旧暦入門(第1回)
 
上原 貞治
1.序
 今回から数回にわたって「旧暦入門」という連載をすることにしました。ここでいう「旧暦」というのは、カレンダーや日めくりの毎日の日付に添えて書かれている旧暦のことです。近年、日本の伝統文化が見直されて、旧暦のファンが増えているようです。興味を持っておられる方もいらっしゃるのではないかと思います。
 では、私の連載の趣旨が「旧暦はいいもので、最近見直されていますから、ぜひ学んで親しんで下さい」ということかといいますと、ぜんぜんそうではありません。その逆です。旧暦というのは役には立たないものです。旧暦のファンの人が宣伝している内容はおおむね誤りです。役に立つと言っていてもそれはほとんど迷信か神頼みのたぐいです。旧暦に親しむことは、自然を学ぶことでも自然に親しむことでもありません。これが自然を学ぶことだと思っている人は、多くの場合、旧暦が何であるか、自然が何であるかを正しく理解していないのではないかと思います。(彼らは、太陽ではなく月が地球の気候や生命の源泉であるとでも信じているのでしょうか!)
 旧暦は、現在ではまったく趣味の世界です。例えれば羽織袴を着てちょんまげを結って街を歩いたり、人力車の商売を始めるようなものです。趣味ですから、自分で勝手に楽しむのは自由だし、歴史の勉強にとしてはそれなりの価値のあることですが、良いことだからぜひ始めようと他人様に勧めるようなものではありません。
 では、私はなぜこのような連載を始めるのか、といいますと、...まあ、天文に関係する趣味の一環として書いておいてもいいかな、という程度のものです。読んで下さるのは本当に有り難いですが、実用の役には立ちませんよ。
 
2.暦とは何か
 「旧暦」の説明をする前に、暦(こよみ)とは何か、ということを考えないといけません。現行の太陽暦(グレゴリオ暦)に慣れている人からすると、「暦とはカレンダーのことだろう」ということになるでしょう。これは正しい答えです。暦というのは基本的に我々のよく知っているカレンダーのことです。
 では、太陽暦のカレンダーとはどういうものか、と聞かれると、これは特に深く考えることはないでしょう。カレンダーとはただ月日の日付の並んだものです。そのルールは、簡単に説明できます。つまり、1年は365日だが、4年に1度、西暦が4で割り切れる年はうるう年で、366日になる。ただし、100で割り切れて400で割り切れない年はうるう年にならない。1年は12カ月あり、2月は28日(うるう年は29日)、4月、6月、9月、11月は30日、他の月は31日ある。ということです。だいたいこれでカレンダーの作り方のルールになります。このようなルールを暦法といいます。太陽暦のカレンダーは、以上の知識で小学生でも作ることが出来ます。
 しかし、現代人がカレンダーを見るときに期待するものはこういうことではなく、曜日とか祝日、大安・仏滅などの情報を求めているではないでしょうか。ところが、実は、曜日と祝日は暦法とはそれほど関係ありません。曜日は、日月火水木金土が単純に循環しているだけですから、年月日の決め方と無関係ですし、別にルールというほどの規則ではありません。祝日はその決め方が日付や曜日と関係しますが、これは日本の法律で独立に定められていて、それがグレゴリオ暦の暦法に響くことはありません。それが証拠に、法律が変わって、祝日が新たに(または臨時に)新設されようが、ある祝日が廃止されようが、カレンダーの日付の決め方に影響する心配はまったくないのです。ただ、学校や勤務先や役所の休みの日が変わるだけのことです(それが大問題だという人も多いでしょうが)。最後の大安・仏滅、これは正式には六曜(俗に「六輝」)と呼ばれているもので、これだけは特殊で、旧暦の日付によって決められています。これはこの連載のあとのほうで説明します。
 「いやいや、暦というのは、元来は、天文や気象を知るため、つまり、日食や月食、春分や冬至、台風や初霜の季節をあらかじめ知るためのものなんじゃよ」という人がいるかもしれません。これは高尚なご意見で耳を傾ける価値があるものですが、ここではこの考えは採らないことにします。ここでいう「暦法」は、カレンダーの作り方という人間が(恣意的に)定めたルールのことです。一方、日食や台風の季節は、自然現象そのものですから、これは自然法則の発見や予報の高精度化の問題になります。カレンダーの作り方や暦法がどうであれ、日食は起こるべき日に起こり、台風は来るべき日に来ます。暦法が変わっても、その日は変わりません。人間は、それがいつであるかを予測するだけです。技術的理由により予報の計算法と暦法はまったく関係がないわけではありませんが、その関係は本質的ではありません。
 
