旧暦入門(第5回)
 
上原 貞治
 
本連載は、「旧暦入門」と題しながらも、旧暦の欠点をあげつらい遠慮無く批判するという異例のスタンスで第5回までやってきました。お付き合い下さっている読者の方々には深く感謝いたします。今回は、批判はほどほどにしまして、「旧暦の文化」に焦点を定めて紹介していきたいと思います。
 
17.旧暦の特長
 旧暦の性格の中心部分は、もちろん長所というか特長を備えています。最大の売りになっている部分ですからこれは当然のことでしょう。旧暦の最大の特長は、日付と月齢が合っているということです。言うまでもないことですが、旧暦の2日には二日月が見え(晴れればですが)、3日には三日月が、4日には四日月が見えます。江戸時代には、街灯などは通常野外にはありませんでしたから、月明かりが大事でした。満月の前後の明るい夜は、十三夜、十四夜、十五夜、十六夜などと呼んで賞翫しました。月齢と日付が直結していたことは、夜が暗かった時代の人にとって、本当に助かることだったと思います。現在でも新聞やラジオで月齢を知ることができ、ほぼ同じ情報が得ることができますが、今日の月齢がいくつかそんなこと知ったことか、という現代人には、太陰太陽暦のこの長所について論じる資格は無いでしょう。また、月齢は満潮・干潮の時刻や程度に影響しますから、海に関係に従事している人達にも重宝であることでしょう。
 もう一つの特長は、お正月が立春の前後に来ることです。正月元日は新月の日でなくてはなりませんから、立春から最大で±15日くらいずれることはあるのですが、そのことを大目に見れば(±15日は決して大目に見られる量ではありませんが)、立春が年始というのは何となく共感が持てるところがあります。立春は、新暦(現行の太陽暦)の2月4日頃にあたり、冬至と春分の中間、つまり、ある程度日脚が回復してきたが気候的には寒さの絶頂(でももうこれ以上は寒くならない)という時期です。1年の希望を抱く時期としては適当なのではないでしょうか。それに比べると、新暦の1月は、あまり芸の無い時期にあたっています。新暦は世界共通が売りなので、日本だけが勝手を言っても改まるはずもなく仕方のない議論ではありますが、日本にはやはり立春が年初のほうがよく似合うという気がします。以上、珍しく旧暦をほめました。
 
18.暦における二十四節気と雑節
 旧暦を含む太陰太陽暦の最大の欠点は、日付と季節が正確に対応しないことです。前回述べましたが、年によって±15日もずれると、農業や漁業はもとより日常生活にすら不便なので、旧暦のカレンダーには二十四節気が必ず記載されています。二十四節気のうちの半分の中気と呼ばれたものは、前回まで何度も出てきましたが、旧暦の日付の決定に使われました。途中計算として中気が使われるだけでしたら、あとで消してもよいのですが、これが誰もが正確な季節を知るために不可欠な情報であるため、暦面に残されることになったのです。中気と中気の間にある二十四節気は「節気」と呼ばれて、これも暦面に残っています。
 なぜ、「十二中気」や「十二節気」ではなく「二十四節気」なのかというと、歴史的には、もともとは、二至二分と立春・立夏・立秋・立冬の8つあったものを12カ月に合わせられるよう、それぞれの間隔を3等分したのだそうです。だから、8と12の最小公倍数の24個になって「中気」と「節気」の両方が存在することになったそうです。日常生活で季節の変化を感じるには、確かに半月ごとくらいに区切りがあるのが適切だと思います。
 すでに、第3回で紹介しましたが、二十四節気には味のある名前がついています。暦の計算に用いるだけだったら、こんな名称は必要なく、「時間均等法」で対応する月の名前にちなんで、「一月中」(雨水)、「二月中」(春分)「三月中」(穀雨)などという無味乾燥な名前を使ったほうが分かりやすいのですが(事実、暦学ではこのような呼び方もなされていました)、やはり、情緒があるということで、二十四節気の名前が広く知られるようになったのでしょう。
 この二十四節気の名前こそが旧暦の最大の長所だと思っている人もおられるようです。しかし、これは、旧暦の欠点を補うために「太陽暦」的観点から出てきたものです。それが証拠に太陽暦だったら、たとえば、8月8日ごろの気候というのは、毎年ほぼ同じで(場所が決まっていれば)、8月8日は立秋に当たるから、などと考える必要はありません。太陽暦には必要ないけど旧暦の欠陥を埋めるために雇ってきた「助っ人外人」のようなものです。ですから、二十四節気の長所をもって旧暦が太陽暦より優れているというのは、日本のプロ野球チームが戦力不足を補うためにアメリカから助っ人に来てもらって強くなったとたんに、日本のプロ野球は大リーグより強い、などと自慢するようなものです。まあそれでも、旧暦の欠点があったからこそ二十四節気の風情のある名前が世に知られることになったわけで、ケガの功名ということはできるでしょう。
 二十四節気と似た性格を持つものに雑節というのがあって、これも太陽暦ではほぼ一定の日付になるものです。これらも太陰太陽暦を使っていた時代には季節感を知るものとして重宝されたことでしょう。ここでは、詳しい説明は省略しますが、名前だけ列挙しておきましょう。雑節には、節分、八十八夜、入梅、半夏生、二百十日、二百二十日があります。田舎暮らしの懐かしさが感じられますね。また、春夏秋冬の終わりにある「土用」という期間もこれに似たものです。すべて、太陽暦では、毎年ほぼ同じ日付(の期間)になります。
 
