宇宙に反物質はあるか?

 反物質に関する話題:

 最近、新聞紙上に反物質(または反粒子)の話題が何回か現れた。それらは、ヨーロッパの研究所で反物質を人工的に作ったというニュース(この実験には日本人の研究者が関係している)と、日米それぞれの研究所で、粒子と反粒子の壊れ易さの違いを見つける実験をしているというニュースである。私の本職はこの後者の実験に関係しているので、これを機会に反物質の話を書いてみたいと思う。しかし、私は「銀河鉄道」で素粒子物理学の話をあまり書きたいと思わない。やはり天文同好会であるから「宇宙に反物質があるか」という問題に絞り、素粒子関係の話は最低限にとどめるつもりである。
 

 反物質とは何か?

 最初に反物質とは何か定義をしないといけない。ここでは、簡単に次のように定義しよう。まず、「物質」の定義を先に行う。
 地球上にある物質は、すべて「原子」からできている。原子は、「原子核」と「電子」からできている。原子核は、「陽子」と「中性子」からできている。だから、地球上の「物質」は、すべて「電子」、「陽子」、「中性子」のどれかが複数個集まってできたものである。これを物質の定義としよう。だから、水素原子は物質の一種である。それは、陽子と電子1個づつからできている。炭素の原子核は、陽子6個と中性子6個からできているので物質である。水分子は、酸素原子1個と水素原子2個からできているのでこれも物質である。同様に、ウラン原子もアミノ酸もダイヤモンドも石ころも木材も人間も「物質」である。
 次に「反物質」の定義をする。「電子」はマイナスの電荷を持った粒子であるが、プラスの電荷を持ち電子と同じ質量を持った粒子が存在する。これを電子の反粒子と称し「陽電子」と呼ぶ。陽子の反粒子、つまり、「マイナスの電荷を持った陽子」もあってこれは「反陽子」と呼ぶ。中性子は電荷を持っていないが、やはり反粒子が存在してそれは「反中性子」である。反中性子はやはり電荷を持っていないが中性子とは違う粒子である。これで、「反物質」の定義ができる。「反物質」とは、「陽電子」、「反陽子」、「反中性子」のどれかが複数個集まってできたものである。「反水素原子」とか「反炭素原子核」とか「反水分子」、「反アミノ酸」、......「反人間」にいたるまで、これでどういうものか一度におわかりいただけたであろうが、これらはすべて反物質である。
 

 反物質の性質:

「反人間」とはSF的な話かそうでなければ何か無茶苦茶な話のように思われるかもしれないが、決してそうではない。物質と反物質は、電荷が反対であること以外ほとんど違いがないのである。だから、人間が現に存在している限り、反人間が存在しないという理由はどこにもない。 細かいことをいうと反物質は物質と比べて性質が左右反対である。しかし、これは、人間の心臓が左にあって右利きが多いとすれば、反人間は心臓が右にあって左利きが多いかもしれない程度のことであって、その生存には本質的でない。
 しかしながら、反人間は地球上には一人もいない。それどころか反物質は全く存在しない。それは、物質と反物質は共存できないからである。物質と反物質が接触すると一瞬にして両者は消滅してエネルギーになってしまう。ほとんどのエネルギーは、光(実際はガンマ線)の形であたりに飛び去ってしまう。たった1個の陽電子でさえ例外ではない。陽電子1個を机の上に置いたとしよう。次の瞬間には、それは、机を構成している原子の中にある電子1個に接触していっしょに消滅にしてしまう(多くの場合2個のガンマ線が放射される)。このエネルギーはばく大なものである。反物質1グラムを机の上に置いたとしよう。それは、机の物質1グラムとともに消滅し、180兆ジュールのエネルギーになる。これは、5000メガワット時に相当するから、ちょっとした都市の1カ月間の電力使用量くらいである。であるから、反物質は地球上に存在できない。もし作れたとしても貯蔵がきかない。30〜40年くらい前、SFアニメでしばしば「反陽子爆弾」というのが登場した(W3とかソランとか、筆者と同年代の人には懐かしいものであろう)。反陽子爆弾は、物質に接触させると莫大なエネルギー(重量あたり水爆の百倍以上)を発散する究極の兵器である。反陽子爆弾がこのように「脚光を浴びた」のは、高エネルギー加速器で最初の反陽子が生成・発見されて間もない頃であったが、 反陽子爆弾の製造には多量の反陽子の製造と貯蔵が必要であり、幸いなことに、現在でも当面実現の可能性はない。
 でも、宇宙なら話は別である。宇宙のどこかに「反地球」があり、そこに「反酸素分子」を含む「反大気」があれば、「反樹木」や「反人間」がそこでしっかりと立つことができるはずである。このような星では、逆に「物質」が存在できない。
 かつて、反物質には、「反重力」が働くのではないかと言われたことがある。しかし、現在では、理論的にも実験的にも、反物質は物質と同様、プラスの質量とプラスの重量を持っていることがわかっており、これを疑う物理学者はほとんどいない。
 

