粒子反粒子対称性の破れ」と「CP非保存」について

 
上原 貞治
 
 
 今年度(2008)のノーベル物理学賞は、素粒子理論に「自発的対称性の破れ」を導入した南部陽一郎博士と、「クォークの6元模型」によって「CP対称性の破れ」を説明した、小林誠博士、益川敏英博士に授賞された。 ここでは、後者の「CP対称性の破れ」というのは何かということを説明し、それが宇宙における物質の非対称性と関係あるのか(あるいは無いのかないのか)ということを議論したい。天文学や宇宙論の研究についてはあまり触れないが、素粒子物理学は宇宙の物質の起源に言及しているので、この「銀河鉄道」で取り上げさせていただいた。
 
 結論を先に言ってしまうと、「CP対称性の破れ」と「粒子反粒子対称性の破れ」はほぼ同じ意味である。また、「CP対称性の破れ」と「CP非保存」もほぼ同じ意味である。しかし、「粒子反粒子対称性の破れ」と「宇宙における物質と反物質の非対称」は同じ意味ではないし、必然的に関係するものでもない。ただし、現実の宇宙においては密接に関係している可能性が大きい。さらに、「CP非保存」と「粒子数(あるいはバリオン数)の非保存」も全く別の概念である。これらが、互いにどのように関係しているか、ということを究明することが、現代の物理学と天文学の大問題である。ややこしくなってきたので、個別に説明することにする。
 
1.CP対称性 = 粒子と反粒子を入れ替えた場合の対称性
 CPというのは、物理的な状態に対してなす変換操作を表す数学的記号である。Pというのはパリティ変換で、空間の座標変数の符号を変える(空間反転。鏡による左右の反転に同じ)。数学で出てくる位置ベクトルを変化させる行列のようなものと考えていただければよい。Cは粒子と反粒子の入れ替え操作である。CPとは、空間反転をしてから、粒子と反粒子の入れ替えをすることである。
 なぜCとPの両方を適用するかというと、粒子と反粒子を入れ替えた世界では、弱い相互作用の物理法則の左右がひっくり返っているからである。粒子と反粒子を入れ替え、ついでに左右をひっくり返して初めて向こうの世界とこちらの世界が同じ性質を持つ。これがCP対称性である。左右をひっくり返すくらいのことはどうということ無いので、CP対称性のことを、通常、粒子反粒子対称性と呼ぶ。現在の宇宙で起こっている現象のほとんどすべてにおいて粒子反粒子対称性が成り立っている。
 
2.CP非保存 → CP対称性の破れ
 CP対称性の破れは、「CP」が保存するかしないかによって決まることが量子力学によって導かれる。ここでいう「CP」は、上に述べた左右の反転と粒子反粒子の入れ替えの変換操作のことであるが、「保存するかどうか」というはその「固有値」が維持されるかどうかを意味する。多少、数学的な説明が必要になる。
 一般に、ある状態にCP変換を施すと別の状態になる。これは、粒子を反粒子に変えるのだから当然である。実際には粒子は反粒子にはならないので、これは仮想的な変化である。このような場合は保存も何もないのであるが、世の中にはCP変換を施しても元の状態と変わらない場合もある。例えば、光を考えてみよう。光の粒子である光子は、粒子と反粒子の区別がない。よって、粒子と反粒子に変換しても変化はない。また、電子と陽電子が1個ずつくっついた状態(ポジトロニウム)を考えてみよう。これの粒子と反粒子交換してもやはり同じような状態である。粒子が何もない真空もそうである。変換してもやはり同じ真空に決まっている。量子力学では、こういうのを「CPの固有状態」と呼ぶ。というのは、こういう状態は、かならず+1か−1の固有値というものを持っているからである。真空はCPの固有値が+1の状態である。光子は1個ならCPの固有値は−1である。(偶数個なら+1) ポジトロニウムの場合は、+1と−1の両方の場合が存在する。
 このCP固有値は、多くの場合、徹頭徹尾変化することはない。CP=+1の状態は、たとえどのような変化をしてもいつまでたってもCP=+1であり、CP=−1の状態はいつまでたってもCP=−1である。こういうのをCP保存という。CP保存は世の中のほとんどの現象において成り立っているが、1964年に実験によって、中性K中間子の崩壊では保存してないことが発見された。クォークが6種類ある模型を使ってこの理由を説明しようとしたのが、上記の小林博士と益川博士であり、2001年に、日本と米国で独立に行われたBファクトリー実験で、B中間子の崩壊にCP対称性の破れが発見されたことにより両博士の理論が実証されたのである。
 さて、K中間子やB中間子の崩壊で、どのような現象によって「CPが保存していない」ことが発見されたのであろうか。
 CPが保存していない場合は、あるひとつの現象(たとえば、決まった始状態と終状態の崩壊現象)でCP固有値の+1と−1が混じり合うことが起こりうる。そのような現象では、その混じり合い方が、例えば、粒子では足し算になり、反粒子では引き算になる。そうすると、計算結果の絶対値が粒子と反粒子で違ってしまうので、その現象が起こる度合いが粒子と反粒子で非対称になるのである。(このへんは、量子力学の波動関数を引用して説明しないといけないが、長くなるのでここでは省略する)
 
