昼間の空に尾を引く彗星が見えた! 21世紀の大彗星マックノート彗星
 
上原 貞治
 
 
2007年1月14日、伝説は突然に現実のものとなった。
 昼間の青空を背景に尾を引く彗星の姿というのは、それまでの私にとっては100年以上前に見られたというような伝説に属するものでしかなかった。しかし、その伝説の光景は、望遠鏡をのぞく私にとって、一瞬にしてあっけないほど簡単に現実になった。
 
 C/2006 P1 マックノート彗星は、北半球の観測者にとって位置関係が悪く、ある程度明るくなるとは期待されていたが、自分にとってはほぼ「観測できない無縁の彗星」と私は考えていた。昨年12月頃から順調に増光して天文雑誌で近日点通過時点でマイナス12等級程度になるかもしれない、と報じられたが、どうせ数字の遊びに近いものとたかをくくっていた。太陽に近づく前に光度上昇曲線は大きく鈍るのが常であり、どちらかというと消滅してしまう可能性のほうが大きいくらいであるからである。しかし、この数字を甘く見たのは間違っていた。マイナス12等の予想が1000倍の過大評価であったとしても、マイナス4等になるのである。消滅しない場合は十分明るくなることが見込めたのだ。
 
 2007年1月10日頃になると、明け方あるいは夕方の地平線近くにベテランの観測者によって観測されたという報告が入ってきた。このような条件では、よほど観測地と天候に恵まれないと観測は難しいだろう。しかし、昼間の青空のもとで見られるとなると話は違ってくる。そして、1月13日、私は、アメリカで昼間の空にこの彗星が観測されたことを知り、にわかに観測してみようと思い立った。その日は土曜日だったが一面の曇り空であった。
 
 翌14日の日曜は朝からよく晴れたので、10倍70mmの双眼鏡を持ち出して青空に昇ってきたばかりの彗星を探した。この日は太陽が彗星のわずか6度西にあり、午前中は太陽の方が高度が高いので、太陽を建物の縁で隠す必要があった。そうでないと、双眼鏡の視界は5度以上あるので、太陽を視野に入れかねずたいへん危険である。20分ほど一生懸命探したが、彗星は見えなかった。
 
 ここであきらめてしまうのはもったいないので、次は、20cm反射40倍を使うことにした。彗星は太陽のほぼ真東にあるので、太陽を望遠鏡に入れておいて(もちろん決してのぞいてはいけない。投影法で確認する。)、そのまま、約24分間放っておけば、彗星が自然に視野に入ってくるというありがたい仕組みである。この場合は、視界は1度くらいしかないし、太陽はどんどん視野から遠ざかるばかりなので、望遠鏡の向きを大きく変えない限り太陽が視野に入ってくる心配はない。ただし、事前に遠くの景色などでピントを合わせておく必要がある。
 
 とにかく、この方法で彗星をねらうことにした。接眼レンズをつける前にたまたま太陽に望遠鏡が正確に向いてしまい、接眼筒の黒いビニールのキャップが熱で融けてしまった。恐ろしいものである。そして、太陽に向けた望遠鏡を固定して、21分後、あっけないほど簡単に、彗星の方から視野に入ってきてくれた。
 
 彗星はちゃんと尾までつけていた。私は、感激するどころか、「まあこんなこともあるんだなあ」くらいにしか感じなかった。いずれにしても珍しいことなので、息子のカメラ付き携帯電話を借りて、コリメート法で写真を撮った(本誌の表紙の写真)。ピントも合うというのはえらいものである。以前見たことのある金星よりも少し明るいと感じたので、マイナス5等級と見積もった。
 
 午後になり、夕方近くになると、空が澄み始め、太陽が彗星より低くなったので、もう一度双眼鏡で挑戦した。今度も太陽を建物で隠した。すると、今度は、青空を背景に尾を引く彗星の姿が双眼鏡ではっきりと見えた。ここで、私は初めてこれは滅多に見られない、おそらく一生見られなくても当然であったすばらしい光景に出会えた幸運を実感し、そのことに感謝した。こういう光景に出会えるということには、その前日までまったく予想も期待もしていなかった。
 
 日没直前が次の観測好機であった。太陽が西空に低くなった頃、私は双眼鏡で彗星を見たが、彗星は白っぽいオレンジ色の空にとけ込もうとしていて、それほど明るくは見えなかった。探すのにもけっこう苦労した。どちらかというと夕方の薄明の空に見え始めたマイナス1等程度の彗星のように見えた。しかし、この時、まだ太陽は沈んでいなかった。双眼鏡を視野のすぐ外にある樹木の幹の向こうに、まだ朱色の太陽がまぶしく輝いていたのである。
 
 翌日の昼にも双眼鏡で挑戦したが見ることはできなかった。結局、私がこの彗星を見ることができたのは、2007年1月14日の昼間だけであった。

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