編集後記
発刊部 上原 貞治
 
 
  西中筋天文同好会の皆様、いつもありがとうございます。特に、今回は、田中さん、出ロさん、福井さんのお陰様で、「創刊40周年記念号II」を発行することができました。創刊○○周年号と銘打った「銀河鉄道」が2号連続で発行されるのはこれが初めてのことです。
 
 前号で私が書いた記念記事と編集後記で、我らが「銀河鉄道」の40年間には15年の空白期間(1979〜1993年)があったことを書きました。この期間を除けば、銀河鉄道の発行には4年以上の空白はありませんでしたので、この期間だけ突出しているように見えます。その間は「銀河鉄道」のことは忘れていて、年を取って落ち着いて懐かしくなったから再開したと思う方もいらっしゃるかもしれません。しかし、必ずしもそうではなかった、という事実を少し紹介させていただきます。西中筋天文同好会の知られざる歴史かもしれません。関連することは、つかず離れずで、今号の田中邦明さんの記事にも書かれています。
 
 1978年に印刷版の通巻48号が発行された時、私は大学3年生でした。その後もそれ以前と同様、おもに帰省している期間に銀河鉄道の印刷と発行を続けるつもりでおりました。もう記憶があやふやになりましたが、通巻50号を記念号にするべく、その表紙デザインなども早々と下書きしておりました。しかし、何がきっかけだったのか第49号以降は発行しませんでした。その後も帰省はしましたが、原稿を集めたり、自分で原稿を書いた記憶はありません。ひょっとすると、会誌を郵送する会員の方々の連絡先情報の保持が難しくなった(大学生やら若い社会人のことですから)という事情があってやる気をなくしたのかもしれません。いずれにしても途切れたのはひとえに私の根性無しの責任です。かくして、私が編集した「銀河鉄道」印刷版は、この第48号が(今までのところ)最後になりました。(第49号も印刷版ですが、これの発行経緯は下に書きます)
 
 でも、その後も西中筋天文同好会は休会状態ながらも存続しておりまして、1985年の大晦日には観音寺の私宅に望遠鏡を多数並べて「ハレー彗星を観る会」を催しました。これは近所の人が呼びかけられたものですが、もちろん私たちが天文同好会をやっているということをご存じだったからこそ声をかけられたもので、同好会の「名声」は衰えていなかったということでしょう。また、この時に、ハレー彗星の観望の手引を私と私の父親とで製作して関心のある知り合いの人々に配布しました。今にして思えば、この手引を「銀河鉄道」特別号とでもと題しておけば、1985年にも発行されたことになって良かったのに。
 
 さて、通巻49号の発行は1994年ですが、HPからアクセスできる第49号デジタル復刻版の目次にあるように、そこには私が1987年から1994年にかけて書いた足かけ8年分の記事が入っています。これはどういうことかといいますと、実は、1987年に田中さんが銀河鉄道の新号の原稿募集をかけたので、私が投稿したものです。それは直ちには発行されませんでしたが、その後も私は投稿を続けました。1993年夏には綾部で星空パーティを開催し、その直後にその記録の記事原稿を書きました。そして、ついに1994年、それらをまとめて田中さんの編集による通巻49号が発行されました。という次第で、1987〜1993年は、見た目は発行空白期間ですが、実態は原稿募集期間だったのです。
 
 40年間、銀河鉄道が発行された年も発行されなかった年も、私たちの思いが途切れたことはひとときもなかった、とまでカッコ良くは申しませんが、ずっと気持ちが続いて今日まで多くの方々のご支援により存続しております。そういうことにして下さい。ありがとうございます。
 
 

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