や大学生の方々のご意見をうかがってみたいと思う。
 
 

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