「反物質」は作れる:

 では、本当に反物質は存在するのだろうか? 陽電子、反陽子、反中性子はそれぞれ単体では、実験的に非常にたくさん(といっても重さであらわすと微々たるものだが)作られている。しかし、残念ながら貯蔵が利かない。あっというまに、実験室の壁などに接触して消滅してしまう。だから反物質をつくるのはたいへんむずかしい。壁にぶつかる前に2個の反粒子をくっつけてやらないといけないからである。これがじつにむずかしい。陽電子などの反粒子は、高いエネルギーを、粒子と反粒子のペアに転化させて作るのであるが、どうしても勢いあまって、反粒子自身が高いエネルギー(速いスピード)で飛んでいってしまうのである。これを複数個集めて原子や原子核をつくるのは、銃撃戦の現場で飛び交う弾丸同士を糊でくっつけるようなものである。それでも、人類はついに反物質(反水素原子)を作ることに成功した。また、反原子核を作ることにもすでに成功している(反陽子と反中性子がくっついた反重水素原子核)。でも、これらは数えられるくらいの個数しかできていない。そして、測定器で生成が確認されたときにはすでに消滅してしまっているのである。 それでも、これらの実験の意義は重要である。つまり、人間でさえ反物質をつくれるのである。宇宙にどうして反物質がないことがあろうか!
 

 反物質でできた星を探す(光や電波は使えるか):

 もし、宇宙に反物質が多量にあるなら、物質と消滅し合って多量のエネルギーを出しているはずである。ところが、そういうハデな天体は近くにはないようである。しかし、星全体が反物質でできており(「反星」)、それが真空中に浮いているだけならばエネルギーの放出は普通の星と同程度と考えられる。
 
 宇宙に「反星」ばかりが集まっている領域があるとする。もし、この領域が、その外側の領域、つまり「星」ばかりが集まっている領域と境界を接しているのなら、この境で星間物質と反星間物質が消滅し合って、大量のガンマ線が放出されるだろう。現在のところ、このような大量のガンマ線は観測されていない。少なくとも、このような境界は、宇宙にはそれほどはなさそうである。反星は、あったとしても物質世界から遠く隔離されているらしい。
 
 さて、星は光っている。光は、原子を熱したときや、化学反応や原子核反応にともなって放出されるのであるが、これは、物質でも反物質でも区別はない。光の粒を「光子」と呼んでいるが光子の反粒子はやはり同じ光子である。であるから、「反星」も「星」と同じ光を出すはずである。つまり、星の光を分析してみても、それが「星」であるのか「反星」であるのか識別できないのである。同様の理由で、「反物質」も見た目(可視光で見た場合)は、対応する物質と同じ色つやをしており区別できないであろう。でも、指で触れてみると大爆発!というわけである。
 
