旧暦入門(第4回)
 
上原 貞治
 
13.天保暦から旧暦へ
 前回紹介しましたように、日本最後の公式の太陰太陽暦であった天保暦は、天保15年(1844年)に施行されましたが、わずか29年で廃止になりました。そして、明治6年(1873年)からは、現在の太陽暦(グレゴリオ暦)が採用されました。しかし、天保暦よりずっと以前から長く親しまれていた日本の太陰太陽暦と太陽暦とでは、システムも季節感覚もまったく違うので、しばらくのあいだ人々は戸惑ったことでしょう。それで、天保暦は旧暦という名前に変わって、しばらく非公式に使われました。それが、現在まで残る旧暦の始まりです。「旧暦」というのは「古い暦」という意味ですから、もちろん、新しい暦が敷かれた後に成立した名前です。
 で、天保暦と旧暦は同じかというとそうではありません。そもそも天保暦は国の正式の暦で計算法が厳密に定義されていますが、旧暦は民間で適宜作っているものですから定まったルール(暦法)はありません。この点だけをとっても、そもそも同列に比べられるものではありませんが、おおよそ次のようなことになっています。
 太陰太陽暦は、基本的には、1〜2年間分の新月(朔)の日と中気の日のリストが得られれば、その間の暦日(つまり○月△日という日付)が決定できます(その方法は、前回までで紹介しました)。従いまして、天保暦は、その新月と中気の日時を計算で決める部分と、新月・中気の日付から暦日を決める部分の2つの部分からなります。明治5年で天保暦は廃止されましたが、以後も、新月や中気の日時は、さまざまな人によって計算され続けました。旧暦はこうして計算された新月と中気の日付に、天保暦での暦日のルールを適用して、現在まで製作され利用され続けているのです。新月、中気の計算は、月と太陽の運動や見え方の計算として、特に旧暦の製作を意図せずとも民間でも国の組織(たとえば東京天文台、現在は国立天文台)でも行われていますので、どれを利用してもいいのです(どうせ非公式だから)。もちろん、どれを利用するかによって結果が変わる可能性があります。出版されている旧暦の暦同士で月の大小などが違っていると信用問題ですから、これを避けるために、だんだんに、国立天文台が計算して理科年表などに載せている新月と中気のデータが用いられることが多くなったようです。また、現在ではパソコンが利用できますから、国立天文台と同等の精度の計算を行えば、民間人が計算してもそうそう違う答えにはなりません。
 というわけで、現代の旧暦の計算は、月と太陽の動きについて20世紀以降の天文理論に基づいていること、京都標準時ではなく日本中央標準時(明石標準時)を使っていること、の点で天保暦とは違いますが、新月と中気の日付から暦日を決定する部分は、天保暦をずっと踏襲しています。
 
14.角度均等法(=定気)の破綻
 さて、ここで、話は前回の途中まで戻りますが、角度均等法(=定気)の太陰太陽暦の日付の決め方を復習しましょう。
 
(1)新月を各月の1日とする (2)冬至のある月を11月とする (3) ある年の11月から翌年の11月の間に中12カ月がある場合があり、その場合はいずれかの月(1つだけ)を閏月とする。(4)中気がない月が1つしかない場合はその月を閏月とする。(5)春分のある月は2月、夏至のある月は5月、秋分のある月は8月とする。(6)閏月は中気のない月から選ぶ。
ということでした。このルールは日本で最初で最後の角度均等法による公式の太陰太陽暦である天保暦の施行中29年間の間はボロを出しませんでした。でも、ボロを出す可能性があるのです。それはどういう場合でしょうか。
 明らかに2つの場合でボロが出ます。
 
・冬至のある月(11月)、春分のある月(2月)、夏至のある月(5月)、秋分のある月(8月)の隣り合うものの間に中1カ月しかない時
 
 たとえば、冬至のある月の翌々月が春分のある月で、その後に中気のない月が2つ現れたとしましょう。この場合、どちらの中気のない月を閏月にしても、条件(5)が満たせません。通常のナンバーの月に欠番が生じてしまうからです。また、別の条件として、
 
・中気のない月が2つ以上あり、どちらを閏月にするか決定できない時
 
という場合もあります。条件(5)が閏月を決定する助けにならない場合です。たとえば、春分のある月と夏至のある月の間に中3カ月があり、そのうちの2つが中気のない月だとしますと、どちらが閏月になるのか決定のしようがありません。
 