3.粒子反粒子対称性の破れ≠宇宙における物質と反物質の非対称
 粒子と反粒子の対称性が破れていないということは、粒子に対して機能する物理法則と反粒子に対して機能する物理法則が同じ(共通の法則)である、という意味である。これは、現実の宇宙において物質と反物質の量が対称であるかどうかとは関係ないことである。法則が同じであるということと、同じように存在するということは、意味するところが違うからこれは当然である。
 だが、宇宙が「無」から始まったとすれば話は変わってくる。すべての物理法則が粒子と反粒子について対称であるならば、「無」から物質が生じる時には等量の反物質が出来なければならないし、その後、物質も反物質も同等の変化をするならば、今日に至るまでずっと物質と反物質の量は同じでないといけない。
 この考えは数学的には正しいが、反例が無いわけではない。たとえば、現実には「ゆらぎ」というものがあるので、同じ数になるとは限らない。10円玉を10回投げたとしても表と裏の回数がちょうど5回ずつになるとは限らない。(ならない場合のほうが多いだろう)また、「ゆらぎ」によって生じた非対称性が安定な場合、それが発展していくことも起こりうる。たとえば、最初に発生した生命がたまたま左巻きDNAを持っていて、その生命が繁茂し進化を始めてしまえば、あとから発生した右巻きDNAを持っている生命は、化学法則や生命の機構は左右対称で同等であっても、個体数や進化が先行している左巻きDNAを持っている生物の勢力に負けてしまって、滅ぼされてしまうかもしれないのである。こういうのを「自発的対称性の破れ」という。(南部博士が素粒子物理にこれを持ちこんだ)
 現実の宇宙において物質と反物質の量が違っており、その理由は、粒子反粒子の対称性の破れに起因すると考えている研究者が多い。
 
4.CP非保存≠粒子数(あるいはバリオン数)の非保存
 すでに書いたが、CP非保存とは、あるひとつの現象でCPの固有値が+1のものと−1のものが混じり合うことが起こりうるということである。しかし、これは粒子が反粒子になったり、その逆が起こることを意味するものではない。CPの固有値を持っているのは粒子と反粒子の区別が付かない粒子(あるいは粒子系)であるから、そこで、+1と−1の割合が変わったからといって、粒子や反粒子の数自体は変わらない(つまりどちらも0か、互いに同数でしかありえない)のである。CP非保存は粒子数の非保存とはまったく別のことである。
 CPが保存していても粒子数が非保存であるということも起こりえる。仮に、粒子が反粒子に化ける現象があったとしよう。もし、その法則とまったく同じ法則で、反粒子が粒子に化けるならばCPは保存していることになる。しかし、1個の粒子のみに着目し、それが1個の反粒子になるのならば、粒子数は保存していない。
 じゃあ、現実の宇宙において両者はまったく関係ないか、というとそうでもない。粒子が反粒子に化ける現象と反粒子が粒子に化ける現象があって、そこでCP非保存が起こっていると、粒子→反粒子は起こりやすく、反粒子→粒子は起こりにくい、ということがあり得る。このような場合は、もともと粒子の数と反粒子の数が同数であっても、だんだん粒子が増え、反粒子が減ってくる。現実の宇宙ではこういうことが起こったあとに、粒子反粒子の対消滅が起こり、粒子だけが残ったと考えられている。
 
5.まとめ
  観測によると、現実の宇宙は、物質と反物質の量が非対称らしい。 また、この宇宙は、ビッグバンによって「無」から作られたと考えられている。この無から物質と反物質が正確に等量作られたのならば、物質と反物質の不均衡があとから生じない限り、現在の非対称な宇宙は説明できない。そのためには、物質と反物質の物理法則が対称でないこと(CP非保存)が必要であるが、それと同時に 粒子→反粒子、 反粒子→粒子 といった変化が起こることも必要である。
  現実の宇宙における物質の優位については、サハロフ博士がそれの必要条件を「サハロフの3条件」というかたちで提案した。また、吉村太彦博士は、CP非保存と粒子反粒子数非保存を宇宙物質の起源と結びつけて具体的な計算を行った。これまでに実験室においてCP非保存は確認されているし、それは小林・益川理論によってうまく説明できる。(これによって、小林・益川理論が正しいことが裏付けられていると言える) しかし、まだ、粒子→反粒子、 反粒子→粒子という変化は見つかっていない。宇宙の非対称性を説明することは、まだ我々にはできていないのである。
 
 法則の対称性と現実宇宙の対称性は違うものであるが、結果的には強く関連している。宇宙は物理法則の壮大な実験室なのである。
 
(終わり)

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