編集後記
上原 貞治
 
 
まずは、今回の東日本大震災で被害を受けられたすべての方にお見舞い申し上げます。
  また、私のところにお見舞いを下さった方々に深くお礼を申し上げます。
 
 今回の震災の被害からの復興のために、自分が何か役に立てることがないか考えてみました。一つ考えついたのは、自分の持っている放射線についての知識を少しでも広めることでした。これには、他の方のブログのコメント欄をお借りして情報を書かせていただきました。
 それから、もう一つ、今思っていることがあります。私の住む茨城県は被災地なのですが、地震直後は東北の被災地ほど報道がされなかったので、全国的には被害の様子があまり知られていないと思うのです。ですから、ここで、津波の被害を受けていない茨城県つくば市付近の地震後の様子を書きたいと思います。つくば市の被害は、震度6弱であった東北から関東の内陸の広い地域で平均くらいだと思っています。建物の部分的被害は大きかったので、他地域の方への参考にもなり、今後の防災にも役立つなら幸いです。なお、茨城県でも、津波や落下物で命を落とされた方、津波の大きな被害を被ったところ、原発事故で農漁業に大打撃を受けた方、震動や地盤沈下で家を失った方、1カ月にわたって水道が復旧しなかった地域の方、が、決して少なくないことを始めに申し述べておきます。私が以下に書くのは、あくまでも平均的なレベルの被害についてです。
 
 私の住んでいるところは、茨城県つくば市の中心部ですが、自分の感じたところ、肝をつぶすほどの揺れではありませんでした。最大震度の時に、階段を下りて外に避難ができました。それでも震度6弱でした。これは、地震が3分ほどかけてだんだん強くなったので、身体が慣れてバランスを損なうことがなかったからだと思っています。揺れが強くなる前に安全なところに身を寄せる時間があったことが、神戸の地震と比べて揺れによる人的被害が少なかったことの主要因でしょう。
 物的被害はかなりありました。今回の地震では、重い棚が倒れたりすることはあまりないように思いますが、棚の中の物が落ちたり、特に重量物が横に20cmも移動することはザラに起こっていたようです。家具に突っ張りや滑り止めなど耐震対策が施されていたことがプラスになりました。(茨城県では、近年に震度5が2回起こっていました)強い地震の時には、重量物からは離れることです。倒れるのを阻止できても、打撲をしたり壁とのあいだに挟まれるとえらいことになります。重いから動かないということではありません。地震の揺れでは、10kgの物も1000トンのものも同じだけ動くわけです。それから、屋根や天井、ブロック塀などは地震に弱く、つくば市だけでも千数百軒の家屋や店舗で部分損壊が出ました。建物の部分損壊は、特に茨城県が東北三県より飛び抜けて多いです。これは、東北内陸に比べて関東平野の地盤が弱いためだと思います。
 
 地震の後、短時間だけ停電をしました。私の勤務先の市北部では、少し長い停電があり、帰宅途中に信号が消えていて、ラッシュの大通りを右折することが出来ませんでした。うちの付近ではすでに電気は復旧していました。水道は断水していました。その後、共用の水道は出ることもありましたが、水道の完全復旧に4日ほどかかりました。当夜、水を買いに行くと、店はおおかた閉まっており(商品棚が崩れたため)、開いている店でも水は売り切れです。それで、自動販売機を10台以上回って小さめのボトルを買い集めました。すでに水道が使えないのですからこれは悪評高い「買いだめ」ではないですよ。
 大地震の2日後の日曜日には貴重な経験だと思って給水に並びました。コンビニでの光景は驚くべきものでした。ペットボトルの飲料が、水だけでなくお茶もコーラもすべて無くなっています。缶のコーヒーとビールだけ山ほど売れ残っていました。商品として、社会の財産として、何が重要かということを思い知らされたような気がしました。でも、水道が完全復旧すると、家ではほぼもとの生活に戻りました。人間が生きる上で、いちばん大切なのは水ですね。いうまでもないことです。その後、宅配便の復旧に1週間、ガソリン供給の復旧に10日ほどかかりましたが、私はこれらは無くとも何とかしのげました。ただ、4月はじめから進学で単身引っ越しをする家族がいたので、その準備には少なからぬ苦労をしました。今は、ビールが品薄のようで、銘柄が選べず困っています(あぁ)。
 
