横道相対論シリーズ(4)
 
同時性のパラドックス
 
上原 貞治
 
 物理学の進歩によって、我々が日常生活で慣れ親しんでいる概念が根本から影響を受けることがある。特殊相対性理論の登場によって影響 を受けた「同時性」はその端的なものである。
 特殊相対性理論において、「同時」ということばはほとんど崩壊寸前なほど意味が制限されている。でも、同時の概念が無くなっているわ けではない、それどころか、相対性理論で「同時」の意味は非常に重要である。この概念がないと時間や速さの測定などできない。日常的な意味が ほとんど崩壊しているのである。そのために、相対性理論では一見非常識なことが起こるように見える。
 この非常識は、多くの人によって「特殊相対性理論の内部矛盾」ではないかと指摘された。しかし、その多くは相対性理論における「同時 性」についてちゃんと理解していないために起こった誤解である。ここでは、そのような相対性理論が一見矛盾を含んでいるように見える「同時性 のパラドックス」について取り上げてみよう。
 
 我々の常識では、Aという事件(事件A)とBという事件(事件B)が同時に起こり、かつ、事件Bと事件Cが同時に起こった場合は、事件Aと事件Cは同時に起こったことになる。しかし、特殊相対性理論では必ずしもそうはならない。 一般に、事件Aと事件Bが同時に起こったことを観測した人と、事件Bと事件Cが同時に起こったことを観測した人が、相対的に運動しているなら、事件Bと事 件Cはこの両人のいずれにおいても同時ではなく、また、一般の他の観測者においても同時ではない。これがパラドックスの根源である。これは深 刻な問題で時刻の測定という基本的事項にまで影響する。我々が事件発生の時刻を測定すること自体、「事件の発生」と「時計を見る」という行為 のあいだに同時性を要求せねばならないからである。時計を見た人がどういう状態にあったかということまで記録しないと、時刻の測定として完全 でない。
 ここでは、特殊相対性理論において時間が相対的になる、すなわち高速で走っている時計が遅れる、という現象の説明に、パラドックスで つっこみを入れてみよう。2つの例を挙げるが、どちらについても後で種明かしをする。
 なお、図の中の式がうっとうしければ飛ばして読んでいただいて差し支えない。本文と図の絵だけを見ていただければ理解してもらえるように書いたつもりである。
 
1.第1問:中学生にでもわかる相対性理論?
 よく若い人向けの相対性理論の入門書に次のような図が載っている(図1)。ロケット(宇宙船)の内部の床の部分には(図1の下線を床 としてほしい)真上を向いた光源があり、ここから出た光が天井にある鏡で反射してまた床に戻ってくる。この時間をロケット内の人と、ロケット 外の人が観測する。ロケットは、左から右に高速で飛ぶとする。ここでロケットの速さをvとする。つまりロケット外の観測者から見て、ロケット は右向きに速度vで飛んでいる。また、光速をcとする。特殊相対性理論に従って、光速はどちらの観測者から見ても一定で同じである。
 すると、図1中の数式にあるように、ロケットに乗っている人における光線の往復時間は、光源から天井までの高さをLとして、 T=2L/c である。ロケット外から見て、この往復時間をT’とするなら、この時間T’のあいだに、ロケットは、vT’だけ右に移動するか ら、往路復路とも経路が延びて、光の行程の片道は直角三角形の斜辺となる。光速度は同じcだから、T’はTより 長くなるはずである。Tを 使ってLを消去し変形すると特殊相対性理論で知られた
 T' = T / √1−v2/c2
が得られる。ピタゴラスの定理とルートを含む式変形さえ出来ればできる計算なので、これは中学生にでも理解できるということになる。こ うして、ロケット外の観測者から見て、 ロケット内の時間の進みは、光の経路が延びる割合(1/√1−v2/c2)だけ遅くなっ ているように見える。この比率を特殊相対性理論では、ローレンツ因子あるいはγ(ガンマ)ファクターと呼ぶ。
 上の証明は正しいし、また中学生でも理解できるというのもまあ間違いではないだろう。でも、パラドックスはこれからである。

fig12
 
 では、ロケット内の仕掛けを変更して、少し光を後方に向けて発射し、ロケット内の人から見ると光は斜めの経路を走り、ロケット外から 見ると垂直に最短距離を往復するようにはできないものだろうか。実は、そんなことは簡単に出来る(図2)。ロケット内で光源の傾きと鏡の位置 を調節して(天井全面を鏡にすれば位置調節の必要はない)光源がロケット外の観測者にもっとも近づいた時に光が斜めに発射され、やや後方の天 井にある鏡がロケット外の観測者にもっとも近づいた時に光がそこに到達するようにすればよい。これで、ロケットの内と外が先ほどとまったく逆 になる。(結果は図2中の数式を参照されたい)。
 これで、ロケット内から見て斜めの経路の光が、ロケット外から見れば最短距離(単に上下)の往復になる。そして、ロケット内の時計の 進みは速くなり、ロケットに乗っている人のまだ体験していない未来が外からはどんどん見えてくる...そんなあほな、というわけである。
 「一知半解」ということばがある。同時性のパラドックスを知らなくても、前半(図1)の思考実験から特殊相対性理論がわかったつもり になれる。しかし、同時性の問題を深く理解していないと、後半(図2)の思考実験によって、我々はまた一挙にパラドックスのやぶのなかに突き 返され、理解が完全でなかったことを思い知らされるのである。
 
