編集後記
上原 貞治
 
 
 最近、独立行政法人を対象にした仕分けが行われているので、多少のコメントをさせていただきたい。
 
● テレビ報道で見る限り、科学技術研究や科学的な試験・観測業務、その広報・普及のための予算が取り上げられているところが目立つようである。税金の無駄遣いを省くのは当然であるが、そもそも日本ではこれらのところを率先して削減するくらい、科学技術研究やその普及に十分な予算をかけているのだろうか。すでに子どもたちに十分に科学技術は浸透していてもう将来の技術立国は安泰なのだろうか、というのがまず第一に浮かぶ疑問である。国立大学法人の予算仕分けの時も感じたのだが、日本の国立大学の学生さんはこれ以上お金をかける必要がないほど十分に勉強してくれているのだろうか。こういうところを騒ぎ立てて節約を訴えることを国民は期待しており、それが日本の将来に発展に繋がると考えているのだろうか。
 
● 「仕分け」というのは分野の専門家でない議員が、広い意味での政治的意図を持って、かつ「国民目線」で事業内容を検証する場であるといえるだろう。その発想自体は正しい。しかし、科学技術研究の戦略や教育普及効果というのは専門家を持ってしても判断しがたい難問である。役所仕事の無駄を減らすのはよいが、学問や技術の発展動向を「国民目線」でどうやって判断するのか。そんな目線で判断しようとする国民は日本にはいないだろう。科学技術は将来の人類のために長い目でじっくり議論して発展をはかるべき問題であることをみんな理解している。数時間の印象だけの討論で仕分ければよい、などと考える国民が100人に何人いるだろうか。国会議員は自分たちのやり方が国民の考えを代表していると考えているなら、それは勝手な思い込みではないか。
 
●気象観測システム「アメダス」の維持費が高いので、山岳部の観測点など大幅に減らし予算を削減するという。しかし、年間で700万円しか削減できないという。何を考えているのか。山崩れで一人が大けがをしたら治療費か保険代だけでこのくらいの額が必要である。
 
●国立科学博物館のYS-11の保管料も問題にされた。出来るだけ公開展示するように、という結論はよいとして、展示するしないに関わらず歴史的に重要なものを保管すること自体が博物館の大事な仕事である。YS-11は戦後の日本が国策を傾注して設計した重要な歴史遺産ではないのか。それらは日本各地に公開されずに保管されている歴史的文書と同じである。展示のめどが立たないと保管するなということになれば、国の大型遺産はどんどん取り壊し廃棄せねばならないことになってしまう。観光客の見込めない神社仏閣はたとえ価値ある歴史遺産であっても取り壊して更地にすることになってしまう。仕分け人にはその程度の文化遺産保護の考えも知識もないのであろうか。お寒い事態である。
 
●最後に、蒸し返しになるが、スーパーコンピュータ。 スーパーコンピュータは速いのが取りえの計算機である。これほど、速さで世界一をめざす価値のある物を他に想像するのはちょっと難しい。これを問題にするならば、ウサイン・ボルトに「2位じゃダメなんでしょうか」と尋ねてきて欲しいものである。返事もしてもらえないであろう。ボルトは仮に2位になっても銀メダルをもらうことが出来る。一方、計算で、すでに他の計算機で結果が出ているのと同じ結果をあとから報告したときには、「験算ご苦労様」とでも言ってもらえればそれで御の字である。
 
●「子ども手当」には年間5.5兆円がかかるという。それでも、少子化を食い止め、景気対策をするためには有効な政策かもしれないので、ただちに否定するものではない。一方、文部科学省の予算もほぼ同規模の額である。これで十分と言えるのか。日本の子どもたちが、食べて育って景気が維持できればそれで十分なのか。勉強はしてもらわなくてよいのか。勉強をしてもらうとすれば、教育体制の充実はどうなのか、諸分野の学問の基礎研究の体制はどうなのか、を同時に議論しなくてはならないであろう。 限られた予算を有効に使おうという思考を放棄して、それを単純にばらまくのが政治なのだろうか。

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