編集後記
                                発刊部(S.U)
 
◎ 今号はWWW版第33号であるが、「銀河鉄道」の「33号」と言えば特別の感慨がある。それは、西中筋天文同好会のメンバーが中学生・高校生であったときの「銀河鉄道」印刷版の第1期(Vol.1)の発行が33号まで続いたからである。その印刷版33号は同好会の休会直前の記念号で、会員のみでなく友人、先生、そして特別な方からも広く原稿をいただいたものであった。今号はWWW版としてついにこの33号に追いついてしまった。何か神聖な思い出を揺るがしているような気持ちさえする。しかし、我々は生ある限り前進せねばならない。
 西中筋天文同好会会誌「銀河鉄道」は連綿と続いています。今後ともよろしくお願いいたします。
 
◎ さて、ただいま世を挙げての「はやぶさ」ブームなので、時事ネタとしてこれを取り上げさせていただく。いやあ、すごいブームである。日本宇宙開発史上最高ではないだろうか。この「苦労をして帰ってきた」というのが日本人の心を打つのであろう。人気の浪曲「岸壁の母」(古!)ではないが、終戦後の中国大陸やシベリアからの引き上げと共通する心境があるのかもしれない。
 
 JAXAによって7月末から「はやぶさ」カプセルの一般展示が始まった。かくいう私もJAXA筑波宇宙センターに見学に行ってきたので、以下はそのレポートである。
 
 最初の公開があったJAXA宇宙科学研のある神奈川県相模原市の市立博物館では2日間で3万人の人出であったという。それで、そうとう身構えてしまい、つくばでの初日の8月2日に午後いっぱい仕事の休みをとった。ここで考えたのは、人間の心理として月曜の朝一番は混むだろうが昼休みはそれほどでもあるまい、ということであった。だから、何とか昼食の時間帯を狙え、ということで、午後1時少し前にJAXA筑波宇宙センターに、夏休み中の息子と二人で自転車でかけこんだ。私のうちからは10分くらいしかかからない。
 
 自転車で行ったは良いが、いちばん心配したのは駐輪場所を見つけられるかということであった。と、門のすぐ外にあるいちばん目立つ駐輪場にまだ空きがある。なんだ、ぜんぜん混んでいないじゃん。それで、炎天下に並ぶ必要もなく、建物に入ってから10分ほど並ぶと早々と「はやぶさ」カプセルの実物を見ることが出来た。建物内部に展示場まで通路を長めにとって炎天下に並ばなくてもいいようにしてくださったJAXA筑波の配慮に感謝!
 
 さて、カプセルの実物であるが、はっきり言って、きれいで、特に悲惨そうな外見もなく、アルミ製の手作り品のそのへんの実験室のロッカーにしばらく放置されていたありふれたものにしか見えなかった。これが60億キロメートルを旅して苦労して帰ってきて、現在日本中の人々の心を響かせているものである、と感じるには相当の想像力を要した。そして、私の想像力の欠如により、歩きながら2〜3分見る間にそれを実感することはできなかった。まあ、これも一つの体験というものである。
 
 「はやぶさ」カプセルは写真撮影が禁じられていたのでお見せできないが、下の2つの写真は、展示場の建物外観と、その近くの新展示室にあった「はやぶさ」本体の模型である。一般公開開始前日にあった天皇皇后ご視察のニュース写真によると、その時は帰還カプセルも新展示室におかれていたようである。


 
写真1:左から2つめの奥の方にある建物が「はやぶさ」カプセルの展示されていたところ。もっと近くから撮影したかったが、出口のところにいた警備員さんに許可してもらえなかった。右端にあるのが展示場への入り口で、外部にまで行列は伸びていない。左端のかまぼこ形の建物は、最近オープンした新展示室。


 
写真2:新展示室に飾られている(常設展示か?)「はやぶさ」本体の模型。帰還カプセル(もちろん模型の)はこの写真の背面にあたるところに取り付けられているらしく簡単に見られないのが残念である。ほんものの「はやぶさ」本体は帰還時にオーストラリアで燃え尽きてしまった。

  
 午後いっぱい休みを取る必要はぜんぜん無く、昼休みの延長で対応できるくらいの時間で見学は終わってしまった。それでも、 つくばでの人出はおおむね順調だったようで、平日ばかりの5日間で28,000人あまりであったというから、午前中を中心に混んでいたのであろう。それはそれでよかったし、すいていた時に訪問できた私もラッキーでした。編集後記のおまけ程度のレポートを終わる。
 

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