 ちょっと話が脱線するが、おもしろいことを考えてみよう。遠くの星に宇宙人が住んでいて、地球人が彼らと電波を使って交信できるようになったとしよう。(電波を使った交信では信号のやりとりに何億年もかかる...などということはこの際忘れてください) 地球人が、宇宙人に「君らの星や君ら自身は反物質でできているのですか?」と質問したとしよう。宇宙人はこの質問に地球人が満足できる答えをすることはできない。宇宙人は地球人がいうところの「反物質」でできていたとしても、彼らは自分らこそ「物質」でできていると思っているから、「反物質」でできているとは答えられないのである。そこで、宇宙人はこう問い返すだろう。「君たちのいう『物質』とは、電子がマイナスの電気を帯びているのですか、プラスの電気を帯びているのですか?」 こんどは地球人が困る。彼らの言うマイナス電気は、我々のマイナス電気と同じだろうか? 我々は、電子の電荷をマイナスの電気であると定義している。しかし、かれらの「電子」がマイナスかどうかが今問題なのだから、この定義を教えてやってもしかたがないのだ! これには、実は解決策がある。ひとつは、右回り・左回りの定義を教えてやることだ。遠くに居る宇宙人に左右の定義を教えることも結構むずかしいので楽しみに考えてほしい。交信している電波を円偏光させるとか、相手にも観測可能な渦巻き銀河の渦の巻く方向を使うとかのアイデアがあるだろう。右回りと左回りが区別できれば電子と陽電子の区別はできる。電子には右巻きと左巻きのものがあり(電子のスピンの方向。光子の偏光に対応する)、反応によっては、その反応の強さに違いが出るからである。ある反応でどちらが良く反応するかは、電子と陽電子で、左右がちょうど逆になっている。もう一つは、特殊な素粒子反応を使う方法である。ある素粒子の反応(崩壊)では、粒子と反粒子でその起こる確率が少し違う。(CP非保存現象)
 脱線が長くなった。たとえ宇宙人と話ができたとしても反物質の存在の証明は容易でないのだから、ましてや宇宙人が見つからないときは、それは相当難しいことになるというのがこの話の結論である。
 

 宇宙線の観測:

 星の光を使った分析で反物質の存在が確認できないなら、別の情報を使わざるを得ない。宇宙から直接飛んでくる反物質を捕まえるのが近道だろう。しかし、今まで宇宙から大きい反物質が飛んできたことはない。そんなものが地球にあたれば水爆以上の大惨事になるのである。かつて、ツングース隕石は反物質だといわれたこともあった。しかし、たいした残留放射能も検出されていないのでそのような証拠はない。彗星の破片であった確率の方がずっと高い。
 地球の大気の上層や外で空から降ってくる素粒子や原子核(宇宙線という)を観測すると宇宙から飛んでくる反物質を捕まえることができるかもしれない。気球を使った実験によると、宇宙からは少量だが反陽子が飛んできている。その個数は、陽子の千分の1から1万分の1くらいだが、この程度では宇宙に反物質がある証拠にはならない。これらの反陽子は素粒子反応で作られたものであるかもしれないからである。一方、反原子核など反物質そのものが検出されれば宇宙に反物質がある可能性はずっと高まる。というわけで、宇宙線中に反ヘリウム原子核が混じっていないか調べられたが、その量は極めて少ないらしく今日まで見つかっていない。これは、地球の比較的近くには反物質は極めて少ないということを示唆している。
 しかし、これらは宇宙に反物質がないことを意味しない。遠くの天体からの反原子核は、宇宙にある磁場のために大きな周回軌道を描き、地球までやってこないことが考えられるからだ。我々は、遠くにあって隔離されている反物質を検出する方法を残念ながら持っていない。
 将来的には希望はある。それはニュートリノを使う方法だ。ニュートリノの反粒子として反ニュートリノが存在し、それはニュートリノと識別可能である。陽子と原子核の反応ではいくつかのニュートリノと反ニュートリノが発生するが、その生成比は、反陽子と反原子核との反応の場合と違いがあることがわかっている。また好都合なことに、ニュートリノは電荷がなく、発生してから地球に届くまでに、星間物質や磁場などの存在の影響を受けない。しかしながら、現在のところ、ニュートリノ検出器の大きさの制約により、遠い天体からのニュートリノは大マゼラン雲の超新星1987Aからのものしか検出されていない。計画中の大きい宇宙ニュートリノ検出器が完成すれば、さらに遠くの銀河からのニュートリノが識別可能となることであろう。
 
 この宇宙に反物質が多量にあるという証拠はない。たぶん反物質はあまりないのだろう。その方が、理論的にも観測的にも、初期の宇宙の成長や現在の宇宙の様子をうまく説明できる。しかし、宇宙のかなたの反物質の存在を否定できる証拠もない。宇宙の反物質は、まだしばらくのあいだ、人類の挑戦を受け続けることであろう。