失われたポンス・ガンバール彗星 (下)
 
                        上原 貞治
 
7.「長谷川・中野解」について
 今回は、前回紹介した長谷川一郎氏と中野主一氏の論文(PASJ 47, 699 (1995))に従って、失われた大物周期彗星であるポンス・ガンバール彗星の出現状況を検討してみる。基本的には、この論文は、1110年の出現と1827年の出現が同一の彗星であると仮定し、その間の717年間の軌跡がつながって、かつ、2回の出現時の観測と矛盾しないように、軌道の決定を行ったものである。その結果では、彗星はこの717年の間に軌道を11回周回したことになっている。この11回が単なる仮定なのか、それとも最適解なのか、また、最適解だとしてどのような条件を置いたのか、他の解はないのか、は論文には書かれていない。いずれにしても、著者が11周が最善の解であると判断したのだろうから、これを「長谷川・中野解」と呼ぶことにしよう。
 実は、前回紹介した、Volker Kastenの研究によると、詳しい計算をしても周期の解は一通りには定まらないという。そこでは、「長谷川・中野解」は多くの可能性のうちの一つに過ぎないとされている。Kastenの計算結果がどれほど精度があるかはわからないし、その計算にも問題があると思うが(誤差の大きいパラメータとして離心率だけを変化させているが、これでは観測を再現しない恐れがある。測定との一致に気を配るためにせめて離心率と近日点距離をセットで変化させるべきであろう)、解が複数あるということは正しいと思われる。
 
8.「長谷川・中野解」による過去の出現状況
 「長谷川・中野解」によると、ポンス・ガンバール彗星の周期は約65年である。ただし、惑星の引力によって周期が周回ごとに多少変化するので、正確に等間隔で近日点に戻ってくるわけではない。この周期は、初めて周期を計算したS.Oguraの周期に近いものになっている。長谷川・中野の論文に、1110年以前および1827年以後2022年にいたる彗星回帰時の軌道と近日点通過時の表が載っている。そして、歴史的観測記録との比較がされている。残念ながら、それを見ても、過去にこの彗星が観測されたと思われるのは、1110年と1827年のほかは、1239年にそれらしい観測があるだけである。これだけでは、長谷川・中野解の信頼性を上げるというほどではない。
 最大の問題は、「長谷川・中野解」によるとこの彗星は1892年に好条件で回帰していることである。近日点通過日は、1827年のそれと大きくは違わない6月12日と計算されている。この場合、後で述べるように彗星はかなり明るくなったはずで、それにもかかわらず観測されていないということはかなり具合が悪い。その時は、彗星が何らかの理由で暗かったとか、世界的に天気が悪かったとかそういう説明をすれば逃げられるかもしれない。しかし、暗かったのだとすれば、次回の2022年の回帰時に予想通り明るくなるかはなはだ心許ない事態となる。(調べてみると、1892年のその季節には別の彗星の観測が何回かなされていて特に天気が悪かった様子はない)。
 
9.回帰時の予想(1)−−1月31日に近日点を通る場合 
  「長谷川・中野解」によると、次回の近日点通過は2022年1月31日に起こることになっている。これが正しいとして、その出現状況を予想してみよう。なお、この状況は2022年という年には影響されないので、何年であろうが、1月31日ごろにこの彗星が近日点に帰ってくるのであれば、見える状況は似たようなものである。
 ポンス・ガンバール彗星は、逆行の軌道、すなわち地球の公転方向とは逆に太陽を周回している。そして、地球の軌道面の南側から北側に移るあたりで、近日点を通過する。よって、観測者が南半球にいる場合と北半球にいる場合でかなり状況が異なる。ここでは、観測者が北半球の日本の緯度あたりにいるとして話をすすめる。そして、小望遠鏡で見られる9等より明るい時期のみを対象にする。
 さて、1月31日に近日点を通る場合は、北半球では条件が悪く、3月初めまで観測が困難である。その後、彗星は暗くなるいっぽうであるが、それでも、3月から4月にかけて、8〜9等で明け方の東の空に観望できる。10cm以上の口径の望遠鏡があれば観測可能であろう。もちろんこれは、この彗星が1827年当時と比べて大きくは劣化していないと仮定した場合の話である。
 