つまり、上の置閏法は、(特に(5)の部分が)「欠陥品」であるということです。
 
15.旧暦2033年問題
 問題は、このような問題が現実に近く起こると言われていることです。つまり、旧暦はついにその欠陥によってボロを出すことになるのです。
 その状況は、Wikipediaの「旧暦2033年」に詳細かつ一般的に述べられていますが、ここでは「入門」編として詳しい説明は除き、そのエッセンスだけ紹介することにします。
 現在、計算されているところによると、2033年後半から2034年前半にかけては、図4のような状況になっているといいます。ここでは前節に述べた「破綻」が2つ同時に起こります。図で、黒線は新月の日を基準に決めた各月の境界、色つき△は中気の発生する時です。秋分、冬至、春分については、赤い△の下にそれを記し、上記の(5)に従った月名を黒字で加えました。
 
 

図4 西暦2033〜2034年の旧暦の決定。黒の縦線は新月の日(旧暦の月の1日)。色つき△は中気の時刻。
 
 
 まず、2033年の秋分のある月から冬至のある月までの間に中1カ月しかありません。Wikipediaではこれが問題視されていますが、これは、冬至のある月を11月とする古来よりの基本ルールを最優先すると、2032年11月(旧暦による)から2033年11月のあいだには中11カ月しかないので、閏月は生じず、これ自体は問題になりません。閏月が生じない場合は、条件(5)は無視して良いでしょう。つまり、中気のない月(B)が8月、秋分のある月(C)が9月となります。
 問題はそのあとです。冬至のある月(E)と春分のある月(I)の間に中3カ月あり、そのうちの2つに中気がないことです。これは、どちらを閏月にするか指導原理がありませんので、ここで暦が決定できないことになります。ルールがないのだからどうしようもありません。ここで終わりです。
 もちろん、これも新たな追加ルールによって回避できます。それは、たとえば、問題が起こった時は、直前の冬至に近いほうの中気のない月を閏月にする、とでもしておけば良いのです。こうすると、図4の緑字のように月名が決定できます。
 以上まとめると、たとえば、次のようなルールにすれば、置閏法は完全になります。
 
(1)新月を各月の1日とする (2)冬至のある月を11月とする (3) ある年の11月から翌年の11月の間に中12カ月がある場合があり、その場合はいずれかの月(1つだけ)を閏月とする。(4)中気がない月が1つしかない場合はその月を閏月とする。
以上を、最優先事項とします。
 
 これに加えて、中気のない月が2つ生じてどちらを閏月にするか決定できない場合についてのみ、(5)春分のある月は2月、夏至のある月は5月、秋分のある月は8月とする。を要請して月名を決める。ただし、(5)が適用できない場合、あるいは(5)を要請しても月名が決定できない場合は、(5)を放棄して、(6)2つ以上の中気のない月のうちどれを閏月にするか決定できない場合は、直前の冬至に近いほうの中気のない月を閏月にする。
 
ということにすればよいのです。同じ条件を容れたり排除したり、切り貼り細工のようで美しいルールとは言えませんが、歴史と妥協するにはこれが最善かもしれません。しかし、これは一つの「案」であって、これ以外のルールを採用することを否定する根拠はありません。そういう意味では決定版にはなりません。さらに、公式に認められておらず、民間で勝手にやっているものなので、統一ルールを作る強い動機もなく、統一ルールが提唱されてもそれに従う義理もなく、自己流の旧暦が現れても強制的に排除する権利もなく、しょせんどうしようもないのです。2033年になると何が起こるのでしょうかね。
 どうなろうが、旧暦に関心のないたいていの人にはどうでもよいことでしょうが、ただ一つ、「六曜(六輝)」(大安、仏滅とかいうやつ)の決定が問題になるかもしれません。これについては、次回以降に説明します。
 
16.旧暦の問題点
 ここで、旧暦の問題点について指摘をしておきましょう。それは、ひと言でいうと、「旧暦は自然に即していない」、ということです。別の言い方でいうと「自然にやさしくない」といえるかもしれません。旧暦の支持者がしばしば「旧暦は日本の自然に沿った暦である」、「旧暦を利用することは、日本の自然を大事にすることである」というのは大ウソである、というのが私の主張です。
 最大の問題は閏月の存在です。旧暦の月名は、季節をフォローするように作られています。季節をできるだけ良くフォローするように、中気のない月を閏月とする、というような工夫をしたはずです。そこまでは良いとしましょう。しかしながら、閏月が入るということ自体が、そこで季節が1カ月ストップすることを意味します。旧暦では、1月(正月)が新年、1〜3月が春、4〜6月が夏、7〜9月が秋、10〜12月が冬です。俳句をやられる方はどなたもご存じでしょう。季節というものは元来連続的流れていくものです。それを人為的に1カ月もストップさせるとは、相当無理のある行為であり、自然にやさしくない、と言われても仕方ないでしょう。人間の出過ぎた行為のようにも思われます。
 さらにどこでストップするかというのは、中気と新月の入る日の順番という、非常に些細な事情によって決定されるのです。中気の日の翌日が新月の日であれば何事も起こらないが、いったん中気の時刻が日付をまたいで新月の日と同じになると閏月が生じる、そういうきわどいカラクリになっています。大義名分なしに暦をストップさせるわけです。暴君のようなものです。
 
