旧暦入門(第2回)
 
上原 貞治
4.「旧暦」と東洋の太陰太陽暦
 前回は、「暦法」とは何かということと、日本の「旧暦」は太陰太陽暦の一種であることをお話ししました。復習しますと、暦法というのはカレンダーの作りかたの基本的なルールのことで、(1)それぞれの年の1年の月の数と月の名前 (2)各月の日数 (3)日付の「原点」を決めること、が本質的です。それ以外のことは、本連載の議論には関係ないと言ってもいいでしょう。
 良く言えば、旧暦は東洋の太陰太陽暦の一つの最終到達点です。また、悪く言えば「燃えかす」です。古代中国に発祥した暦法が二千年以上の時を経て、その間に朝鮮・日本に伝わり、そして20世紀にすたれてしまった、その最後の残り火が旧暦なのです。従って、旧暦の暦法には、東洋の暦の共通の手法を引き継いでいる部分と、特有の部分とがあります。この2つを分けて説明するのがよろしいでしょう。
 
5.東洋太陰太陽暦の暦法
 現代の旧暦の(いまさらながらに注意ですが、旧暦というのは現代のものです。古い物が現物で残っているのではなく明治時代にリメークされています)ルーツは昔の中国(春秋戦国〜唐あたり)の暦であり、その頃に伝わった次の暦法を維持しています。それは、
 
1) 新月の日を1日とする。  これは前回にすでに触れましたね。
2) 冬至のある月を11月とする。 これは非常に重要なルールです。
3) 月の名前は、1月、2月、...12月とし、他に必要に応じて閏月(じゅんげつ)をもうける。閏月の名前は、閏月の前の月の名の前に「閏」をつける。
 つまり、ある年に閏月があり、その閏月の前の月の名が「4月」だと、閏月は「閏4月」となります。もちろん、4月と閏4月は、別の月です。
 
と、いうことです。
 これだけのルールで、カレンダーの半分以上が決定できます。まず、11月は完全に決まります。何らかの方法で新月の日と冬至の日が決定できるのならば、ある新月の日があり、そして、その次の新月の日までのあいだに冬至の日があれば、前者の新月の日が「11月1日」です。そして、後者の新月の日は、11月ではなく、その次の月(具体的には、「12月1日」か「閏11月1日」のどちらか)ということになります。
 各月の日数はどうなるでしょうか。新月から新月までの期間を「朔望月」(さくぼうげつ)と呼び、それは約29.53日です。これは平均値で、実際の新月から新月までの時間は、そのつど多少の変動をします。その変動幅は±0.3日ほどですから、新月から新月までの日数は、29日以上30日未満です。したがって、太陰太陽暦の月の日数は29日か30日のどちらかです。29日ある月を「小の月」、30日ある月を「大の月」と呼びます。どちらか決まらないのは不便ですが、現行の太陽暦で月の長さが、28,29,30,31日の4通りにばらついているのと比べるとはるかにマシです。ただし、問題は、月の名前と月の大小が年によって違う、たとえば1月が大の月とか決まっておらず、それも特に規則性もなく年によって変化する、ということです。これでは、相当不便です。
 次に、ある年の冬至の日から、その次の冬至の日まで、何日あるかを考えてみましょう。もちろん、それはちょうど1年で、それは、正確には「太陽年」と呼ばれています。太陽年も観測によって決定されるべきもので、細かいことを言えば毎年変化するかもしれませんからずっと観測を続ける必要があります(実際には、ほとんど変化しません)。太陽年の長さは、観測史上ほぼ一定していて、365.2422日です。
 さて、冬至から冬至までのあいだに、新月が何回あるでしょうか。簡単な計算でわかるように、365.2422÷29.53=12.37 くらいになりますから、12回あるのが普通で、13回になることもありえます。11回や14回になることはありえません。従って、冬至の以前で直近の新月の日が11月1日ですから、ある年の11月1日から次の年の11月1日のあいだに、新月の日つまり「1日」(「朔日」あるいは「ついたち」)が11回ある時と12回ある時があることになるのです。
 ここで、月に名前をつけましょう。11回の時は問題ありません。それぞれの1日の日を擁する月の名前は、順に、12月、1月(ここで年が変わる)、2月、3月、...、10月となります。これですめば暦法というものは簡単なものですが、どっこい12回の年があるのでそうはいかないのです。図1を見て下さい。
 12回ある場合は、「閏月」をどこかに入れます。しかし、どこに入れるかは簡単には決められないのです。閏月は必ず年末に入れるということにしておけば簡単なのですが、そうではありません。閏1月も、閏2月も、...閏11月も、閏12月もあってよいのです。もちろんどれかに決定するわけです。つまり、太陰太陽暦の最大の問題は、「閏月をどこに入れるか」です。この問題は難問で、江戸時代にもルールが見直されましたが、現代に至るまで本当の解決を見ていません。
 もちろん、ルールなんですから、そんなことは適当に決めてしまえばいいのです。また、閏月ではなく、代わりに年末に「13月」を入れることにしておいたら難しい問題はおこらなかったでしょう。しかし、現実の旧暦はそうはなっておらず、複雑な規則を定めて苦労して苦労して閏月を決定するのです。この役に立たないがんばりこそ、旧暦の似非合理主義の象徴なのであります。そもそも連載2回めになって、旧暦の最大の特徴である閏月の決め方の説明の緒にさえつけないということが、この事情を良く表しているのではないでしょうか。
 