10. 回帰時の予想(2)−−6月12日に近日点を通る場合
  次に、条件のよい観測の出来る場合について予想してみよう。6月12日は、上に書いたように、「長谷川・中野解」の1892年の近日点通過に対応する。 この状況はやはり1892年という年には影響されないので、何年であろうが、6月12日ごろにこの彗星が近日点に帰ってくるのであれば、見える状況は似たようなものである。
 この場合は、彗星は5月中旬に明け方の東の空で7等程度で観測できるようになり、以後、北東、北、北西の空と移動しながら、7月中旬まで夜半に安定して最大光度5等程度で観測できるはずである。
 もし、1892年にこの状況で明るくなっていたとしたら、見逃されるということはまず考えられない。北の空に肉眼でも見える明るさである。多少の悪天候でも、観測可能期間が2カ月もあるのでどこかで捕らえられるのが当然であろう。また、ヨーロッパだけをとってみても北半球での高緯度地方での観測条件はむしろ良かった。この通りに出現しなかった、あるいは彗星が暗かった可能性が大きいのではないだろうか。
 
11.回帰時の予想(3)−−9月2日に近日点を通る場合
 次に秋に彗星が帰ってくる場合を考える。9月2日は 「長谷川・中野解」の1956年の近日点通過に対応する。 くどいようだが、この状況はやはり1956年という年には影響されないので、何年であろうが、9月2日ごろにこの彗星が近日点に帰ってくるのであれば、見える状況は似たようなものである。
 この場合は、彗星は明るくなるものの、多少「専門家向け」となる。7月中旬には8等で明け方の空に見られ、その後、増光するが高度はそれほど高く上がってこない。その後また高度が低くなるが低空で3等まで明るくなる。その後、夕方の西空に移るが依然として低空に留まり、9月いっぱいまで悪い条件ながら4〜7等で観望可能である。1956年にこの状況で出現したのなら発見や観測は困難ではあっただろうが、例えば、当時の優秀なコメットハンターである本田実氏であれば発見できたと思われる。また、このような太陽に近づく明るい彗星は、様々な観測装置が利用できる現代であればその観測はそれほど難しくないと考えられる。
 
12.回帰時の予想(4)−−11月15日に近日点を通る場合
 最後に晩秋ということで、11月15日に近日点を通る場合の出現状況を予想する。仮に、「長谷川・中野解」が正しくない場合や、またはさらに、1110年の彗星がポンス・ガンバール彗星ではない場合(軌道が似ていてもモノとして違うことはあり得る)は、彗星はどの季節に帰ってくるかわからないことになるので、1年のうちのあらゆる季節を想定しておくことは意味がある。
 しかし、残念ながら、この場合は、彗星は明るい状態で観測できない。低空で7等になるが観測は難しいだろう。翌年の1月には観測可能なところに移ってくるがすでに9等以下になっている。
 
13. 次に何が起こりそうか
  最後に次に起こりそうなことを書いておく。「長谷川・中野解」が正しいとして、彗星を捜索した場合、彗星はいつ頃検出されるであろうか。一つの予想であるが、2020年の8月頃に20等前後で検出されることになると予想する。それよりも大幅に早く見つけられることはあまり期待できない。
 
 次に、「長谷川・中野解」が正しくない場合に、この彗星がもっとも早く観測される可能性はいつであろうか。もちろん、最近の回帰がすでに見逃されている可能性もあるし、この彗星が暗くなって二度と観測できない可能性もあるが、仮に、近い将来観測されるとして、それがもっとも早い場合いつかということである。
 1110年の彗星がポンス・ガンバール彗星ではないとすると周期にいかなる拘束条件もかからなくなるので、彗星はいつ帰ってきてもおかしくない。今日、検出されてもよいことになる。しかし、1110年の彗星がポンス・ガンバール彗星であり、かつ近い将来にまた出現するならば、彗星は、1110年から1827年の間に11回もしくは12回公転していることになる。11回であるならば、Kastenの計算によれば、もっとも早くとも2019年までには帰ってこない(この計算に全幅の信頼はおけないが)。12回公転している場合は、すでに帰ってきていてもおかしくないことになるし、2013年頃まではまだチャンスがあることになる。それを過ぎると12回の可能性はほぼ消えることになるだろう。
 これらの予想は、近い将来にポンス・ガンバール彗星が最検出される場合にのみ意味がある。今後何年も何十年も見つからない場合(最近の近日点通過を見逃してしまった場合を含めて)は、失われた彗星として不確定性は増えるばかりとなり、仮定に仮定を重ねない限りいかなる予想も出来ない事態となるであろう。
 
次回は、続編として、ポンス・ガンバール彗星以外の「失われた大物彗星」を取り上げてみたい。

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