2.第2問:宇宙線ミュー粒子は地表に到達できるか
 特殊相対性理論による寿命の伸びが比較的簡単に確認できる現象として、空から降ってくる素粒子である宇宙線ミュー粒子が地上に到達す るという事実がある。これは文字通り観測事実である。
 ミュー粒子は宇宙から飛んでくる陽子などの粒子により、大気圏上空、例えば10kmくらいの高度で生成される、そこから地上に達する には最短距離でも10kmを飛行せねばならず、それには光速で飛んでも33マイクロ秒ほどかかる。さすがのミュー粒子も光速より速くは飛べな い。ところがミュー粒子には寿命があって約2マイクロ秒の寿命で1個の電子と2個のニュートリノに崩壊する。崩壊した後にはもちろんミュー粒 子は存在しない。これだとミュー粒子はどれも地上に到達できないことになる。ところが、生成されたミュー粒子のかなりの部分が無事に地表に到 達し、地表で観測されている。(今も皆さんの身体にバシバシ当たっているはずである)。これはどういうことであろうか。
 この事実は、前項と同じ時間の伸びによって説明できる。すなわち、高速で飛んでいるミュー粒子の内部時計(そんなものは実際にはない が、ミュー粒子にくっついていっしょに飛んでいる時計があると仮定して欲しい)はゆっくりすすむので、ミュー粒子の寿命が延びるのだ。ミュー 粒子の速度を光速の99.9%とすると上記のγファクターは 約22となるので、寿命も約22倍になり、これなら10km上空からでも易々と 地表に到達できる。
 以上の説明は間違いではない。現にミュー粒子は地表に到達している。でも、ここでミュー粒子の身になってみるとあっと妙なことが起こ る。
 
 ボクは地球の大気圏上空で生まれたばかりのミュー粒子である。見ると驚いたことに地球がゴーッと迫ってくる。ホントに驚いたなぁ。生 まれた直後に地球までの距離を見積もると10kmくらいあるじゃん。地表が近づいて来る速度は光速に近いようだが、それでも地表がこちらに やってくるには33マイクロ秒はかかるだろうからボクの寿命の2マイクロ秒のあいだには地表はこちらには到達しないだろう、と思いきや、生き てるあいだに地表は到着、どうなってるんだ?
 
ということになる。ミュー粒子から見ると納得がいかないだろう。ここで、上記のミュー粒子の「手記」はどこかがおかしいはずである。怪 しいのは、生まれた時の地表までの距離か地表が近づいている速さか、そのどちらかであろう。しかし、どちらが間違っているにせよ妙な話であ る。宇宙じゅうに1個のミュー粒子(A)と地表(B)しかなかったとしよう。宇宙に、AとBの2人しかいなくて、両者が互いに近づいている時 に、Aから見たBの距離または速さが、Bから見たAの距離または速さと違っていて良いものだろうか。そんなのが違ったら、ちょっとも宇宙は相 対的ではないではないか!?
 
3.第1問の種明かし
 では、上の「中学生にもわかる...」の種明かしをしよう。細かい数式を使った説明は省略して(それは図3の中に書く)、筋書きだけ をことばで書く。
 実は、ロケット外から光の行路だけを観測してもロケット内部の時間の進みはわからない。内部の時計の進みと光の進みを比べて初めて内 部の時間の遅れがわかるのだ。そのためには、本当は、ロケットに乗っている人に光源の脇に時計を置いておいてもらわないといけない。ロケット 内で光が単に垂直上下の往復をする場合(図1)は、この時計で内部の人が光の往復時間を計るとその結果が2L/cになるのは外部の人にも計算 で明らかなので、時計はなくても問題ない。外部の人は、自分が見た光の走る時間、あるいはその距離を測ればよい。
 ところが、後半のパラドックスの場合はそうはいかない。今度は、まず内部にいる人が光が走った時間を計る必要がある。その際、光源と 光の到達点が違う場所なので、その2箇所に時計を置かねばならない。そして、その2つの時計を合わせておかないといけない。時計を1台にし て、信号線で繋ぐ方法もあるが、その場合は、信号線を伝わる信号の速さが光速よりも遅く、その時間も問題になるので話はさらにややこしくな る。それで2台の時計を使うと、ここで問題が起こる。この2台の時計はロケット内の人から見ると合っているが、ロケット外から見ると合ってい ないのである。これが「同時性」の認識の違いである。

