旧暦入門(第6回=最終回
上原 貞治
 
 
21.廃れゆく旧暦
太陽太陰暦が明治6年に公式に廃止されて以来、旧暦が非公式ながらも世に行われてきたのですが、それも時とともに廃れつつあります。戦前は旧正月を始め旧 暦で行われてきた行事も多かったそうです。40年ほど前には、まだ地方では年配の人が仕切る寺社や共同体の行事では時々旧暦を意識するようなこともありま した。現在ではそういうことはほとんど無くなったと思います(お月見は例外ですが、これについては次節に書きます)。
 ところが、中国、韓国、台湾では、旧正月(東洋の正月)が現在でも祝われていて、日本の新暦の正月に匹敵するような連休になっているそうで す。私は知り合いの中国人から、「日本人はなぜ『古い正月』を祝わないのか。古い伝統に根づいた重要な習慣を日本人が簡単に捨て去ってしまうのは理解しが たい」と言われたことがあります。確かに、日頃から古い伝統を大事にしている日本人が旧正月をまったく顧みないのは外国人から見ると不思議なことかもしれ ません。
 でも、私はこれについては理由があると思っています。私の推測ですが、日本人は、新暦という新しい枠組に太陰太陽暦を押し込むことに情熱を燃 やしたのです。なぜそんなことをしたのか。おそらくは、鶴田浩二さんの歌にもあるように「古いやつほど新しい物を欲しがる」ということでしょう。オヤジが 無理にスマホを買って活用しようとするマネをしようとしている状態を思い浮かべればよいのかもしれません。
 
22.旧暦を新暦に押し込める方法
  日本人は、旧暦の日付を新暦(現行のグレゴリオ暦)に押し込める方法を開発しました。大きく分けるとそれは次の3つに分けられます。
 
1)旧暦の日付とそのまま同じ新暦の日付に当てはめる
 これは、正月や節句(ひな祭り、こどもの日、七夕などに対応)で行われている手法です。もっとも芸のないやり方ですね。行事の規模の差はあ れ、同様の手法は中国や韓国でも採られています。この方法の長所はたいへんわかりやすく何も考えなくても良いことですが、1カ月くらい季節が早くなること が難点です。でも、私が思うに、日本では季節を先取りするということがエライ(「流行の先取り」、「初物食い」など)とされているのでこれは良いことで あって、短所とは見られなかったのかもしれません。
 
2)旧暦の日付と1カ月遅れの新暦の日付に当てはめる
 これはいわゆる「月遅れの...」と呼ばれている方法で、たとえば元々旧暦の7月15日のお盆を新暦の8月15日に行うのがそれです。この方 法の長所は、わかりやすさをある程度維持しながら、季節を合わせることが出来ることです。たとえば、旧暦7月7日の七夕を新暦8月7日に行うと梅雨のさな かにならずにすみます。でも、月齢は合いませんので、七夕が必ずしも上弦の月に当たるわけではありません。寺社などでの行事をこの方式で行っているところ が多いようです。これは、お祭りなどが田植えや収穫などの農作業との関係で季節と結びついており、それを尊重する必要があったことが大きいと考えられま す。でも、「月遅れ」をわかりやすいと思う人がいる反面、それは紛らわしいと感じる人もきっといることでしょう。
 
3)事象が起こった旧暦の日付を当時の太陽暦の日付に当てはめる
 これは、過去の特定の日を現行のグレゴリオ暦に換算し、その日を記念日とする方法です。この方法が採れるのは、特定の年に起こった事象を記念 する場合に限ります。たとえば偉人の誕生日を祝うとして、織田信長の誕生日は旧暦の5月12日として、これを毎年新暦の5月12日に祝えば上の1)の方法 になるのですが、これを信長が生まれた日のグレゴリオ暦に直して7月3日とし、この日を信長の誕生日として毎年祝う方法です(こんな祝賀が行われているか は私は知りません。単に例として取り上げただけです)。なお、信長が生まれた当時、世界のどこでもグレゴリオ暦はまだ行われていませんでしたが、それは問 題ありません。計算上で遡るという趣旨です。5月12日が7月3日に対応するのは、誕生年の1534年に限った話なので、歴史上1度きりの事象にしかこれ は適用できないといっていいでしょう。この方法が採られていることで有名なのは「建国記念の日」(制定されたときは「紀元節」と呼ばれていた)です。2月 11日というのは、紀元前660年までグレゴリオ暦を遡らせて計算したものです。この方式の採用は、1)の方法に比べると非常に限られているようで、たと えば「(松尾)芭蕉忌」も「(赤穂)義士祭」もたいていの場合、1)で行われているようです。
 