19.旧暦に由来する占い
 旧暦を記載している「神宮暦」などの暦(下の「おまけ」参照)を買う人の最大の目的は、寺社の祭礼の日や日々の占いの吉凶を知ることにあるのでしょう。しかし、その暦注が旧暦の暦法と直結しているものは意外と少ないのです。年ごとに配当されている吉凶(恵方や五黄殺など)は、年とともにサイクルで回っていくものですから、旧暦の暦法と直接の関係はないと言って良いでしょう。もちろん、旧暦の年初・年末を区切りとすると、それは旧暦の暦法の影響を受けますが、年ごとの順番で決まるという規則自身は旧暦の暦法とは関係ありません。かつての「中段」と呼ばれた占い(正式の名前は「十二直」と言って、たつ、のぞく、みつ、などがある)や「三隣亡」などの暦注は、旧暦と言うよりも二十四節気で決まっています。また、日ごとに順番にサイクルするもの(日への干支の配当)も暦法で決まるわけではないので、これらは除外しましょう。
 そうしますと、旧暦の暦法に直結している暦注は、「六曜」くらいです。「六曜」が正式名称ですが、現代では「六輝」と呼ばれることのほうが多いようですから、ここでも六輝と呼ぶことにしましょう。
 
20.六輝(六曜)の決め方
 六輝とは、各日に配当する、先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の6種のことで、現代人にもおなじみのものです。大安と仏滅については縁起を担ぐ人が多いですし、大安は結婚式場、友引は葬儀場が特別体勢(あるいは休日)になります。
 六輝は、基本的には、日ごとに上記の順番で現れるのですが、時々、スキップします。実はこれが旧暦の1日に当たるのです。つまり旧暦の1月1日は必ず先勝で、以下1月のうちは、上記の順番で巡ります。1月2日は必ず友引、1月3日は必ず先負です。これが、2月1日になるとリセットされ、2月1日は友引です。1月が大の月だろうが小の月だろうが関係ありません。以下、2月2日以降は、先負から順に巡ります。3月1日は仏滅、4月1日は大安、...となり、7月1日はまた先勝、...12月1日は赤口です。閏月であっても同じです。閏1月は1月と同じ日付と六輝の対応になります。
 従って、閏月であってもそうでなくても、旧暦のX月Y日の六輝は、X+Yを6で割った余りで決定されます。数学記号では、n≡(X+Y) (mod 6)ですが、Cプログラミングでは、下のようになります。

switch (n=(X+Y)%6) {  //旧暦(閏)X月Y日:X+Yを6で割った剰余
  case 2: ; //先勝
   break;
  case 3: ; //友引
   break;
  case 4: ; //先負
   break;
  case 5: ; //仏滅
   break;
  case 0: ; //大安
   break;
  case 1: ; //赤口
   break;  }
 
非常に単純ですね。六輝に神秘性を感じている人が多いかもしれませんが、こんな単純なものなのです。旧暦の日付が決まれば毎年同じです。旧暦で決まる中秋の名月は旧8月15日ですが、8+15=23を6で割ると余り5ですから、中秋の名月は毎年仏滅です。これってなんだかアホらしくないですか。仮に同じことを現代の暦でやったらどうなるでしょうか。仏滅生まれの人は、一生、誕生日は仏滅とか。そして6人に1人がこの運命にさらされます。そんな占いのシステムがありがたいですか? それが許せないのだったら、なぜあなたは六輝を気にするのですか!?
 六輝は置閏法の影響を受けます。現代の日本の旧暦の置閏法は完全でありませんから、六輝の決め方も理論も不完全であることになります。特に具体的には2034年の六輝は現状のままでは一義的に決定できないことになります。これについては、前回(第4回)をご参照下さい。
 
 次回は、最終回として、より広い見地から現代の旧暦を考え、その将来を占ってみたいと思います。
 
 
おまけその3(暦資料)
 いわゆる神宮暦などの旧暦の載っている暦を買う人の目的は、おおむね占いを知ることでしょう(19節参照)。年ごとの神宮暦でまず重要視されるのは、方位吉凶図(図6左)です。ただし、これは、九星(くせい)が9つのマス目を年ごとに順繰りに回っているだけで、旧暦の月日の決定とは直接関係がありません。また、節分に食べる恵方巻で有名な「恵方」(図にあるとおり歳徳神のいる方向)も、年の十干で決まるもので、しかも節分は「太陽暦」的概念なので、旧暦の出番ではありません。
 次に、日ごとの占い(図6右)を見てみましょう(すでに過ぎ去った日々の暦を研究のために引用しているので、著作権問題はないとしてください)。上のほうにある日の干支は毎日順番に回っているだけで、何暦であろうがこれは関係ありません。六輝は上で述べたように旧暦の日付と単純に対応しています。「中段」(十二直)は、ほぼ日ごとに順番に回りますが、節気(二十四節気の中気でないやつ)の日にオドリます(同じのを繰り返す)。
 「廿八宿」は日ごとに単純に循環します。二十八日で一回りするのは、もともとは、月の位置が恒星天に対して一周する日数(約27.3日)を参考にしたものですが、正確な周期ではありませんので、だんだんずれてきます。ずれてきても別に修正するわけではありません。(こういう精密さを欠くためにだんだんずれてくる占いというのは、どういう意味がなのでしょうか。科学的な根拠があるならちゃんと補正しないといけないし、科学的根拠がないなら、別に二十八宿でなくて二十七宿でも三十宿でもよいと思うのですが)。星座との関連については、拙著「二十八宿和名考」(「銀河鉄道」WWW版第28〜30号に連載)をご覧下さい。



 
図6:神宮暦の方位吉凶図     同じく平成二十四年一月(太陽暦)の一部
(ともに 神宮館「平成二十四年神宮館家庭暦」より)
 
 
 

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