 
  図1:(上段)赤い線を冬至として、冬至と冬至のあいだに12回の新月(青い線)がある場合は、その間の月の名前はすべて決定する(黒い太字の通り)。(下段)冬至と冬至のあいだに13回の新月がある場合は、どの月が閏月になるかを決めないと11月以外の月の名前は確定しない。(ここでは「閏4月」になると仮定したが、閏月はどこに入る場合もありうる)
 
 
 
6.新月の日、冬至の日の決め方
 さて、閏月の決め方の説明は長くなるので、次回送りにしまして(あぁ)、ここでは、「新月の日」と「冬至の日」の決め方について説明します。これは当たり前で簡単なことのように見えて、実は大変重要で、「暦法の精神」に触れる問題を含んでいます。
 まず、定義ですが、「新月」は、太陽と月が同じ方向に見える時を指します。しかし、こんないい加減な定義ではいけません。正確に定義しないといけないのです。いい加減な定義だと、定義の解釈や計算の誤差で、太陰太陽暦の日付が定まりません。ある日が、11月1日なのか、10月30日なのか、決められなくなります。現代の定義では、新月は、太陽の黄経と月の黄経が等しくなる瞬間と定義されています。
 ここで「黄経」の定義が必要ですが、黄経とは星空をちりばめた天球に引かれた座標だと思って下さい。その赤道に対応するのが「黄道」で、これは太陽の星空を背景にした通り道です。太陽は、黄道を太陽年(365.2422日)で1周します(本当は「歳差」があるので、正確にはこの時間で星空を1周するわけではないのですが、それは「新月」の定義には関係ないので、ここでは大目に見て下さい)。また、月は、地球を廻る公転周期である27.32日で、黄道のそばを1周します(月の通り道の「白道」は黄道の近くにありますが、最大5度ほどずれたところにあります)。従って、月のほうが速いので、月は太陽に追いつき、追い越すのを繰り返します。この追い越す瞬間が「新月」です。正確には、黄道を横軸とし、経線がどこでも垂直になっている世界地図のようなものを考えて(メルカトル図法の世界地図で赤道を黄道に置き換えて下さい)、月が太陽の真上か真下に来た時が、その「太陽の黄経と月の黄経が等しくなる瞬間」です。従って、新月は瞬間的な現象ですが、その瞬間が起こる日を「新月の日」、つまり各月の「1日」とします。
 次に、冬至の日ですが、冬至の日は「一年でいちばん昼間の短い日」と定義されています。これはまあ正しい定義ですが、ちょっと回りくどい言い方です。実際には、冬至も瞬間現象であり、これは、太陽の「赤緯」がいちばん南に寄る日です。赤緯というのは地球の緯度を天球に投影した座標です。現実的には、北半球で太陽の南中高度が一番低くなる日と言ってもいいでしょうが、冬至は瞬間なので南中時刻に冬至になるわけではありません。冬至の瞬間を含む日が「冬至の日」です。旧暦では、冬至の日はかならず11月にあります(上に述べたルールから当然です)。
 太陽と月は、地球からの距離が大きく違いますから、どこから見て同じ方向か、という疑問が起こりますね。現代では、それは地球の中心から見てということです。地球がまるいことを知らなかった古代にはそういう定義はありませんでしたが、そのころは、そもそも天体の運動の正確な計算はできませんでしたので、その程度の誤差のある計算をしていました。
 そう、計算! 計算ができないと太陰太陽暦は作れません。暦法に用いる新月、冬至の瞬間は、観測して決めるのではありません。計算で決めるのです。未来の日付が書かれていなければカレンダーは役に立ちません。冬至の日が過ぎてから、冬至の日が決まるのではカレンダーに応用できません。三日月を見て「一昨日が『1日』でした」などというふざけたことはありえないのです。したがって、太陰太陽暦の暦法は、新月の瞬間と冬至の瞬間の「予測計算」の方法を内蔵することになります。この計算法は具体的な計算式と必要な定数表を含むものです。そうでないと、暦の日付が明確に決定できないのです。
 
