古天文学入門(下)
上原 貞治
 
 
2.天文文献学
 「天文文献学」とは私がここで便宜上勝手に名付けたもので、世間にそのような言葉があるわけではありません。こういう分野が今後育ってほしい、という希望を込めて名付けたものです。私の定義では、天文文献学とは実際の天文現象について書かれている古い文献記録を通して、歴史や天文学史以外の分野の研究をすることです。歴史や天文学史について研究していただいてもけっこうですが、それらは、従来通りの歴史学、天文学史ですから、改めて天文文献学として取り上げる必要はないでしょう。
 さて、どのような分野があり得るのでしょうか。私はその現実の例についてはよく知りませんが、文化人類学的な研究が第一に思い当たります。天体を見た人々がそれをどのように感じたか、ということから出発して、それが人々のどのような黄道につながっていったかを分析するのです。ちょっと考えるだけで、心理学、哲学、宗教学、民俗学などと結びつくはずであることが期待されます。
 これまで、このような研究は、文学や芸術などに登場する天文現象などの顕著な例を除けば、ほとんどやられてこなかったのではないかと思います。また、「天文民俗学入門」にも書きましたが、これまでの民俗学研究は聞き取りを中心にしてきました。それは今後、時の経過とともに困難になると思われますので、 これからは文献の研究が主体になると思います。どのような研究が可能か、どのような成果が期待できるかを考える時代に来ていると思います。
 あるいは、逆に、天文関係の古い文献の中にある記述や挿絵などから当時の文化的背景を探るという研究も可能かもしれません。
 
3.考古天文学
 最後の「考古天文学」だけは、純粋な天文学です。これは、最前線の天文学研究に役立てるために過去の観測記録を利用する、というものです。「考古」というからにはあまり新しい物はふさわしくありませんので、正確な定義は不要としても100年以上あるいは200年以上前の天文記録を扱うことを想定した方がよいでしょう。
 以前からよく知られているのは、古代の日食や月食の記録を使って地球の自転周期の変化を探るという研究です。これはこの分野の研究が非常に有効に働いた例と言えます。しかし、残念ながら、現在のところ、過去の天文現象の記録が十分な精度で現代天文学に寄与できるこれ以外の例はなかなかありません。それ以外の過去の天文記録は、現在から見ると精度不足なのです。それでも、(200年以上も過去の話になりますが)恒星の固有運動の発見が「考古天文学」によってもたらされた、という事実は指摘しておく価値があるでしょう。
 古い星図などによって、変光星とは考えられていない肉眼星の明るさが変化する可能性を探る研究があります。これは非常に興味深いもので今後の進展が期待されますが、現在の精密な光度測定の変化と比較して、その信頼性を吟味するべきものである、と考えます。
 超新星や大彗星の出現記録が現代天文学にとっても有用であることは、ほとんど議論の余地がありません。低緯度オーロラの出現も太陽活動の変化との関係で非常に価値があります。しかし、これらの現象は再現性がないので、周期彗星の軌道の研究などを除けば、現代の同一種類の観測と直接関連づけられないのが少しもの足りないところです。
いくつか興味深い課題を並べましたが、上に上げたようなものは指摘されてからすでに時久しいので、そろそろ新しい課題を考える必要があると思われます。
 
                            (終わり)