編集後記
上原 貞治
 
 2011年は東日本大震災と原発事故の年として日本の歴史に長くとどめられることになるだろうから、3回連続になるが、今回も原発事故関連の話を書かせていただく。できれば、これで最後にしたいが、そんなことは情勢次第でわからない。
 
 今、東日本のあちこちで放射性物質の処理の問題が起こっている。ここで、「処理」という言葉が使われているが、残念ながら、放射性物質自体は「処理」できない。できることは「移動する」ことだけである。従って、放射性物質の移動の問題が起こっている、と言わなければならない。
 放射性物質の移動の最良の方法は、海に捨てることである。海に捨てるときは、そのまま捨てると違法性の問題や漁業関連から反対が出るだろうから、海底で100年程度は持つようにコンクリートか樹脂に固めて沈める。海水は放射線のよい遮蔽になるので、放射線は廃棄物のすぐ近くに封鎖することが出来る。陸に置いておくのは最悪の移動法である。なぜならば、陸に置いておくと、また陸上で拡散する可能性があるからである。拡散すると汚染されていない土地が汚染されることになる。また、地下水に入り込んだり、川に流れ込んだりするだろう。陸上に降り積もって、水とともに拡散していく放射性物質は、早く海に流れて出ていってくれることを願うしかない。それだったら、始めから海に捨てた方がよい。現在は、地中に保管するという案が主流らしい。それが海に沈める案と比べてどれほど優れているか? 放射性物質を埋めた土地の上はどうするのか。家でも建てますか。道路や鉄道を引きますか。土地を利用する際は、掘り返さなければどうしようもないでしょうが。それに埋めてもおいても長い間には必ず漏れる。また、国は中間保管施設に保管してから最終処分、と言っているが、繰り返すが放射性物質は処理できない、最終処分というのは、中間保管と同じかたちをそのまま継続するか海に捨てるかしかありえない。この問題は、5年後には方向が定まっていると思うので(解決はしていないだろうが)、ここに書き残しておくことにする。
 
 以上、無責任なことを書いてしまったが、ばらまいた責任者が責任を取らずに逃げ回っているのだから、無責任な者が何かを書いても仕方あるまい。
 
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 さて、来年2012年は、我らが「銀河鉄道」にとって記念すべき年である。創刊40周年です。長い年月のご愛顧に本当に感謝します。それに加えて、ちょっとおもしろいネタがある。
 会誌名「銀河鉄道」の本家宗家である宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」ができたのはいつかご存じですか? 「銀河鉄道の夜」は、賢治の死後に原稿が見つかった遺作なので、いつ成立したのかはわからない。実は、未完だと言われている。しかし、研究家の調査によって、だいたいの執筆時期は、1924〜1931年頃で、このあいだに、少なくとも第1稿から第4稿まで改稿されているという。改稿が長期間重ねられたが未完であったことに鑑みて、上記の期間の終わった翌年、1932年を、ひとまず作品「銀河鉄道の夜」の現在の形が確定した年と考えて、悪くはないだろう。さらにその翌年、1933年は、賢治の死去の年である。死の前年に遺作が確定したということにするのも、悪くないだろう。
 ということで、なかば無理矢理であるが、来年は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の成立80周年である。そして、その80年のちょうど半分の40年間を、我らが会誌「銀河鉄道」が本家宗家と伴に世を歩んできたことになるのである。
 今後、日本のアマチュア天文学がどういう方向に進むのか、私にはわからない。しかし、名作「銀河鉄道の夜」がその天文趣味の方向の一つを示してゆくことは今後とも変わらないと思う。そして我らが「銀河鉄道」がその半分以上の年月を伴に歩めることは、これ以上望めないほどの幸運だと私には感じられる。
 
 来年の8月号?は、40周年記念号にします。古くからの会員の皆様、ぜひぜひ、執筆をよろしくお願いしますね!
 
 
 

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