ひとみ径の話
                             上原 貞治
 
0.はじめに
 「ひとみ径」というのは、双眼鏡などの光学機器の性能(仕様?)の一つとしてカタログなどに載っているものですが、今回は、この「ひとみ径」というのが何であるか、という話をしたいと思います。このことは双眼鏡の性能のみならず、望遠鏡一般を覗いたときに世の中の物がどのくらい明るく見えるかという根本的な法則に関係しています。「ひとみ径」は漢字で書くと「瞳径」ですが、普通「しょうけい」とは読まれないのでひらかなで書かれることが多いようです。
 
1.ひとみ径とは
 ひとみ径とはなんでしょうか。その定義は簡単です。お手元に双眼鏡か望遠鏡があれば、昼間の景色を覗ける状態にして、その接眼レンズから目を離し、ちょっと離れたところからご覧ください。双眼鏡(または望遠鏡)は、空に向けておくと良いでしょう。太陽や太陽の近くの空に向けることはさけてください。
 すると、接眼レンズの表面付近に明るい白い円形が見えますね。もちろん、この円形部分は双眼鏡なり望遠鏡なりを通ってきた光で、ここに目を当てることによって外界が見られる窓になっているのですが、この円形の直径が「ひとみ径」です。物差しを当てて測ってみることも可能です(写真)。
 用語を整理しておきます。接眼レンズのそばに見える光の円形は「ラムスデンの円」あるいは「射出瞳」と呼ばれています。その直径(の長さ)が「射出瞳径」略して「ひとみ径」というわけです。
 
2.「ひとみ径」の計算
 ひとみ径は理論的に簡単に計算できます。つまり、
 
 ひとみ径 = 対物レンズの口径 ÷ 倍率
 
です。これはもちろん、望遠鏡(双眼鏡でも同じだが、今後は望遠鏡で代表させることにする)途中に光を遮るものがなかった場合です。まともな天体用の光学機器であれば、対象となる光を遮るような設計にはなっていません。たとえば、口径10cm倍率50倍の望遠鏡では、ひとみ径は2mmです。7倍50mmの双眼鏡では、ひとみ径はおよそ7.1mmです。

双眼鏡のひとみ径の測定。10倍口径70mmならひとみ径は7mmのはず。
 
3.人間の瞳の直径
 さて、このひとみ径の直径を持つラムスデンの円のところに、人間様の目玉を近づけますと、人間の瞳とラムスデンの円が合体することになります。人間の瞳の直径と望遠鏡のひとみ径はどちらが大きいでしょうか。もちろん、望遠鏡の口径と倍率、人間の個性、そして人間の瞳の大きさは変化しますから、そのときの人間の状況によって変わるのですから一概にはいえません。
 人間の瞳の直径は、暗いところに目を慣らしてじゅうぶんに開いたとしても7mm程度だといわれています。それより望遠鏡のひとみ径が大きければ光が人間の瞳の外にはみ出すことになります。人間は、瞳の部分からしか光を「見る」ことができませんから、このはみ出た部分の光は無駄になり「もったいない」ということになります。
 一方、望遠鏡のひとみ径が人間の瞳の直径よりも小さいときは、すべての光が目に入ることになりますので無駄が出ません。しいていえば人間の目の性能の方がもったいないことになります。
 多くの場合、双眼鏡においては、ひとみ径を大きくして人間の瞳の直径と同程度かやや大きめにしてあります。これは覗きやすさを優先したものです。双眼鏡においては光がもったいないことよりも覗きやすさが第一でしょう。一方、天体望遠鏡では、低倍率を選んだとしても、ひとみ径が人間の瞳の直径以上になるようなことにはあまりしません。25cmの望遠鏡を40倍にしたところで、ひとみ径は約6mmです。高価な望遠鏡の対物レンズでせっかく集めた光が人間の網膜に達しないということは本当にもったいないことで、暗い天体を見る際には利益になりません。
 
4.望遠鏡の「明るさ」
 では、何のために、双眼鏡のカタログの仕様表に「ひとみ径」が出ているのでしょうか。人間様の瞳の大きさと比較するためでしょうか。いえいえそういうわけではありません。ひとみ径というのは天体がどれほど明るく見えるかを表しているのです。
 月や惑星、星雲など、見た目の大きさがある天体を望遠鏡で見た場合、その表面の明るさがどのくらい明るく見えるかということを考えてみましょう。
 天体の見た目の明るさは望遠鏡に入ってくる光の総量に比例しますから、対物レンズの面積に比例するはずです。つまり、望遠鏡の口径の2乗に比例することになります。もちろん、これは反射望遠鏡の主鏡の場合でも同じです。ところが、同じ望遠鏡でも、接眼レンズを換えて高倍率にすると、木星など見た目が大きくはなりますが木星面の明るさは暗くなることをご存じでしょう。これは、同じ光量の像が引き延ばされたためである(つまり、映写機やプロジェクターをスクリーンから離すと、像は大きくなるが見た目は暗くなるのと同じこと)ということは、簡単にご理解いただけるでしょう。そのことを考えると、天体の見た目の明るさは、見た目の像の面積(正確には「視立体角」とでも呼ぶべきでしょう)に反比例するはずです。見た目の面積は倍率の2乗に比例しますから、つまり、
 
 天体の表面の見た目の明るさ ∝ (口径)2÷(倍率)2
 
となります。口径÷倍率はすなわちひとみ径ですから、
 
 天体の表面の見た目の明るさ ∝ (ひとみ径)2
 
ということになります。つまり、ひとみ径は、面積があるように見える天体、すなわち、木星なら木星、アンドロメダ銀河ならアンドロメダ銀河を望遠鏡なり双眼鏡なりで覗いたときに、どれくらい明るく見えるかということを示しているのです。また、ひとみ径が6mmの双眼鏡は、ひとみ径が3mmの望遠鏡より4倍だけ天体が明るく見えることになります。
 