 以上の方法は、どれも月齢が合わないという欠点はありますが、グレゴリオ暦での日付が固定できるという利点は大きく、日本人は上記のいずれか のうちもっとも適切と思われる選択をすることによって、最大限の努力をしたと自ら納得して、旧暦を捨て去り伝統を新暦に引き継いだと言えるのではないで しょうか。
 
 もちろん、旧暦のまま押し通す方法もありますし、現在でもそれが行われている例はけっこうあります。もっとも有名なのは「お月見」ですが、こ れは満月の夜でないといけないので旧暦の15日にするしかありません。新暦の固定の日付に当てはめることは原理的に不可能です。でも「中秋の名月」が旧暦 8月15日に当たるという知識は現代人にはもはや不要ですね。「今年の名月は9月30日」(これは2012年の場合)などと新暦の日付でアナウンスされる からです。また、寺社の祭礼も同様で、旧暦の日付で固定されており、毎年新暦では日付が変わる場合でも、その日付は新暦で公表されますので旧暦の知識は不 要です。旧暦の○月△日などと報道しても新暦の○月△日だと勘違いする人が出るだけでメリットはほとんどないでしょう。また、「伝統的七夕」と称して、旧 暦7月7日に星空を見上げることが七夕祭りと天文普及のためのそれぞれの理由で一部で行われています。
 
23.旧暦の今後
 それでは、今後、旧暦はどのような運命をたどるのでしょうか。暦の専門家ではなく易学者でもない私にわかることでありませんが、それでも未来 のことを想像してみますに、旧暦は廃れていくばかりだと思います。今日が旧暦の何月何日であることを意識してもそれが役に立つことはないからです(もちろ ん、自分の個人的な趣味として楽しむことは残るでしょうが、ここでは一定の市場をかかえるような社会的規模のことをいっています)。旧暦はおおよその月齢 がわかって便利ですが、月齢が知りたいだけならば旧暦以外の方法があります。旧暦の月の名前はまず必要ないでしょう。今年の5月21日は新月で金環日食が ありました。この日は旧暦ではもちろん1日でしたが、何月だったかは知る必要がありません(実は4月でした)。
 そう考えてみると「お月見」だけが大きな例外と言えそうです。旧暦を復活させるなら、旧暦の日付で盛大に祝うような行事を全国的規模で立ち上 げる必要があるのではないでしょうか。たとえば、「伝統的七夕」のように地域や家庭や幼稚園で行う七夕は原則として毎年旧暦の7月7日にするとか(おっ と、幼稚園では夏休みにはいってしまうので、保育園でしかできないか)。でも、無理に考えても、日本国民が広く採用してくれるかどうかはわからないので、 あまり期待は出来そうにありません。
 旧暦は一つの日本の伝統であることは毎違いないので、いくら不便でも不合理であっても後世に残してゆく努力をすることに私は反対しませんが、 今やそれにメリットを感じる人は少ない、そもそもメリットはない、時すでに遅し、ということだと私は思います。落ち目だからこそ、怪しげな理由で(あるい はトンデモない理由で)旧暦を持ち上げる人々が出てくるのでしょう。長々と続けてきて、悲観的な文章で結ぶことになり、本当に申し訳ありませんでした。

 
  おまけその4(祭り開催日に関する資料)
 
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図:旧暦で行われている七夕祭りのポスター (山梨県の天河大弁財天神社。日付から2006年のものと推定される)

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