7.日付の決定に関わるやや細かい問題(1)
 今回の最後に、新月の日、冬至の日を決めるときに問題になる、やや細かい問題について、触れておきます。本当に私の性格はくどいですが、細かい問題だからどうでもよい、という態度は、他のことはともかくとして、こと暦法においては禁物です。予備校の宣伝ではありませんが、定義があいまいであったり、基礎の基礎をおさえていないと、ある日が、10月30日か11月1日か、はたまた、12月1日か決まらなくなることを何度も何度も繰り返しておきます。
 1つめは標準時の問題です。新月、冬至の瞬間は、地球の中心から見て定義すれば万国共通ですが、新月の日、冬至の日は、そうではありません。日付の変わる瞬間(夜中の0時)が、国によってあるいは標準時によって違うので、これを気にしないといけません。新月は世界同時に起こっても、日本と外国でそのときの日付が違うことが普通に起こります。もちろん、日本の暦には日本時間を用いるべきですが、中国の暦法をそのまま借りてくると、この点があいまいになり、たとえば、北京時間で新月の日を決めると、日本時間を使ったときとは違う結果になることがあります。この場合、日本時間を捨てて北京時間を採用し、それを日本の暦にしますと、外国追随と批判されることになります。かといって日本時間を採用しますと、中国の暦法を使っているにもかかわらず、中国の暦と日本の暦がずれることが起こりえます。これは外交の障壁となりえます。ですから、太陰太陽暦を国の暦にする際は、外国の暦を「丸呑み」するか、我が国独自の暦にするか、という面倒な決断をせまられることになります。日本の太陰太陽暦は、最初は中国の暦を使っていましたが、中国の王朝の交替や政策転換により日本独自の暦に変化しました。標準時については、江戸時代までは都のあった京都標準時をつかっていましたが、現代の旧暦は、日本標準時(すなわち「明石標準時」)を使っています。中国の旧暦と違うことが起こりえます。
 次に、暦法の計算の誤りがあった場合についてです。暦法の計算による新月や冬至の計算は、あくまでも「計算による予測」ですから、必ず誤差があります。その誤差が1日よりずっと小さいとしても、運悪くその誤差が日付の変わり目をまたぐと、新月の日、冬至の日を間違ってしまいます。これは、誤差が小さくとも現実に起こりうる危険です。たとえ、新月の瞬間の計算誤差が±1秒であったとしても、その計算結果が23時59.6秒になると、±1秒の誤差を思い出したとたんに新月の日を間違うことを覚悟しないといけません。そんなことは滅多にない、と言うかもしれません。たしかに、滅多にないでしょうが、何百年間暦を使い続けても起こらないと言えますか!
 でも、それでも問題はないともいえます。暦は人間が決める人間社会の約束事です。暦法は自然法則ではなく、国の法律のようなものです。万一間違っていても、発表されたカレンダーが正しいのです。本当の新月が2月2日になっていてもかまわないじゃないか。多少の誤差があっても、よしや計算間違いがみつかっても、一度公表したカレンダーを変更することはありません。すでに世間に出回っているカレンダーを優先することに誰しも異存はないでしょう。開き直ればよいのです。計算誤差や計算間違いがあっても、結果的には許されるのです。
 
8.日付の決定に関わるやや細かい問題(2)
 でも、暦の計算が間違えていた場合に、まったく問題がないわけではありません。1つの問題は日食です。日食は昼間に起こって観測できるものですが、新月の瞬間の前後数時間しか起こらないものです。従って、日食は必ず新月の日に起こるはずです。日食は簡単に観察できますが、それが「1日」ではなく「2日」やら「30日」に見えれば、それが見えた瞬間に暦の計算がかなり間違っていたことが、日食の白日の元にさらされてしまいます。この間違いは天文学に素人の国民でも容易に指摘できるところです。プロはだれしも素人にアラを指摘されることだけはどうしても避けたいところです。ごく古い時代はともかく、中世以降は、月の公転周期の変動が考慮されて、日食が1日以外に起こるという不祥事を避けるだけの精度は維持されました。
 また、別の問題として、同一の正式の暦法の計算による暦の作製を複数の箇所で行い、それらの結果が合わなかったとします。その場合は、お互いに相手方の計算がまちがっている、と罵り合うことになり、国民はどちらが正しいかわからず、全体として国の権威が落ちることになります。こういうことを避けるためには、暦の計算法を簡便明瞭にして公表し、誰でも計算できるようにしておくか(そうすれば、どちらが計算間違いをしたか明瞭に判明するし、チェック機能も働く)、もしくは計算法を国家秘密にしておいて、特定の「公務員」しか計算できないようにしておけばよろしい。後者の場合は、公務員が計算を間違えたとしても、暦法そのものが公開されていないので、他の誰もその間違いを証明できません。間違っていると言われたら、いやこれで正しい、間違っている証拠があるか、と言い張ればよいのです。暦法が簡単であれば前者を、複雑であれば後者をとるのが良い選択でしょう。日本では、古くは前者でしたが、江戸時代に後者となりました。いくら公表したカレンダーが最終的に正しいとしても、他人から計算間違いを指摘されるのは癪に障ることですから、秘密にしておくのが無難です。
 なお、現代の旧暦は、封建時代ではないし国が定めたものでもない(完全に民間の慣習による)ので、国家秘密ではなく、前者を採用しています(具体的なことは次回以降に説明します)。
 このように、太陰太陽暦は、実在の天体の動きを相手にした計算に依っているので、元来、計算間違いに起因するリスクを負っているのです。これにくらべると天文学の知識がゼロの子どもでも作ることのできる現行の太陽暦(グレゴレオ暦)がなんと単純で脳天気なものに思えてくることでしょうか。
 今回はここまでとし、次回に閏月の決定法について説明します。
 
 
(つづく)
 
 

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