3.暦法の根幹
 それでは、ここで一応のまとめとして、暦法として何が重要かということをリストしておきましょう。これをしておかないと、「旧暦」のルールを示すことができませんし、議論をすることもできません。それは次の3点です。
 
・それぞれの年の1年の月の数 と 月の名前
・各月の日数
 
 以上2点によって、その年の日数が決まります。「旧暦」の規則は複雑ですが、本質的に決めないといけないことはこの2つだけです。そして、これに加えて忘れてはいけないのが、
 
・「原点」を決めること
です。
 
 「原点」とはある日の日付を定義することです。「今日は何年何月何日である」(今日でなくて別の日でもよろしいが)ということが決定できれば、原点が定義され、あとは、暦法で、その1日前、1日後、2日前、2日後、...の日付が決まるというわけです。以上の状況は、現行の太陽暦と全く同じです。
 旧暦では、これに加えて、「暦注」として各年月日にいろいろな注釈がつきますが、その多くは、暦法には本質的ではなく、ただの占いのようなものです。占いは、元来、その日の個人や人間社会の運勢の善し悪しを議論するものですから、暦法の根幹を揺るがすものではありません。従って、ここでは、暦注の説明は、暦法に直接関係するものだけに留めることにします。
 
4.「太陰暦」とは?
 旧暦は、(広い意味での)太陰暦の一種です。天体である月は、約30日の周期で満ち欠けを繰り返し、新月が満月になりまた新月に戻ります。いうまでもなくこれが「1カ月」の起源であり、また、東洋(古代中国が発祥)の暦は、新月の日を各月の1日と定める伝統になっていました。現代の旧暦はこの伝統に基づいています。そういう意味では、古代中国から基本は変わっていないのです。では、旧暦は、昔ながらの素朴な暦か、というと、どっこいそうではありません。
 大問題があります。新月の日を必ず1日とし、次の新月の日になると月を改めてまたそれを1日とする、これは簡単明瞭なルールでありここに問題はありません。新月の日を定義したり計算したりするところに問題はありますが、それは純粋にテクニカルな問題であって、制度上の困難ではありません。最大の問題は「月の名前」をどうするかということにあります。
 月の満ち欠けの周期である「朔望月」はおよそ29.5日です。つまり、新月を各月の1日とするならば、29日か30日ごとに月を改めればよろしい。ある月が1月なら、次は2月、その次は3月、...としていけば、問題なく、いずれ12月に到達します。問題は、その次です。次は1月にするべきでしょうか。
 12月の次を無条件に1月にしてここで新年を迎えることにするならば、1年は365日ではなく、およそ354日になってしまいます。これを3年続けると、月の名前と季節が1月ずれてしまいます。わずか12年ほどで春夏秋冬の季節と月の対応が完全にひと季節ずれてしまいます。これでは日常生活にあまりに不便でしょう。農業や国の経済政策に打撃を与えることは必至です。昔の人もこの事態は避けるべきだと考えました。
 従って、太陰暦の改良として、月の名前のつけ方を工夫することによって、月の名前と季節が大幅にずれないようにする方式が採用されました。これが、「太陰太陽暦」です。旧暦もその一種です。太陰太陽暦の暦法の最重要点は、月の名前のつけ方にあります。これには様々な流儀があり、「旧暦」は、日本の種々の暦法の中で、もっとも新しい太陰太陽暦である、というわけです。そこで工夫されたのは、新月の日を1日とするというルールをキープしつつ、月と季節とのずれを常に最小限にしたい、という考えでした。
 
 ということで、次回は、「旧暦」の成立に至る歴史から始めることにします。
 
(つづく)
 
 

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