編集後記
上原 貞治
 
 今回もまた、昔の流行歌について書かせていただく。3回連続になるが今回で最後にするのでお許しいただきたい。
 
 今年は、アポロ月着陸40周年ということで、まあたいした行事もなかったようだが、その頃のことを思い出す良い機会になった。それで、その頃、月着陸の影響として、「これで月について夢とかロマンとか(当時そんな言葉を使ったかどうかは覚えていないが)が無くなった。」などという議論がされたものである。はたして、それ以後、月にロマンが無くなってしまったかどうかは知らない、それは人によるだろう。しかし、私が見るところ確実になくなったものがある。それは、歌謡曲で歌われた「日本人の月に対する心情」である。
 かつて、歌謡曲において、月は人間の友達、あるいは憧れの人のように描かれていた。アポロ以後、そういう曲はぱたっと無くなった。はっきり言えば、月に関して友愛の心情を歌ったヒット曲が無くなったのである。以前はたくさんあった。藤島桓夫の「お月さん今晩は」「月の法善寺横丁」、菅原都々子の「月がとっても青いから」、バタヤンの「大利根月夜」...毎年のようにヒット曲が出ていたものである。こういう「月」を歌った最後のヒット曲はなんだったのだろうか。 私の記憶にあるのは、1968年の黛ジュンの「夕月」である。私が天体に興味を持ち始めた頃に流行した歌なので今でも良く憶えている。この曲の「夕月」が失恋をした女性の友人かどうかは別にして、これが月と日本人が触れあった最後のヒット曲だったのではないだろうか。
 
おしえてほしいの涙のわけを
見るもののすべてが悲しく見えるの
夕月うたう恋の終りを
今でもあなたを愛しているのに
    (「夕月」より。なかにし礼作詞、三木たかし作曲)
 
 なお、作曲家の三木たかし氏は、最近他界されたが、黛ジュンの実兄である。
 
 月の歌が無くなったのは、現代の作詞家が天体に興味を失ったからでは決してない。月以外の天体、星や流星についてのヒット曲はそれ以後もたくさん出ている。また、月が歌詞の中に出てくるヒット曲ならないわけではない。氷川きよしの「白雲の城」。しかし、これはいかにも「荒城の月」や「古城」を思わせるような懐古趣味の曲である。(それを現代に通用するように仕上げた作詞家、作曲家、歌手の力量は相当のものである。 氷川きよしは春日八郎の歌をカヴァーしているが、私は春日八郎が歌う「白雲の城」が聴きたかった!) 山口百恵の「夢先案内人」というのもあった。これは現実の月景色ではなく、童話の中の景色というか題名通り夢の世界の月である。
 
 ところで、かつては、逆に題名に「月」があるのに歌詞に月が出てこない曲さえあった。「ギター月夜」。これはものすごい曲である。霧島昇の歌う旅情の寂寥感は圧倒的である。これに匹敵するものは、私はせいぜいフィッシャー・ディースカウ歌う「冬の旅」の最終曲「ライアー回し(辻音楽師)」くらいしか知らない。
 
山に咲く花 色かなし
海で鳴く鳥 歌かなし
町にいてさえ 淋しいものを
何ではるばる 旅をゆく
   (「ギター月夜」より。西条八十作詞 古賀政男作曲)
 
3番まである歌詞に「月」はまったく出てこない。
 
「ライアー回し」の寂寥感を支えるものはシューベルトが用意した歌曲集のそれに先立つ23曲である。その第1曲「おやすみ」は若者の月光の中での旅立ちから始まる。「ギター月夜」では、それらすべての役割をわずか5文字の題名から湧き出る月のイメージが果たしているのだ。

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