天文民俗学入門(下)
 
上原 貞治
 
4.年中行事と宗教
 宗教と天文の結びつきについては豊富な例があることが期待されるのですが、これが思いのほか難物です。日本には、神道、仏教、キリスト教、それから種々の新興宗教と多くの宗教が存在しますが、民俗学のレベルで天文と結びついているものはさほどありません(ここでは、聖典に奇蹟とされて記載されている事件は、特定の宗教の信者によってのみ絶対的に信じられている現象となので、民俗学のレベルの事項とは見なさないことにします)。これは、ほとんどの場合、天文現象がダイレクトに宗教の信仰対象になっているわけではない、ということによります。多くの場合、それらは天文−暦−習俗−宗教 という間接的な形で結びついています。天文と暦、暦と習俗、習俗と天文がそれぞれ密接に関係していることは明らかですが、それらの関係の仕方が、それぞれに複雑でよくわからないという事情があるため、天文と宗教の結びつきがよくわからないのです。
 たとえば「お月見」を例に取りましょう。これは、旧暦8月15日にお月様を拝むという非常にわかりやすい年中行事であって宗教的要素もあることは明らかですが、なぜ、旧暦8月なのか、お月様に何を拝むのか、なぜお月様がめでたかったりありがたったりするのか、その行事の形式にどのような宗教的根拠があるのか、などということを問われると突然難問になります。それは、多くの天文に関する信仰が年中行事と結びついており、その年中行事が民間信仰として行われている場合、その宗教的根拠があやふやで、実際多くの宗教の混淆に基づいたものになっているからです。たとえば、月や星を拝むという行為は、神道、道教、仏教、修験道、その他宗教界、非宗教界の偉人の業績が混淆している可能性があり、そして民間信仰となっています。
 このような問題は、とくに天文民俗にとってのみ起こっている問題ではありません。民間信仰の起源は民俗学上の最難問の一つなので、それに天文がからんでいっそう複雑になっているのです。しかし、ここは天文現象を手がかりにして難問に立ち向かう、という気概を持って研究することがまず必要と言えるでしょう。天文現象は、普遍的、客観的な現象なので、複雑な問題を追求するときの突破口になりうるかもしれません。
 
5.文献に残る天文民俗−−天文考古学との接点
 これまでの天文民俗学の研究は聞き取りを中心とした調査を資料とし、歴史時代の文献(即ち古文書)を研究するということはあまり行われていませんでした。それは、歴史文献は、すなわち著名人や支配者の歴史を記すもので、常民の生活を記録したものではないと考えられたからだと思います。
 しかし、これは必ずしも正しくありません。日本には、非常に多くの古文書(おもに江戸時代に書かれたもの)が残っており、その多くは無名の人によって書かれたものです。それらの中には、天文に関する記録も含まれています。そのような天文現象をどのように解釈し利用していたかということは、立派な天文民俗の研究になるはずです。
 これまでは、このような研究は古い時代の天文現象の証拠を見つけるという意味で「天文考古学」(自然現象の発掘なので、文献を用いても考古学と呼ばれるのでありましょう)と呼ばれ、事実、天文の古いデータを得る目的で研究が為されていました。しかし、これらの文献は天文民俗の上からも貴重なデータになるはずで、今後は、そのような視点から研究する価値があると思われます。そうなれば、対象となる古文書の数は膨大な量となり、しかも、そのほとんどがこれまでそのような観点で研究されていないとなると、我々の眼前には手つかずの研究資料が山ほど眠っていることになります。手近な歴史的文献に天文に関することが載っている場合、それに対する人々の反応を天文民俗学の資料として検討することを大々的に始める必要があると思います。また、すでに天文研究に使われた史料も天文民俗の資料として見直すこともできるかもしれません。
 
 これで、この連載は完結とします。まとまりのつかないことをとりとめもなく書きました。具体性に乏しくわかりにくかったと思いますが、これまで天文民俗学の研究を大きく前進させて下さった研究者の方々の考えや手法を受け継ぎ、それにまた新しい方法を吹き込む人々があらわれることを期待しています。
 

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