太陽黒点活動と地球の気候変動(第1回)
 
                       上原 貞治
 
1.過去の気候変動
 現代では、地球の気候変動というと、二酸化炭素を代表とする温室効果ガスの放出問題の議論になるが、人間が大量に二酸化炭素を放出する以前から、地球規模の気候変動が起こっていたことが知られている。というと、今度は恐竜が栄えていた時代は温暖だったとか、新生代には氷河期が何回かあったとかそういう話になるが、ここではそんな昔の話をしようとしているわけではない。
 たとえば、縄文時代には、「縄文海進」という現象があって、現在の内陸に当たるところまで海水が入り込んでいて、そういうところで貝塚が見つかることは有名である。 これは、当時、地球が温暖化したのが原因であったと言われている。その後、地球は寒冷化したこともあったが、中世はまた暖かかったと言われている。日本の江戸時代は現代よりも寒かったとも言われている。しかし、地球規模の変動なのか、地域的な現象なのかは断片的なデータだけではなかなかわからない。
 ここでは、歴史時代における地球の気候変動と太陽黒点活動の関係についての議論を紹介する。おもに問題にするのは気温の変化なので、ここでいう気候は世界の平均気温のようなものと理解してほしい。その際、世間で言われている温室効果ガスの放出による地球温暖化の効果について一部懐疑的な見方を投げかけることになるが、これは温室効果ガスの影響そのものを否定しているわけではない。むしろ、現在の温室効果ガスの影響の見積もりにおいて、太陽黒点活動の変化による影響を十分に考慮に取り入れていないことに対する批判になるものである。 太陽活動の気候への影響はその効果も理由もよくわからないので、現在のところは一つの仮説にすぎない。しかし、以下の議論で、太陽活動の影響が全くない、あるいは無視できる、として、温暖化のすべての原因を温室効果ガスに求めるのはさらに極端な仮定であるといえることがわかるだろう。
 
2.ここで議論すること
 過去の地球規模での気候変動の原因について何種類かの説が提唱されている。中生代末の気候変化は隕石の落下によって説明されているし、新生代の氷河期は、地球の軌道や地軸の傾きが変化するというミランコビッチ説によって説明されている。これらの説は、太陽活動の変化と直接関係ないのでここでは触れない。縄文海進は氷河時代が終わった時の反動ともいえる地盤や地球環境の変化で起こったという説明があるが、じゅうぶんに固まってはいないようである。ミランコビッチ説、太陽活動の両面から考える必要があるのかもしれない。気候変動の原因としては、もちろん複数の要因があり得る。
 地球全体規模での気候に影響を与えるような隕石の落下の間隔やミランコビッチ説の諸サイクルは1万年以上の時間単位である。ここで問題にするのはもっと短期間の数十年〜数百年程度のサイクルの変動である。この程度の周期の変動は、太陽活動の変化と結びついている可能性が高い。一方、温室効果ガスの影響は、その大部分が、世界的にエネルギー消費が増大し二酸化炭素の放出が増えた1950年以降になるはずだから、また、60年程度の効果しか見られないはずで、その効果を独立して見積もることは現時点ではデータ不足で不可能である。(大気中の二酸化炭素の量の変化を正確につかむことは容易ではないが、産業革命以前から2007年の間に起こった二酸化炭素の増加の8割近くが1950年以降に起こっている)逆に1950年以前に地球規模での気候変動があれば、温室効果ガス以外の、おそらく人間活動とは関係のない重要な要因が存在することになり、その効果を見積もることが出来る。
 以下の資料はいろいろなところから取ったが、気温の変化の図と太陽活動の変化の図は別々の資料から取るようにした。恣意的な結論に導くことを避けるためである。『正しく知る地球温暖化』(誠文堂新光社)の著者の赤祖父俊一氏は温室効果ガスの効果について懐疑的であるが、太陽黒点との関連については議論していないので、この点においては中立である。今回は温室効果ガスの影響がほとんどなかった1950年以前のデータを中心に扱い、その後はその変動を現代まで外挿することにする。
 
3.太陽の黒点活動と気温
 太陽の黒点活動が顕著な11年周期を持っていることは18世紀以来広く知られている。過去には、気候や農作物の作柄、ひいては経済の景気が似たような周期をもっているとして、太陽黒点活動との関連が研究された。しかし、データが蓄積された今日においても、明瞭な相関は確認されず、今日では、11年ごとの1周期内での顕著な相関については否定されている。
 しかし、太陽黒点活動にはもっと大きなタイムスケールの変動があること指摘されている。過去には、大極小期と呼ばれる太陽黒点活動が数十年にわたって極めて弱かった時代があり、そういう時期は地球は寒冷であったと言われている。また、オーロラなどの観測によって太陽活動が活発だった時期もあり、こういう時期は地球全体が温暖であったといわれている。もっとも有名な大極小期は、「マウンダーミニマム」と呼ばれていた時代で、それは、1650〜1710年ごろに当たり、その頃は、ヨーロッパでペストが流行ったり、ロンドンのテムズ川が結氷してスケートが出来たなどと言われている。しかし、地球の一部だけで寒かったと言っても不十分で地球規模の気候変化を議論しなければならない。日本や中国の文献などを合わせてどれほどの変動があったか判断するまでは早々の結論はつけられない。日本の江戸時代は寒かったとも言われており、赤穂浪士の討ち入りの日の雪などと関連づけられたりはするが、マウンダー・ミニマムの時代が特別に寒かったという証拠はない。
 以下、当分の間、「なぜ、太陽活動が変化すると地球の気温が変化するのか」ということは問わないことにする。太陽活動の変化が太陽の熱放出量と直接連動している効果は小さく、これは簡単に答えられない難問であるからである。ただ、説明が難しいからと言って、太陽活動と気温との関係がありそうにないというわけではない。
 