 こう言うと「旧暦擁護派」から反論があるでしょう。「そんなこと言ったって、太陰太陽暦の一つの月を月齢のサイクルに合わせるためには、『閏月』をいれる他はないでしょうが」。これは、居直りとはいえ説得力があるように思われますが、そうでもありません。私なら次のように反論します。
 まず、そもそも、日本のような季節が微妙に移ろう国に太陰太陽暦を導入したこと事態が間違いだったのです。たとえば、半月しかない「夏の甲子園大会」でも開会式の頃と閉会式の頃ははっきりと夏の日差しが違います。これが毎年夏の風物詩になっていますよね。甲子園大会を旧暦でやったらどうでしょうか。毎年季節感の雰囲気が変わって混乱に陥ること必至でしょう。太陰太陽暦が日本で採用されたのはそもそもは中国の影響でしょうが、どうせ中世以前に中国と同じ太陰太陽暦を使わなくなって久しかったのですから、その時点で、日本で、太陰太陽暦を使用し続ける理由はなくなったわけです。日本人がこよなく愛する桜のお花見の時期、旧暦の暦日ならどうなりますか。来年、再来年、...のお花見は旧暦の何月何日ごろが適当でしょうか。即答できますか。即答できなくてもよろしいが、あなたは計算できますか。できなくて恥ずかしくはないのですか。花見の予定も立てられないで、どこが日本の自然に合った暦ですか。
 さらなる理由として、閏月を入れることはやむを得ないとしても、置閏法として最善の方法が採用されているとは言えないと思えることです。少なくとも別のルールを採用しても支障ありません。人間が恣意的に複数のルールからある一つを選ぶことが出来、その結果によって暦が変わるなら、その暦は自然な暦ではなく人為的な暦であるということになります。つまり、旧暦を含む太陰太陽暦では、人為的な操作によって特定の1年の長さや月の名前が決められているのです。さらに、現在の旧暦の置閏法はすでに欠陥品であり、その欠陥を正すにも特定の良い方法があるわけではありません。
 最後の理由として、ちょっと毛色の変わったことを書きます。では、逆提案として、同じ閏月を入れるなら、たとえば、冬至と冬至の間に中12カ月がある場合は、必ず「13月」を入れることにしたらどうでしょうか。そしたら複雑な置閏法も必要ないし、冬至さえ決めれば、時間均等だの角度均等だのの議論もいりません。多少なりとも素直なものになったかもしれません。そうしなかったのはなぜでしょうか。結局、暦を複雑にすることによって、かつての国の支配者や学者が権威を維持しようという企みをした結果に他ならないのではありませんか。自然にやさしいなどというのはお題目で、政治家や学者の権力欲に起因するものであるならば、何をかいわんやです。
 旧暦の欠点の追求は、今回はこのくらいにしておきましょう。
 
 次回は旧暦の周辺事項と旧暦の文化について取り上げたいと思います。
 
 
おまけその2(暦資料)
 明治三十三年暦
 図5は、明治三十三年の暦です。この暦は、旧暦と新暦が同じ比重で書かれています。左半分が「旧略暦」で右半分が「新略暦」となっています。いずれも、それぞれの月の大小、各月の1日の新暦と旧暦間の対応が書かれています。旧暦のほうでは、閏8月があることが書かれています。「ちう」(原本では,右から読む)とあるのが中気のリストで大雪から冬至までの日の旧暦での日付、「せつかわり」(「わ」は江戸かなになっています)とあるいうのが中気以外の二十四節気(小雪から霜降まで)の日付のリストです。もちろん、新暦のほうが当時の公式の暦です。国の祝祭日がいちばん上に書かれています。現在では「祝日」ですが、当時は天皇家の「祭日」を合わせて「祝祭日」としていました。また、旧暦の1月は「正月」になっていますがこれが正式です。本稿では、「正月」というのが旧1月全体(1月末日まで)を指すことがピンと来ないので旧暦でも「1月」としていますが、本当は「正月」とするのが正しいのです。
 ところで、明治33年は太陽暦では画期的な年です。何ゆえでしょうか。この年は、西暦では1900年で4で割り切れる年ですが、2月が小の月になっていますね。グレゴリオ暦の「100で割り切れて400で割り切れない年はうるう年ではない」というルールでこうなっているのですが、現在まで、日本の公式の暦でこれが適用されたのは、歴史上この年1回きりです。次は2100年です。
 
 

 
 
図5.明治三十三年略暦(新暦・旧暦)(全体図と部分図2つ)
 

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