  現在の日本では、地震で建物が半壊あるいは全壊すれば公的な補償がもらえます。ところが、家が傾いたとか、商売道具が壊れたのではお金はもらえません。今回の地震では、遠目には建物はちゃんと建っています。しかし、近くに寄ってみますと、ブロック塀は倒れ、玄関前の舗道にはひびが入り、屋根瓦はずれ、そして、外からは決して見えませんが、内部では、重量物がずれ、生産ラインがストップをし、倉庫は壊れていなくても、倉庫の建物より値段の高い商品が倉庫の中で商品価値を失っているかもしれません。そういうことが、岩手県、宮城県、福島県、山形県、茨城県、栃木県、千葉県...と数百万の建物のそれぞれで人知れず起こっているはずです。そして、それについて、誰も声高には語りません。日本の財産の補償のあり方を考え直さないといけないと感じます。
 
 その後、余震と原発事故の影響が続き現在に至っております。余震は関連地震も含みますが、茨城県は、近隣のすべての地震でかなり揺れます。東北沖、茨城沖、千葉沖、福島内陸、茨城北部内陸、茨城南西部内陸、長野、新潟、すべての震源で震度3〜5になりえます。そして、つくば市は、4月下旬になっても本震以来、震度3以上の余震にほぼ毎日のように見舞われています。地震で目を覚まさない夜はないくらいです。さすがにこれにはまいってしまって、4月に入ってから、地震酔いと神経衰弱をきたしてしまいました。でも、今は腹をくくることで少しはマシになりました。
 
 原発事故については、160km離れていますので、大丈夫だと思っていますが、放射線レベルは屋外のほうが高くなっています。3月に職場でGMサーベイメータを借りて外で測定しますと、以前の3倍くらいありました。これは私には感動するレベルではありますがまあ戦々恐々となるほどではありません。それでも、農業をしている人が打撃を受けていることを考えると、日本の保守政治家、敢えて書かせていただくなら、農林業関係者の支持が厚い自民党所属の茨城県選出国会議員(この前の選挙で元職になってしまった人が多いですが)が、ふだんから「食と大地を守る」と立派なことを言っておりながら、なぜこういうときに原子力政策に関して何も聞こえてこないのか、と疑問に思います。現在では、茨城県南部の野外放射線レベルは、平時の2倍以下になり、まず健康への問題はなくなりました。これはあくまでも県南部の話で、茨城県北部は、また別です。
 
 今後、原発から新たな放射性物質の爆発的発散がないことを願いますが、私は、原発周辺にある放射性物質がある程度散逸されないと事態は沈静化しないと思いますので、今後数年間にわたって東日本にばらまかれる積算量はばかにならないと思います。原発事故への対応には、安全安心をうたう日本、高い技術力の日本の長所がまったく感じられません。どなたかがこれを帳消しにする悪行を働いているのでしょう。
 
  最後に、福知山市西中筋地区に絡めた話を書きます。福島第一原発から高い放射線によって計画的退避地域に指定された福島県飯舘村の中心部までの距離は39kmです。これは、関西電力高浜原発から福知山市石原までの距離と正確に同じです。また、福知山市旧大江町地域の有路には、30km圏内のところもあります。飯舘村は震災以前より原子力発電所立地地域に入っていました。しかし、いま福知山市のホームページを見ると、原子力のゲの字も見つかりません。福知山市は、原子力に関して何の対策もしていなければ、国からも関電からも何の補助金ももらっていないようです。京都府も原子力発電所の立地地域として綾部市と舞鶴市には触れていますが、福知山市は範囲外です(府庁の危機管理・防災課と自治振興課の両方に電話で問い合わせましたので間違いありません)。これはどういうことでしょうか。
 今、福島県全体が実被害と風評被害に合っています。農作物の出荷制限は千葉県にまで及んでいます。関西と東北では地域のスケールが違っていて、福井県、京都府、滋賀県の面積を合計しても福島県の面積のほうが広いですから、原発銀座といわれる若狭湾で原発事故が起これば、福井県、京都府、滋賀県全体が汚染地域ということになりかねず、福知山市はその中でもかなり中心に近いところになります。
 原発に賛成するか反対するかは国民全体が広く議論すべき問題ですが、福知山に住んでいる人、福知山に家族や近縁者のある方、福知山市に土地を持つ人は、故郷の子どもたちや先祖伝来の土地を守るために行政がもっと原発と関わりを持つよう市や府に訴えるべきであると思います。
 

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