5.信じがたい事実
 ここまで読んでああそうですかと理解してくださった読者の皆様には感謝いたしますが、本当はできればここでびっくりするかできれば怒っていただかないと困るのです。
 天体の見た目の明るさがひとみ径で決まるのなら、5倍30mmの双眼鏡(ひとみ径6mm)でアンドロメダ銀河を見たときと、20cmの天体望遠鏡を50倍にして(ひとみ径4mm) 同じアンドロメダ銀河を見たときに、前者の方が2倍以上明るく見えることになるのです。両手で担がないと運べないような天体望遠鏡を使った場合よりも、ポケットに入るくらいのちっちゃな双眼鏡の方が明るく見えるというのは、とんでもないでたらめに思えます。実際に異なる器械でアンドロメダ銀河を観測した経験のある方でも、大きな望遠鏡で見た方が明るかったとおっしゃるでしょう。でも、計算は間違っていないようです。驚くか怒るかせざるを得ないでしょう!? 
 それだけではありません。人間の目の瞳のひとみ径を計算してみましょう。瞳の直径を最大で7mmとし、倍率はもちろん1倍ですから、ひとみ径は7mmとなります。つまり、人間の目で肉眼で見ると、どんな望遠鏡を覗いた場合よりも同じか明るく見えることになるのです。なぜならば、仮に7mmより大きいひとみ径を持つ望遠鏡があったとしても、人間がそれを覗いた場合に光が瞳から漏れてしまい(これを説明するのはもう3度目です)、結局、人間の目に入る7mmぶんのひとみ径しか役に立たないからです。
 どんな望遠鏡を覗いたときより、肉眼でみたほうが同じか明るく見える!? 
そんな馬鹿な!肉眼では絶対見えない暗い銀河や彗星が望遠鏡のおかげで楽に見られるではないか! どうしてくれる!... と、まあ怒り心頭にはっするところでしょう。
 
6.リウビルの法則  
 上に書かれたことが信じられない方は、「望遠鏡にはなにか特別のからくりがあって、つまりレンズのうまい組み合わせで、そうはならないように工夫されているのに違いない」と考えられるかもしれません。しかし、そういうことは絶対に不可能なのです。位相空間の体積に関するリウビルの法則というのが光学にも応用できまして、「光の出入りする束の直径」と「光の角度の振れ、すなわち倍率」の積は、対物レンズ側と接眼レンズ側で同じになっている、という法則があるのです。これは途中にどのようなレンズを置いても変更できません。つまり、
 
 対物レンズの口径 × 1倍 = ひとみ径 × 倍率
 
という動かしがたい法則が成り立ち、これは2節の最初の式のひとみ径の計算式と同等ですから、ひとみ径は望遠鏡の光路やレンズの設計でどうにかなるものではないことがわかります。そうならば、望遠鏡の設計の工夫に関係なく、天体の見た目の明るさは、ひとみ径の2乗に比例しますし、そのことは、そもそも天体の見た目の明るさが、望遠鏡の構造に関係なく、
 
 (対物レンズの口径)÷ 倍率 
 
の2乗に比例することが論理的に正しいとしか考えられないことから、もう受け入れるしかないと思われます。
 
7.たねあかし?
 たねはありません。上に書いたことはすべて事実です。どんな大きな望遠鏡を覗いても広がりのある天体(惑星、星雲、銀河、彗星、なんでもけっこうです)の「表面」の見た目の明るさは、本来決して明るくならない(同じか暗くなるのどちらか)のです。これは信じがたいけれども事実なのです。
 でも、このことは次のような例を考えると納得していただけるかもしれません。
 展望台から昼間のビルディング群や山々などの景色を大きな双眼鏡で見たとしましょう。その時、肉眼で見たときよりも景色がずっと明るくてまぶしくて目を痛めるなどということがあるでしょうか。もちろん、そんな展望台の管理人さんの責任問題になるようなことは起こりません。
 次に、夜空の例を挙げましょう。市街地などの空の明るいところで彗星を肉眼で見たとしましょう。肉眼で見ると、彗星のコマの明るさが、光害に汚染された空の背景の明るさよりちょうど2倍明るかったとしましょう。この状況で、10cmの望遠鏡を60倍にセットして背景の空を見たとしましょう。光害の空の明るさは、肉眼で見たときよりもずっと明るく見えるでしょうか? 望遠鏡を使った経験のある人なら、夜空は望遠鏡で見てもそんなに明るく見えないことをご存じでしょう。口径10cm程度の中倍率なら、どちらかというと肉眼で見たときよりも暗く見えることは感覚的に憶えています。
 さて、彗星のコマが背景の空よりも2倍明るいという比例関係は、肉眼でも望遠鏡を覗いても変わらないはずです。ということは、
 
 肉眼で見たときの空の明るさ > 望遠鏡を覗いたときの空の明るさ
 
という不等式が成り立つ場合が存在し、その時には、
 
 肉眼で見たときの彗星のコマの明るさ > 望遠鏡を覗いたときの空の明るさ
 
が成り立っているはずです。(証明終)
 
 それでも、口径の大きい望遠鏡で見た時の方が明るく見えるとしたら、これはもう、見た目の面積が大きくなったために明るく見えたように錯覚しただけだ、というしかないでしょう。
 
 というわけで、望遠鏡のひとみ径は、人間の瞳の径と比較した場合の天体の見た目の面積あたりの明るさを示す指標になっているのです。適切な名称になっていることがご理解いただけたことと思います。
 

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