fig3


 ロケット外の人は、光源と光の到達予定地点にそれぞれ時計があるのを見つける。すると、光の到達地点にある時計は、光源にある時計よ り進んでいる。「なんだ、時計が合ってないじゃないか!」というわけである。それでもお構いなく光源から光が発射され、ロケット外から見る と、光は単に垂直に往復し、早々に床に到着する。しかし、到着点の時計を見るとえらい進んだ時間を指している。これはロケット内の人から見る と光の飛行に時間がかかったことを意味する。しかし、ロケット外の観測者は内部の時間が早く進んで見えたとは思わない。「この到着点の時計 は、始めから進んでいたからね。だから光が飛ぶのにそんなに時間がかかったわけではないよ。」と考えるのである。この時計の進んでいたぶんを 差し引くと、外部から見るとやはり内部の時間はゆっくりと進んでいるように見えるのである(図3)。
 
4.第2問の種明かし
 次は、ミュー粒子の件の種明かしである。答えは、上で示唆したとおり、ミュー粒子が生まれた時のミュー粒子と地表とのあいだの距離 が、どちらで見るかによって違うのである。それは、ミュー粒子が生まれた時にミュー粒子は生まれた場所にいるが、地表の観測者はそこにいない からである。両者は対称ではない。
 しかも、互いに動いている物の間の距離を測定することは、そんなに簡単なことではない。距離がどんどん変わってゆくからである。で も、レーダーの電波やレーザー光線を相手にぶつけて反射して帰ってくる往復時間を測定すれば、その速さは光速であることを知っているので、問 題なく距離の測定が出来る。その際、相手は動いているが、測定できた距離は、その往復時間の中点に対応する時刻における距離であると考えて良 い。以下、このレーザー光線を反射させる方法で距離を測ることを考えてみよう。もちろん、光速度は誰から見ても不変とする。
 地表から、ミュー粒子が生まれる場所までレーザー光線を往復させる。ミュー粒子発生時の距離を測定する場合は、図4のように、ミュー 粒子が誕生した時に、レーザー光はミュー粒子に当たって反射することになる。図4の横軸は時間、縦軸は距離(または高度)である。レーザー光 線がミュー粒子にあったところを☆マークで示す。
 いっぽう、ミュー粒子側から自分が生まれた時の地表までの距離を測るためには、あらかじめ、ミュー粒子が生まれる前から、だれか同伴 者がミュー粒子と同じ速さで飛んでいて、地球に向けてレーザーのパルスをポツポツと発射し続け、近づいてくる地球に向けて発射した光が往復し て、「発射からミュー粒子が生まれるまでの時間」と「ミュー粒子が生まれてから光が帰ってくるまでの時間」が等しくなるような光の往復時間を 記録する。そのレーザー光の往復の中間時刻と、ミュー粒子が生まれたのと、電波が地表に当たったのが同時である。その瞬間の、地球までの距離 は、電波の往復時間の半分を光速で割ることによって計算できる。

fig4


 さて、ここで、同時性の食い違いが起こる。このミュー粒子からの電波が地表に当たるのは、地上の観測者から見ると、ミュー粒子が生ま れたのよりもずっと後のことである(図4の●マーク)。地球から見ると、もうこのときミュー粒子はだいぶ近くに迫っている。しかし、図のよう に地球から見たミュー粒子からのレーザー光の往復時間は、地球から発射されたレーザー光の往復時間とは変わらない。行きが遠くて帰りが近いだ けである。
 ところが、この図はミュー粒子から見ると違ったものになる。両者は対称ではないのだ。ミュー粒子の身になってみると、まず、生まれた 瞬間に地球からの光が自分にぶち当たる。この光が当たるのとミュー粒子が生まれるのは同じ場所で起こる衝突現象(図5の☆マーク)だから、だ れから見ても同時である。これが制約になって、図5のように、ミュー粒子から見ると地球からのレーザー光が発射されたのは、はるか以前のこと になる。しかも、ミュー粒子から見ると、地球からのレーザー光の往復時間は、ミュー粒子側から発射した光の往復時間よりもずっと長くなる。こ のため、ミュー粒子が測った地球までの距離は、地球から測ったミュー粒子までの距離よりも近くなるのである。
 したがって、「生まれた直後に地球までの距離を見積もると10kmくらいあるではないか」というのはウソで、本当は「生まれてみたら 地球はすぐそこにあり、あっという間に地表に到着した。」ということになるのである。特殊相対性理論に従うと、運動している系を観測すると、 時間と距離の尺度がそれぞれ同じ比率で変わり、速度は変わらない。この比率の逆数がγファクターである。
 動いているものまでの距離を定義するのは、相対性理論では自明のことではない。Aが動いている時に、AからBまでの距離を測る場合、 AとBの位置を同時に測らないといけないのは当たり前である。たとえば、地球から火星までの距離を測るにしても、現在の地球の位置と半年前の 火星の位置とのあいだの距離を議論してもあまり意味はない。Aから見た同時とBから見た同時は違うのだから、Aから見た距離はBから見た距離 と違ってよいのである。
 
 

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