4.太陽黒点のデータ
 太陽活動の客観的な指標として豊富なデータがあるのは、太陽黒点の数(相対数)であるが、太陽黒点の系統的な観測は17世紀初めに望遠鏡による観測が始められて以降に限られる。そのよく知られているデータを図1に示す。Sunspot Numberというのは黒点の数を示す指標で、直接に太陽黒点を数えて決められるものである。
 
 
 
図1.最近400年の太陽黒点数(相対数)の変動。(太陽黒点数データセンターの資料からR. A. Rohde が作製)曲線は長期間をならした値。
 
 それでは、望遠鏡が発明される以前の太陽黒点活動はどのようにして見積もることが出来るのであろうか。遠い過去においても肉眼による太陽黒点観測の記録が断片的に存在する。しかし、それは、そのときに太陽活動が非常に低調ではなかったということを示すことにはなるが、必ずしも活発な時期であったことを証明するものではない。また、肉眼での太陽黒点の記録がないからと言って、そのころ太陽黒点活動が低調であったとはとうてい言えない。
 ある程度の使用に耐える信頼できるデータは、オーロラ出現のデータと炭素14同位体のデータである。太陽黒点活動が活発な時は、太陽からの粒子線の放出が活発になり、地球で頻繁にオーロラが現れ、とくに低緯度でもオーロラが出現することがある。また、太陽からの粒子線の変化によって、地球の周りの磁気圏(磁場の強い領域)が変化し、それによって、宇宙から飛んでくる宇宙線が大気中に入ってくる量が変化するという。それによって、地球上の生物を構成する炭素のうち炭素14同位体の割合が変化し、木の年輪の分析からその変動がモニターできるという。こうして、望遠鏡観測以前にも存在した太陽活動の大きな変化が捕らえられた。炭素14同位体のほかに南極の氷の中のベリリウム10同位体の含有量も利用されている。
 図2は、西暦850年〜1900年の炭素14とベリリウム10含有量の変動である。両者がよく相関していることから、これが地球上の場所によらない(すなわち太陽起源と見られる)変動をとらえていることがわかる。さらに、炭素14の変動(白丸)を図1の曲線と比較してみると、比較できるのは1610〜1900年に限られるが、上下逆になってよく相関しているようである。太陽活動が低調なときは、遠い宇宙から来る宇宙線(陽子)の地球大気中への侵入は増え、同位体も増えるので、図1と比較する場合は、上下に裏返す必要がある。図3は、炭素14の変化を図1の太陽黒点の変化と比較したものである。
 
 

図2.白丸は木の年輪中の炭素14同位体の含有量の変化。黒丸は南極の氷中のベリリウム10の含有量の変化(平均値の周りの変動)。値がプラスに大きいほど宇宙線の侵入量が大きく、従って太陽活動は低調である。(E.Bard et al. Earth and Planetary Science Letters 150, 453 (1997) による)


図3.白丸のその周辺の線は炭素14の含有量の変化(図2の文献と同じ)。下の”Sun spots”は太陽黒点活動で、比較のために図1の一部を上下ひっくり返して横軸の年代位置をそろえたもの。図1と上のE.Bard et al. (1997)の図を筆者が合成した。
 
 
 望遠鏡による太陽黒点がない時代についても炭素14の相関の有効性を見るために、図4にオーロラ出現数との比較を示した。上段が炭素14の変動で、下段がオーロラの出現数である。参照した文献が違うので、炭素14の値については、図2、図3と多少違っている。オーロラの出現数のデータは古い時代ほど記録が残りにくくなっていると考えて、生データと補正されたデータの双方が示されている。
 以上で、炭素14同位体のデータは(その上下をひっくり返せば)太陽活動の測定の代用として十分用いることが出来ることがわかる。
 
 


図4.上段:木の年輪中の炭素14の含有量。下ほど含有量が大きく、図2、3とは上下がひっくり返っているので注。 下段:オーロラの出現数から見積もった太陽活動の変動。下の"chronicles,manuscripts"とあるのは古記録の生データ。"homigenized"は補正後の値(L. Krivsky, olar Physics 93, 189 (1984)より)
 
5.気候のデータ
 さて、いよいよ気候変動のデータであるが、こちらも難問である。国際的に集積された気温測定のデータが得られない過去の気候変動については、氷河のデータ、海面の高さ、木の年輪の間隔などが利用するが、地球規模となると単純に調査できるものではない。火山の爆発などの局地的な影響が目立つ可能性もある。また、氷河については流速が遅いので、数十年規模の変化を見るには、氷全体の体積の変化を見る必要がある。氷河の末端のデータだけでは不足である。よって、古い時代のデータの利用には難があると考えられる。結局のところは、降雪などの気象の継続的な記録に頼るしかなく、十分なデータを古い時代から得ることは難しいと考える。
 
 


図5.いくつかの信頼性が高いという方法で見積もられた過去の気温変動。(米国科学アカデミー2006年。赤祖父俊一『正しく知る地球温暖化』(誠文堂新光社 2008)より)
 
 
 以上を踏まえた上で、さまざまな方法で見積もられた過去の気温変化のデータを図5に示す。この図の緑線のTree Ringというのは「木の年輪」であるが、これは、もちろん炭素14のデータを見ているわけなく、木の年輪の間隔(すなわち木の生長速度)から当時の気温を見積もっているのである。
 この図を太陽活動の変化の図(図1〜図4)と比べてほしい。データの選択や見方にバイアスをかけないために、1枚の図にまとめるということは今回はしない。まずは、しばらくの間、虚心にデータを見比べてほしい。       
 データの比較検討は次回に行うことにする。また、1900年以降のデータの詳細な検討も次回以降に行う。
 
        (つづく)

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